エピソード9 夏の最後の思い出を・後編
3.
すっかり遅くなってしまった。人混みをかき分けながら急いで富士宮先輩が待つ岸壁に向かうも、既に花火が始まっていたせいか、辺り一面が人の波で思うように探せない。
「先輩・・・」
待ち合わせ場所があったわけでもないので、富士宮先輩を探してあてもなく歩き回る。するとそこに何やら男に囲まれて迷惑そうにしている一人の女の子が視界に入った。大学生くらいだろうか、見るからにチャラついた男三人が、人混みと花火の打ち上げ音で周りの意識が空へと逸れているのをいいことに、その女の子を取り囲むようにして何やら話しかけている。
「なるほど、あれがナンパってやつか。間近で見ると結構キモいな。」
そんなことを思いながら何とは無しに近づいてみると、花火の明かりでその女の子の顔が照らし出された。と同時に背筋が凍るような戦慄的悪寒が走り、そしてそれは直ぐ様体中が熱くなっていく感覚へと変わった。
「くっそ、ふざけんな!」
人混みを掻きわけ、その女の子の元へと向かう。きっと今までの僕ならこんなことしなかっただろう。しかし、今回ばかりはそうもいかない。
男三人から囲まれていたのは、富士宮先輩だった。僕が遅くなったせいでこうして今先輩が絡まれているのかもしれない。そう思うと黙っていることができなかった。
近づくと男たちは皆揃って中々の体格をしていた。多分、というかほぼ絶対的にまともにやりあって勝てるような相手じゃない。そもそも喧嘩も格闘技も一度もやったことなんてない。
「どうするか・・・」
① みなかったふりをする
② 警察を呼んでくる
③ 彼氏のふりをする
(おそらく一番現実的な解決策は②だろう。だけど今から警察を呼びに行って、間に合うのか?その間何も起こらない保障がどこにある?よし、これしかない!)
「響子、お待たせ!」
「え?榎野く」
「ごめんごめん。屋台のほうが込んでてさー。響子が好きなたこ焼き買ってきたから許してよ。ん?何か?彼女になんか用っすか?」
自分ができる精いっぱいの爽やかな笑顔を男たちに向ける。できるだけ幸せそうな表情を。できるだけ不安がバレないように。
「チッ、なんだよ男いんのかよ。うぜーな。」
男の中の一人が僕に詰め寄ってくる。近くで見ると結構でかい。180センチ程度はあるのではないだろうか。眼前に迫ったその男は凄まじい迫力だ。恥ずかしい話だがさっきから心臓の拍動が痛いほど高まっているのがわかる。
「まあいいや。他行こうぜ。」
別の男がそう言って僕の目の前に立ちはだかった男を誘導する。
結局男たちはその場を離れていった。喧嘩になるのを覚悟していたが、食い下がってくることもなく、そのままどこかへと消えていったのだった。
「先輩、もう大丈夫そうでs・・・ってうおぁ?!」
振り返りながら言い終わるより先に、身体が仰け反る。倒れそうになる自分の身体を何とか支えると、自分の胸元には富士宮先輩の頭部があった。
「え?!あっ、え?ふじふじふふじのみや先輩?!」
「榎野君。ありがとう。」
僕の胸の中で富士宮先輩が静かに呟く。どうしていいのか分からず、抱きしめることすら叶わずにそっと肩に手を触れる。その身体は恐怖故なのか小刻みに揺れていた。
「先輩・・・肩が」
「ごめん、ちょっと・・・怖かったのと安心したのと両方で・・・力が入らなくって。榎野君、改めてありがとうね。」
「よゆーっす!」
全然余裕ではなかった。実際歯は食いしばったままだったし、正直今でも握った拳が小さく震えていた。
あそこであの連中がすぐにどこかへ消えていなかったら、もし殴り合いになっていたら、僕はきっと何もできなかっただろう。殴り合いどころか、きっと一方的に殴られていただけかもしれない。
「榎野君、本当はこういうの慣れてないでしょ。」
「・・・バレました?正直めちゃくちゃにビビりましたよ。」
「バレるっていうかね、挙動が明らかにおかしかったもの。でも・・・そうよね、私も怖かった。だから助けてもらって本当に嬉しかった。それにさっき榎野君、『響子』って・・・」
「あっ、それは・・・」
彼氏のふりをしようと、無意識のうちに勝手に富士宮先輩の事を呼び捨てにしてしまっていた。
「すいません先輩。俺どうにか先輩を助けないとって、そればっかり考えちゃってつい・・・本当にすいません。」
「ううん。いいの。でも正直ちょっとドキッとしちゃった、かな?なんてね。」
「えっ?それってどういう」
バアアアアーーーーン!バアァンバアアアーーーーーーン!
言い終わるより先に辺りにより一層の炸裂音が轟き渡る。と同時に、夜空を彩る光の勢いが増していった。どうやら花火大会もフィナーレのようだ。
二人の頭上を明るく照らす花火は、夏の終わりを告げるように一瞬大きく咲いて、そして儚く散っていった。
「・・・きれいね。」
「そうですね。」
「でもね、私花火ってあんまり好きじゃなかったの。」
「・・・どうしてですか?」
夜空の色が変わる度に同じ色に染まる富士宮先輩の横顔を覗くと、儚げな表情で空を見上げていた。
「だってね、花火が終わると一気に夏が終わる気がするじゃない。まあ実際にはその後も残暑は続くんだけどね、そういうことじゃなくてなんていうんだろう。言葉にし難い喪失感に襲われるのよ。」
「なんとなくわかります。」
「あー、私の夏は終わるんだ。もうこういう青春の夏が来ることはないんだなって。特に今年で高校生活も終わりだからね、終わると一層喪失感とか虚無感に襲われるのよ。」
「・・・。」
何も言えなかった。何か言わなければと脳が命令している。様々な言葉が脳内を駆け巡り喉元まで出かける。声になろうとしている。しかしそれは最後まで言葉として生まれることなく、ただ静かに内へと消えていった。今の自分では、富士宮先輩にかけてあげられる言葉など何もなかった。
彼女たち三年生にとって、全うな青春を送ってきた高校生たちにとって、最後の夏の特別感は、僕がただ掃いて捨てるように過ごしてきた日々とは重みが違うのかもしれない。
「ねぇ榎野君。いつかまた、こうして花火が見られるといいね。」
「・・・えぇ、そうですね。」
それ以上は何も言えなかった。片浜先輩の事もそうだが、去り行く先輩達に、限られた時間しか共に過ごすことができない彼女たちに、迂闊に「また来よう」なんて言葉を言ってはいけない気がして。
そうして結局煮え切らない返事しかできなかった。当然のように富士宮先輩の表情が陰る。
そうだ。なんとなくわかる。今のはきっと分岐点だったのだ。こんな場面でヒロインの心を掴む言動ができるかどうかで今後のルートが決まるといっても過言ではないだろう。そして今僕はきっとその重要な選択を誤ったのだ。
「せっ、先輩!」
「ごめん、榎野君。今日はもう帰るね。来てくれてありがと。じゃあね。」
「えっ、あっ・・・」
顔を合わせることもなく去ってゆく富士宮先輩。追いかけることも引き留めることもできず、僕はただ暫くその場に呆けて立ち尽くすことしかできなかった。
花火が終わると、あっという間に辺りは余韻に浸りながら帰り路を急ぐ人混みの流れができており、過ぎ去ってゆく富士宮先輩の姿もやがては人の流れの中へと消えていった。
停止した思考のまま静かに天を仰ぐ。
花火の鳴りやんだ夜空には、薄雲のように漂う紫煙と静寂だけが広がっていた。
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