エピソード9 夏の最後の思い出を・前編

1.

 8月30日 茹だるような暑さも多少は落ち着きを見せてきたがまだまだ残暑が堪える。高校生にとっての貴重な夏休みも残すところ2日となったのだが、最後の思い出作り、というわけにもいかず締め切りの迫った課題の消化に追われていた。ここまで追い込まれるとやる気がどうとかそんなことさえも言っていられない。とにかく目の前の課題を片付けていかなければならないのだ。

 とっくに課題を終えていた千珠葉は、今日も維織ちゃんらと遊びに行っているらしい。全く羨ましい限りだ。と言っても自業自得というか、計画的にやってこなかった自分が悪いのだから何か言えた立場ではないのだが。

 家には誰もいないことをいいことに、リビングのクーラーを強めに回し、テーブルで勉強をする。これが案外はかどるのだ。

 ふと気が付くと、氷を入れ、冷えた麦茶を注いだグラスにはとっくに氷が残っておらず、グラスは結露した水滴に覆われていた。テレビの上に掛けられている時計に目をやると、既に11時を少し過ぎていた。朝の8時から始めた作業も既に3時間が経過していたようだ。おかげで課題も粗方片付けることができた。全く一体どこにこれほどまでの集中力があったのだろうかと自分でも疑いたくなる。だったらさっさと集中してやっておくべきだった。と思ったものの、結局追い込まれないとこうして集中して乗り越えることができないってことは、11年も学生をやっていると理解せざるを得ない。


「飯の準備でもするか。」

そう思いテーブルを片付け、立ち上がろうとしたその時だった。またしても普段ほとんど鳴ることのない僕のスマホがブルブルと一定のリズムで震える。つまり電話がかかってきているのだ。背筋につうっと汗が流れる。嫌な予感がした。数日前の記憶が蘇る。


「まさか・・・な。」

思い切ってスマホを手に取り画面を確認すると、そこには『富士宮先輩』の5文字が映し出されていた。


「あぁ、よかった。」

思わず声が漏れる。しかし安心も束の間、瞬時に我に返ると今度は緊張感が僕を襲った。富士宮先輩?なぜ?先輩から電話がかかってきたことなどほとんどない。ゼロに等しい。それなのになぜ今電話がかかってくるのだろう。

 全く心当たりのない電話に不安を感じながらも、居留守を使うようなこともできないのでひとまず電話をとることにした。


「・・・はい、榎野ですが。」

「榎野君?久しぶりね。富士宮です。忙しいかしら?」

「いえ!まったく!これっぽっちも!」

大嘘だ。絶賛課題に追われ中だというのに。


「よかった。夏休みの課題に追われていたらどうしようかと思ったよ。」

「っ!!」

思わず言葉に詰まる。完全に図星だった。


「どうしたの?榎野君。」

「い、いえ。何でもないですよ。それよりどうしたんですか?」

「あっ、そうだった。あのね、榎野君。今日清水港でお祭りと花火大会があるの、知ってる?」

「え、えぇ。まぁ。」

自然と鼓動が早くなる。体が熱くなっていくのが自分でもわかる。これはもしかするともしかするかもしれない。


「そのね、花火大会に来られないかなぁと思って連絡してみたの。」

「よろこんで!」

余裕ぶることもできずに即答してしまった。


「ほんと?よかった。じゃあ18時に新清水駅で待ち合わせましょうか。」

「はい!分かりました!」

そう伝えて電話を切る。


「・・・っしゃああああああ!!!ひゃっほおおおおおおおおうう!!!」


万歳!生まれてきてよかった!そうだ、僕はきっと今日この日のために生まれてきたんだ。生れて始めて女子の方からデートに誘われたんだ!舞い上がらないほうがどうかしてるって!

誰もいないリビングで文字通り狂ったように一人喜びの舞を踊った。課題?知るかそんなもん。なるようになるわ。というかなるようにしかならん。

しかしそう手放しで喜んでいる時間もない。時計はすでに11時を半分過ぎている。富士宮先輩との待ち合わせは18時なので17時には家を出なければならない。つまり残り5時間程度で準備を済ませなければならなかった。


「こうしちゃいられない。さっさと準備をしないと。」

早々に勉強道具を鞄にしまい、冷蔵庫にあった昨日の夕食の残りを適当に胃袋に流し込むとそのまま自分の部屋に戻る。まだオシャレには程遠いファッションセンスをフルに使って選んだ、清潔感があってそれなりに見えそうな服をいくつか並べると、自分に当ててはベッドに放って、を繰り返した。

 そういえば以前、一応大吾の意見も聞いておこうと思い、参考までに彼の外出時の普段着を写真で送ってもらったことがあったのだが、そこには大吾の好きなアニメキャラが前面に押し出されたプリントティーシャツに黒のスキニーといった、僕が言うのもなんだが中々にダサいスタイルで全く参考にならなかったことは記憶に新しい。


「こんなんでいいのかな・・・」

結局理念のシャツにテーパードパンツという量産型スタイルになってしまったが、変に挑戦して失敗するよりよっぽどいい。何よりそういう冒険は、上級者がすることだ。夏祭りに着ていく服としては合わないかもしれないが、浴衣や甚平なんてものは持っていないので仕方がない。

 服を用意した後シャワーに入り、着替えて髪をセットした。結局一連の準備が終わるころにはすでに15時を過ぎようとしていた。

 

「デート前って、こんなに時間がかかるものなのか。」

慌ただしく準備をしていたのでベッドに座り、一息つく。約束の時間までは残り2時間程度。準備が終わると今度は逆にやけに時間が経つのが遅く感じた。

 そわそわと時間が過ぎるのを待っていたのだが、ベッドで待っているとつい睡魔が襲ってくる。このまま遅刻することだけは絶対にあってはならない。

まだ家を出る予定の17時には30分程度早かったが、ついに我慢ならずに家を飛び出した。途中時間つぶしに寄り道をしてから、約束の10分前に待ち合わせ場所である『新清水駅』へと到着した。時間前行動はできる男の必須スキルだ。

 そんなことを考えながら駅の改札出口を出てすぐに辺りを見渡すと、そこには既に富士宮先輩が待っていた。


「お、来た来た。早かったね榎野君。」

腰に手を当て、どこか勝ち誇ったような笑顔を見せてくる富士宮先輩。純粋に可愛い。のだが、今日は普段に増して特別可愛い。その答えはすぐに分かった。浴衣だ。

 夏の夜空のような濃い群青色の浴衣を纏い、髪も普段より、なんというか手が込んでいるのが僕でもわかる。普段から大人っぽい富士宮先輩だが、今日は特に大人の色気を感じる。


「すいません先輩。結構待ちました?」

「いいえ、今来たところよ。それに約束の時間より早いじゃない。」

「そうですけど・・・」

「それより榎野君。何か言うことがあるんじゃない?」

挑発的な眼で見挙げてくる富士宮先輩。まともに顔を合わせられない。


「その・・・先輩、す、すげーかっ、かわいい、です。」

後半声にならないような声で呟くと、富士宮先輩は満足そうに笑っていた。


「ありがと。よくできました。それじゃあ行こっか。」

目的地は駅から少し歩いたと所にある清水港だ。約1万発の咲き乱れる火の花々が、短い夏の終わりを告げる。

 20分ほど歩くと既に会場周辺には人だかりができていた。周りには屋台も立ち並び、食欲をそそる匂いが鼻の奥をくすぐってくる。祭り特有の空気間で否が応でも心が躍る。


「すごい人だね。これはちょっと予想外かも。じゃあ早速やろっか。」

「え?」

何を?何をやるって?特に事前には聞かされていないのだが。


「あれ、言ってなかったっけ?今日は花火大会があるから、生徒会の活動として祭り中の巡回とゴミ拾いの活動をするのよ。」

「えぇ・・・」

そんな話全く聞いていなかった。勝手にデートだとばかり思っていたので露骨にテンションが下がる。さっきまで舞い上がって踊っていた心も今は影を潜め、まるで喪中かのように穏やかであった。まあ確かに富士宮先輩はデートだなんて一言も言っていなかったが。

 こうして富士宮先輩と二人、夏祭りデート。ではなく生徒会の活動の一環として屋台の視回りと花火が揚がる岸壁周辺のゴミ拾いを行うこととなった。

 しかし僕はもう生徒会の仕事の手伝いも終え、生徒会とは無縁の人間である。そんな僕にどうして富士宮先輩は声をかけてきてくれたのだろうか。なぜ僕なんだろうか。

 いくつか疑問は浮かんできたが、富士宮先輩と夏祭りを過ごせることには変わりない。ここはポジティブに考えて、生徒会の活動に汗を流すことにした。

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