エピソード11 学園祭は希望参加型にしてください・前編

1.

 9月19日 楽しかった興津さんとの遊園地デートから早くも1週間が経ち、いよいよ学祭当日になった。と言っても準備期間の事ははっきり言ってあまり記憶がない。デートの後はすっかり心ここにあらずで、1週間の体感時間が1日過ごすのと変わらないぐらいの速さで過ぎ去っていった。

 間の記憶が抜け落ちているかのように感じた1週間だったが、興津さんと話す時間は残念なことにあまりとれなかった。学校にこそ来ていたものの、「部活動が忙しいから」と、学祭の準備に興津さんが姿を見せることはあまりなくなっていったのだった。

 そして学祭当日の今日も、興津さんがクラスに顔を見せることはなかった。デートの時にも言っていた通り、今頃は合宿で磐田にいるらしい。


「なんか学祭行くのも億劫になってきたな。」

興津さんのいないクラスで、今までたいして話したこともないような連中とつまらないカフェなんてやるのは正直煩労はんろうでしかないのだが、かといって僕が学校を休んでいい大義名分もないため、仕方なく重いどころではなく地面に深く根を張った大樹のような足を前に進めて登校する。

 通学路には何人か見覚えのある生徒の姿が見えたが、そのほとんどが今日は制服ではなく、何かがプリントがされたTシャツを着ていた。所謂クラスTシャツと呼ばれる、クラスを象徴するようなデザインが施された(ぼったくり的な値段の)Tシャツに身を包んだ彼らは、どことなく照れくさそうにそわそわとしながらも、お互いが同じファッションであることに同族意識を高めているようにも見えた。

 しかし正直言って僕からすれば、こんなもの小恥ずかしくてどうやったって着る気が起きないし、同じTシャツを着ただけで高められるような仲間意識も残念ながら持ち合わせてはいなかった。

 

「どうせすぐにお下がりで母親の部屋着になるような服に、よくも何千円も払えるよな・・・」

そう思いながら、楽しげに話しながら登校していく他の生徒を眺めて通学路を歩いていると、気づいた時には校門の前についていた。普段見慣れた景色とはわずかに異なり、生徒以外の一般客からも学園祭をやっていると一目でわかるよう飾りつけが施されている。

 校門をくぐり、教室へ近づくごとに憂鬱さが増していく。あちこちから聞こえる喧騒に気怠さを感じながらも教室の前までたどり着くと、中からはすでに様々なはしゃぎ声が聞こえてくる。


「面倒くさいなあ・・・」

一瞬扉を開けることをためらうも、意を決して教室の中へと入る。と同時に僕の視界に映りこんできたのは、特に恥ずかしがる様子もなく女子の制服に身を包んだ大吾が、精悍せいかんな顔つきでこちらを凝視してくる姿だった。


「おっす祥真。どうだ、この制服。中々悪くないだろ。」

180センチを越す長身な大吾のために、クラスでも一番大きな制服を大吾用に用意してくれていたようだが、その大柄な体格に合う服はそうそうなかったようで、席を立つと意図せず勝手にへそ出しスタイルになっていた。膝丈のスカートも大吾が着るとかなりのミニスカートとなっており、そのスカートの下からはサッカー部らしさ溢れる逞しいアスリートの足が堂々と顔を覗かせていた。


「大吾お前・・・それ、すげえな・・・」

あまりの光景に言葉を失う。というか、正直なんて声をかけていいのかわからない。そっと苦笑を浮かべて硬直していたのだったが、しかし不思議なことに、女子からの評価は意外と悪くないようだ。クラスからギャーギャーと悲鳴にも似た喧騒が聞こえてきたので、最初はこのなんとも醜悪な女装姿に対してのおぞましさからくる悲鳴かと勘ぐっていたのだが、どうやらこれはその逆で、歓喜の悲鳴のようだった。


「おいおい祥真、何呑気なこと言ってんだ?お前も今からこれを着るんだぜ?」

そう言って僕の目の前に一着の制服を持ってくる大吾。クラスの企画として、こうして男女逆の制服でカフェをやることが決まった日から覚悟こそしていたが、いざ目の前にこうして制服を突き付けられると流石に跼蹐きょくせきした。


「いや、勘弁してくれよ・・・」

とは言えこの期に及んで拒絶することもできないので、一先ず女子用の制服を受け取るだけ受け取る。するとその胸ポケットには『興津 恵零那』と書かれた名札が添えられていた。


「ああ、それな。お前になら貸してもいいって、興津さんが置いていったんだよ。」

どうやら自分が合宿で学園祭に参加できないからと、自分の制服を置いて行ってくれたらしい。それも僕用として。そこまでしてもらっておきながら今更着ないなんて駄々をこねることは許されないだろう。


「・・・観念するか。」

着慣れない女子高生用の制服に袖を通す。明らかにサイズが小さかったが、それでも何とか着られないこともなかった。制服からは微かに興津さんの匂いがする。洗剤の香りなのだろうか。分からないがなんとなく気持ちが落ち着く。


「終わったかー。」

着替え終わった僕の元に大吾が駆け寄ってくる。と同時に徐々に口角が上がっていき、やがて人を指差しながら大爆笑を始めた。


「お、おまえ・・・ぜん、全然似合わねーな。ぶふぉ!」

これでもかというほど笑い転げながら涙を浮かべる大吾。自分で自分の姿を確認できないのがもどかしいが、大吾の反応を見るにどうやら似合っていないことだけは確かなようだ。

 大吾の笑い声につられてクラスの女子も何人か集まってきた。そして僕の姿を凝視する。無言の時間に耐えられずそっと作り笑いをしてみると、僕にむけられた反応は総じて苦笑いが返ってくるだけだった。大吾の時とは明らかに反応が違う。分かってはいたがいざこういった愛想笑いをされると流石にメンタルにくるものがある。

 こうして僕と大吾は、カフェの受付の当番としてクラスに残り、来客を出迎える仕事をすることとなった。こんな訳の分からないカフェなど誰も来ないだろうと思っていたのだが、その予想は早々と呆気なく打ち砕かれた。


「宮島先輩!約束通り来ましたよーって、嘘、本当に女子の制服着てるー!」

「え、待ってウケるんですけど!」

大吾の知り合いだろうか、制服からおそらく一年生なのだろう。数人が一気に受付の前に駆け寄り、途端にキャーキャーとした喧騒が広がっていった。


「誰も来ないと寂しいだろうと思ってさ、俺が呼んでおいたぜ!」

満面の笑みとグーポーズを僕に向けてくる大吾。いや「呼んでおいたぜ!」じゃないのだが。なんてことをしてくれたんだ。クラスの売り上げ的にはありがたい話なのだろうが、僕個人としては正直できる限り誰にも来てほしくなかった。(少なくとも自分が当番としてここにいる間は)

 そんな時だった。


「あ、会長。お疲れ様です!」

「え?!」

大吾が発した聞き覚えのある呼び方に顔を上げると、目の前にはなんと富士宮生徒会長がこちらを見つめていた。


「おはよう、宮島君。お疲れ様。中々盛況そうね。それと・・・え、もしかして、榎野君?」

「先輩、見ないでください。」

大吾と挨拶を交わした後さりげなくこちらに視線を送った富士宮先輩であったが、初め僕が誰だかわからなかったようで、一瞬フリーズしたようにその場に固まっていた。が、すぐに僕に気付き声をかけてくれた。あの夏祭りでのことなど、忘れているかのように。


「あら、に、似合っていると思うのだけれど・・・」

言葉尻を濁すように発せられた富士宮先輩の言葉だったが、寧ろいたたまれないような気持ちにさせる。きっと僕を気遣っての事だったのだろうけれど、僕にとっては逆効果だった。

 しばらくの間沈黙が流れる。ここから何を話していいのか分からない。あの夏祭りの後から、富士宮先輩とは連絡も取っていなかった。会ってどう話していいのか、何を話していいのか考えていたのだが、結局いい案が思い浮かばず、時間だけが流れていった結果なんとなく話しづらくなっていってしまっていたのだった。

 そんな何分にも感じられるような沈黙を破ったのは、富士宮先輩だった。


「じゃ、じゃあ私は他のクラスの視回りにもいかなきゃないからこの辺で。宮島君、サボらないでちゃんと仕事やるのよ。」

「えー、なんで俺だけなんすか。それに会長、中入っていってくれればいいのに。」

特に僕に何か話しかけてくるそぶりもなく、そんなやり取りをただ無言で見ていることしかできない。何か言わないと。富士宮先輩がどこかへ行ってしまう前に何か。


「あっ」

乾ききった喉から搾り出たのは、そんな情けない言葉とも呼べない小さな音だけだった。

 あっ、じゃねえよ。何をやっているんだ僕は。これからどうする?どうしたい?過ぎ去ろうとする富士宮先輩を呼び止めて何ができるかわからない。でもこれでいいのか?今このタイミングを逃すと、きっともう富士宮先輩とは今後疎遠になっていく一方な気がしてならない。本当にそれでいいのか?


「待ってください!」

肩をピクッと震わせた後、驚いた様子で富士宮先輩がこちらを振り向いた。大吾や他の生徒も一斉にこちらを振り向き固まっていたが、すぐにそれぞれの元の時間の流れへと戻っていった。いつもより何倍もの人通りがある廊下のど真ん中で、自分でも予想以上の声が出たことに驚く。


「え、榎野君?どうしたの?急に大きい声を出して。」

仰々しくこちらを見つめる富士宮先輩。瞳には戸惑いが窺い知れる。


「あの・・・なんていうか、その・・・」

続く言葉が出てこない。勢いで声をかけてしまったが、何を話すかなんて決めていなかったのだから。でもこのまま引き下がるわけにもいかない。言え!何か言うんだ!


「あの、先輩。今日・・・今日ちょっと話せませんか。じ、時間は何時でもいいです。お任せしますので、時間を作ってもらえませんか。」

何度も噛みながら、ボソボソと早口でまくし立てるように言葉を吐き出した。もうどうにでもなれ。


「そっか、分かった。じゃあお昼過ぎ、13時頃に生徒会室に来られるかしら。その時間帯なら私だけ休憩で、たぶん一人だから・・・」

「えっ?それって・・・」

「内容的に、たぶん二人だけのほうが話しやすいんでしょ?違う?」

「ちが、わないです。」

どうやら僕の思惑など、富士宮先輩にはお見通しといったようだ。


「じゃあ榎野君、約束通り13時ね。忘れないでよ」

そう言って小さく微笑み手を振ると、富士宮先輩は生徒会の仕事であるクラスの企画の見回りへと戻っていった。


「へぇ、いつのまにそんな会長と仲良くなったんだよ、祥真さんよぉ。」

ちゃっかり一部始終を傾聴していた大吾が、タイミングを見計らって肘で小突いてきた。


「そんなんじゃねえよ。」

照れ隠しではない。本当にそんな仲ではないのだ。仲良くなったと胸を張って言うには、僕は先輩のことをあまりに知らなすぎる。

 さて、富士宮先輩との約束の時間まではまだ大分ある。昼が待ち遠しいが、クラスの仕事を堂々とサボるほどの強心臓は残念ながら持ち合わせていないので、大人しく大吾とカフェでの接客に没頭することにした。

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