エピソード12 それでも用宗維織は前を向く・前編

1.

 9月28日 学園祭が終わって一週間が経った。一週間も経つと流石にその余韻に浸っている生徒もほとんどおらず、もはや話題にすら上っていないようだ。どうやら高校生における話の旬の移り変わりは相当に早いものらしい。目下彼らの話題の中心は、来月に迫った修学旅行でもちきりだった。


「修学旅行なんて何が楽しみなんだ・・・」

 これといってグループに属していない(といえば格好は良いが、要は入れてもらえなかっただけなのだ)僕にとっては、この班分けやら自由時間をどうするかやらの話し合いの時間が苦痛でしかなかった。

 そんな修学旅行の話題で持ちきりとなった放課後の教室に嫌気がさして荷物をまとめると、僕はすぐにその息苦しい空間を後にした。こういう時はさっさと出ていったほうがいい。そう思い向かったのは、幾度となく歩き慣れた帰路・・・ではなく校内のとある場所だった。


「失礼しまーす・・・」

 なんとなく小声になる。扉を開けると、見渡す限りの幾つもの本棚にラベルの貼られた書物が行儀よく並べられている。一体だれが読むのか不思議でならないような古い本もあれば、本屋にも並べられているような、最近出たばかりの話題の新刊も置かれている。

 そう。ここは図書室だ。およそほとんどの学校に存在するであろう図書室なのだが、案外一度も行ったことがないという生徒も少なくないのではないだろうか。そういう僕も、入学してから今まで一度もこの場所に来たことがなかった。理由は特にない。単にこの場所に来なければならない用事もなかっただけだ。

 自分の教室から半ば逃げるようにやってきたこの図書室であったが、僕が勝手に想像していたよりも多くの人で席が埋まっていた。見たところほとんどが3年生だろう。目前に迫った大学入試に向けて死力を尽くしている。そんな光景につい富士宮先輩の姿が映って見えた。先輩も今頃はこうして受験勉強に勤しんでいるのだろうか。

 そんなことを考えていると、何となく自分の将来のことも不安になってくる。現在2年生で時期は既に9月。あまり考えないようにしてはいたが、高校生活も折り返しを迎えたわけだ。そうすると否が応でも進路や今後の人生について考える機会が幾度となく訪れる。そして生憎今の僕には明確な進路もなりたい職業もこれといってない。その現実を普段は考えないようにしているが、時折こうして現実に直面しては漠然とした将来への不安と焦燥感に苛まれることがあった。


「しょうがない。勉強でもするか・・・」

 もちろんこうして気の向いた時だけ勉強したところでなんの意味もなさないことは百も承知なのだが、漠然とした不安から逃れるべく、ただ無心に机に向かうのも悪くない。少なくとも何か足掻いてみたという一時的な自己肯定感だけは残るのだ。


「さて、気晴らしに何か本でも読むか。」

 一時間ほどが過ぎただろうか。机に向かってはみたものの、悲しいかなやはりそう易々と集中力が保てるものでもなく、気晴らしに何か本でも読んでみようと思い席を立った。

 とはいえ、別に普段から(ラノベ以外の)読書を趣味にしているわけでもないので、どの本棚にどんなジャンルの本が揃えられているのかさえまるで分らない。

 ひとまず蔵書ごとのエリア訳でも聞いてみようと思いカウンターへと向かうと、そこには見覚えのある一人の女子高生が座っていた。


「い、維織ちゃん?」

「は、はひいいい???!!!」

 謎の奇声を上げビクッと飛び跳ね思わず椅子から立ち上がる少女。途端に周りから一挙に視線が集中する。少し距離が離れていたため確信が持てなかったが、どうやらその少女は本当に維織ちゃんだったようだ。

 一つ下の後輩で水泳部の彼女は、普段ならこの時間は部活中の筈なのだがどういうわけかこの図書室に、しかもカウンターの内側に座っていたのだ。


「せ、先輩・・・驚かさないでくださいよ。」

周りを気にしてか、急いで平静を取り繕った維織ちゃんが手ぐしで髪の毛を整えると、瞳を潤ませながら小声で話しかけてきた。


「それにしても、先輩が図書室に来るなんて珍しいですね。」

「え、まあ確かにそうだね。大分レアっちゃあレアだね。特に用事もなかったからさ、たまには図書室で勉強するのも悪くないかなって思って。でも、どうして維織ちゃんが図書室に?部活はいいの?」

 特に深い意味もなく、自然と浮かんだ疑問が口から零れた。しかしその途端、彼女の表情が急速に曇っていくのを見過ごすことができなかった。まずい。この質問は聞いてはいけない内容だったのだろうか。


「・・・先輩に言っていませんでしたっけ。私図書委員会なんです。部活は・・・いいんですよ。気にしないでください。」

 明らかに不自然な間を置きながら、部活の話はもうするなといわんばかりに強制終了させられてしまった。さすがの僕でもわかる。どうやら水泳部の話は、今はしてほしくないらしい。

 なんとなく視線を合わせていられなくなって、たまらず周りを見渡す。それにしても、入り口の扉から入ってすぐそばにあるカウンターの内側にいるこの状況からして、維織ちゃんが図書委員だということは容易に想像できるのだが、しかしそんな話は千珠葉からも聞いたことがなかった。


「あ、そ、そっか。いやー知らなかったよ。じゃあ維織ちゃんは図書室の常連さんだね。」

「そ、そうですね。だから割と図書室に来る人の顔は覚えているんです。先輩は・・・私が知る限り初めてですよね?」

 少しだけばつが悪そうに僕を見つめてくる維織ちゃん。その言葉尻はどこかたどたどしい。


「そんな気を使わなくていいよ。正直僕自身ここはあまり縁がない場所だと思っていたからね。おっしゃる通り、今日初めて来たよ。」

「へ、へーそうなんですね。そっか…」

「・・・」

「・・・」


 まずい。どうやっても会話が全く続かない。どうやってもと言えるほど巧みなトークスキルを持ち合わせていないという事実がさらに息苦しさに拍車をかけた。時間が経つほど、どんどん空気が重くなっていっているような気さえしてくる。


「さ、さて、僕はそろそろ勉強に戻ろうかな。」

 首を締めあげられるような息苦しさに耐えきれなくなって、この場から逃げ出そうとする。が、すぐに体勢が後方へと傾いた。

 ふと振り返ると、俯いたまま後ろからか細い手で僕の制服の端を引っ張って離そうとしない維織ちゃんの姿があった。


「い、維織ちゃん?」

「・・・。」

 そのまま硬直している彼女からは、何か言いだしたいような、けれどどうしていいのかわからないようなもどかしさを感じた。

 僕の制服を握るその手が一層ぎゅっと強くなる。そして気付くとその拳は小刻みに震えていた。こんな時、僕はどうすれば・・・


① 率直にどうしたのか尋ねる

② 無視して机に戻る

③ そのまま維織ちゃんの近くで待つ


 僕の制服を握る彼女の腕を優しく振りほどく。こんな切なそうな、そして助けを求めているような表情をしている女の子を無視して逃げ去るような男にギャルゲの主人公なんか務まるはずがない。

 維織ちゃんの隣に並んでカウンターの縁にそっと体重を預ける。別に立っているのがしんどくなったわけではない。こうして腰を少し落としたほうが維織ちゃんと目線が同じくらいになるからだ。


「維織ちゃん、委員会って何時まで?」

「・・・へ?18時までですけど・・・」

 壁に掛けてある時計をちらちらと確認しながら、急に何を言い出したのかと言いたげな表情でこちらの様子をうかがっていた。


「そ、そっか。じゃ、じゃあ、その・・・い、よかったら、その・・・一緒に帰ろうか?」

 我ながらなんとスマートさに欠ける誘い方だろうか。こんな時どう声をかけていいのかもわからず、それでも何か維織ちゃんの役に立ちたくて。気が付けば自分でもよく分からないままに彼女のことを誘っていた。そのことを意識した途端体の芯から熱がこみ上げてくることを自覚した。


「・・・え、っと」

 維織ちゃんは固まったままこちらをちらちらと見ていた。その表情からは真意が読み取れない。もしや気持ち悪いと思われてしまったか?


「あっ、急にごめんね。もし予定があるんだったら別に」

「行きます!」

「へ?」

 予想外の反応に一瞬思考が停止する。自分でもわかるほどコミュ障全開で誘ってしまった後悔から、勝手に断られるとばかり思っていただけに、維織ちゃんのその返事に僕はしばらく呆気にとられてしまっていた。


「閉館の時に、その、お、お声をかけます。それでいいですか?」

「いいよ!全然いい!寧ろお願いします!」

 もじもじとしながらもちゃんと自分の意思を伝えてくれる維織ちゃん。なんだか数カ月前に出会った頃と比べると、少し男の人に慣れてきたのかもしれない。いい傾向なのだと思う。いい傾向なのだろうけれど、何故か少しだけ寂しさのような感情が心底に湧き上がることを感じた。

 それでもそれ以上に純粋に維織ちゃんと帰れる喜びを胸に抱きながら、はやる気持ちを抑えて一度図書室内の席に戻り、勉強をしながら時間を待つことにした。


「いや集中なんてできるか!」

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