エピソード8 家が金持ちで別荘を持っているクラスメートなんて実際そうはいない・中編
2.
駅の構内には、見たこともないようなコンバーチブルタイプの高級車が止まっていた。のどかで旅館が立ち並ぶ町並みには似つかわしくないその外車は、明らかに地元住民のものではないことが一目でわかる。
その車の中に、半ば拉致されるかのような状態で押し込まれた僕が連れてこられたのは、駅から山中へ、車で数分走った別荘地・
「さ、着いたわよ。さっさと降りなさい。」
到着するなり余韻を楽しむ間もなく車から降ろされる。こんなありえないレベルの高級車に乗れる機会なんて、僕の人生ではもう二度と訪れることはないだろうからもう少し堪能していたかったのだが、隣の片浜先輩がそれを許さなかった。
「乱暴だなぁ。ここって・・・強羅ですよね?」
「ええ、そうよ。」
「えーっと・・・一体どうして僕はこんなところに連れてこられたのでしょうか。」
そうだ。僕はまだ箱根に来るよう言われた理由を聞かされていないのだった。
「合宿よ。」
「・・・はい?」
「合宿をするの。部活動なら夏に合宿をするものでしょ。」
「えぇ、まぁ。」
「だから合宿をするの。」
「誰が?」
「そんなの決まっているじゃない。」
いやな予感がする。
「私とあなたよ。」
ほら。やっぱりだ。
「えっと・・・失礼しますね。」
片浜先輩に背を向け来た道をたどる。強羅から箱根湯本までは10キロもない。ならば歩いてでも十分帰れる距離だ。
さて、聞かなかったことにして帰ろう。そうだ、僕にはまだ夏休みの課題が残っていたんだった。それを消化しないと学校に行ってから各教科の担当から大目玉を食らう羽目になる。だからこんなところで訳の分からない合宿とやらに付き合っている暇はn・・・
「ちょっと待ちなさい。」
背後から片浜先輩の手が僕を押さえつける。どうやら簡単には帰れそうにない。
「どうしてもですか?」
「どうしてもよ。」
「帰ることは・・・」
「明後日には帰れるわよ。」
「えぇ・・・」
こうして片浜先輩との謎の合宿(?)が始まった。そもそも化学部が箱根まで来て合宿って、いったい何をするつもりなんだろう。それも僕と片浜先輩の二人だけで。
ん?二人だけ?片浜先輩と?
辺りを見渡すと、さっきまであった高級外車と運転手、そして黒いスーツを身に纏った執事のような男性全てがいなくなっていた。二人きりであることを意識した途端、急に体の芯が熱くなるような感覚を覚えた。
「さて、突っ立ってないでこっちに来なさい。ここが私の別荘よ。」
「え?」
目の前には広大な日本庭園と風情のある古民家風の広い建物が構えていたのだ。古民家風とはいっても古ぼけた感じは一切なく、手入れが行き届いており和の中にもモダンを感じるような佇まいだ。庭園は国定公園か何かで、この建物も着いた時から旅館とばかりと思っていた。それが別荘だって?いったいいくらあればこんな施設を整えられるんだ。
「片浜先輩の家って、金持ちだったんですね・・・」
「いいえ、ここの持ち主は私よ。」
「はい?!」
「だから、この敷地を買ったのは私。私のお金で私が買ったの。」
「・・・。」
開いた口が塞がらなかった。比喩表現ではなく本当に。彼女が言っていることが真実だとすれば、この推定数億かそれ以上の額を、彼女が自分で出したことになる。そんなお金をどこから出したって言うんだ。ただの女子高生が一人で。
「じゃあ、ここに立てましょうか。」
「・・・何をですか?」
「何をってこれに決まっているじゃない。」
そう言って片浜先輩が取り出してきたのは、4人が寝転んでも余りあるようなサイズのロッジ型テントだった。
「えーっと、これはどういう・・・」
「テントよ。見ればわかるでしょう。さ、組み立てましょう。」
巨大なテントを手際よく組み立てる片浜先輩。どうやらこれが彼女の言う合宿のようだ。
「わたし、一度こうやってキャンプしてみたかったのよ。」
「は、はぁ・・・」
アウトドアな趣味など一つもないため手際が悪く、寧ろ邪魔にしかなっていないのではないかといった僕の動きに対して、片浜先輩の作業は随分と効率的だ。
結局僕がやったのは骨組みを組んだことと、ペグ打ちくらいだった。
そうして数億円の敷地で荘厳な豪邸を前にテントを張り、2泊3日の合宿・・・というかただのキャンプが始まった。結局すべての作業を終えるころには既に10時を指していた。
「さすがに疲れたわね。ねぇ榎野君、箱根に来たのはどれくらいかしら。」
「えっと、たぶん今日が2、3回目くらいだと思います。てか、普通箱根なんてそう頻繁に来ないですよ。」
「そう。じゃあ散歩がてら少し近くを見て歩きましょうか。」
そう言って片浜先輩が僕の袖を引っ張り、箱根の街へと歩みを進めた。土地勘のない見知らぬ土地を歩くのはなぜだか少しワクワクする。不安もあるのだが、自分の知らない土地で、自分の知らない人たちが当たり前だが日常として生活をしている。その何気ない日常を肌で感じられると、なんとも言えない高揚感を覚えた。
片浜先輩に連れられて向かったのは、強羅から1キロほど離れた『彫刻の森駅』だった。駅名からも分かる通り、徒歩2分程度の所にあるのが『彫刻の森美術館』で、開館から50年以上を迎えたこの施設は日本で初めての屋外美術館らしい。
そんな美術館の中にはカフェが併設されており、一面ガラス張りの窓からは青々とした芝生が、気持ちよさそうに日光浴をしている風景を眺めることができた。
「何か食べましょうか。」
そう言って片浜先輩はカウンターへと向かい、そしてその数分後には1人分のソフトクリームとカフェラテを手に持ち帰ってきた。
「先輩、すいません。」
「ありがとうね。じゃ、半分ずつしましょうか。」
カフェラテをテーブルに置くと、片浜先輩が箱型のワッフルコーンに入れられたソフトクリームを一口舐めた。わざとらしく視線だけを妖艶にこちらに向けながら。店員さんがわざわざプラスチックのスプーンをつけてくれたにもかかわらずだ。
「先輩、なんかそれいやらしいですよ・・・」
その返答を待っていたのだろう。なんとなくそんな空気を察したので、模範解答をしておく。
「そう?それは榎野君がいやらしいからそう見えるだけじゃないかしら。」
いや、確信犯だ。僕にはわかる。これまでの言動から、この人が無意識でこんなことをするわけがない。
「まぁ細かいことは良いじゃない。ほら、榎野君も食べなさいよ。あーんしてあげるから。」
「え?」
いつの間にかさっきまで使っていなかったプラスチックのスプーンの包装が開けてある。そしてスプーンでソフトクリームをすくうと、自然に僕の前に一口分のソフトクリームが運ばれてきた。
いや、ここでスプーンを使うって、やっぱりさっきの食べ方は確信犯じゃないか。というのは言葉にするとまたこの人の手の平で踊らされるだけのような気がするので、差し出されたソフトクリームと一緒に体の中へと飲み込んだ。
「どう?おいしいでしょ。足柄金太郎牛乳だって。」
「足柄金太郎牛乳が何かは分かりませんけど、めちゃくちゃおいしいです。」
「ひと口3000円ね。」
「はい?」
ぼったくりバーもびっくりの金額が提示され、一気に血の気が引いた。やはり世の中いい思いだけはさせてもらえないらしい。うまい話には必ず裏があるのだ。
「私があーんしてあげているんだから、そのくらい妥当な額だとは思わない?」
「は、はぁ・・・」
何故か強い説得力を持つ片浜先輩の言葉は、彼女の横暴な物言いをまるで正当であるかのように湾曲させる。故に彼女の言葉のほうが正しいような気にさせられる。
「冗談よ。今回はサービスってことで。」
「あ、ありがとうございます。」
どこまでが冗談でどこからが本気なのか。彼女と出会って数カ月が経ってもいまいち掴めない。
カフェを出て暫く美術館を歩き回った後、僕らは再び強羅へと来た道を歩いた。太陽は真上にほど近く、避暑地と言えど暑いものは暑い。ジワリと滲む汗を拭いながら強羅に着くと、そのまま箱根登山鉄道ケーブル カーに乗り、終点の早雲山駅でロープウェイに乗り換える。ゴンドラの中からは雄大な箱根の自然と、そびえ立つ富士山が一望できた。入道雲と瑠璃色の空が夏の風景を形作る。
その夏の空を、目的地へとロープウェイが昇る。心地よい揺れがゴンドラから伝わり、身体を包む。不快な揺れではない。昇って、昇って、そうして近づくにつれて、日常の中では嗅いだこともない匂いに覆われていたことに遅れて気付いた。
例えるならばそう、月並みだが腐った卵のよう匂い。つまり硫黄だ。いや、正しくは硫化水素の匂いだった。次第に濃くなる匂いが目的地にたどり着いたことを知らせる。
至る所から立ち昇る噴気と強い硫化水素の匂いが、ここが活火山であることを改めて教えてくれる。到着したのは『
「いつみてもすごい景色よね。」
地すべりによって生じたであろうこの地はまさに自然のなせる業でであった。展望台から片浜先輩が辺りを見回す。出てきたのは先輩にしては珍しく普通の感想。どうやら本当に感動しているらしい。正直景色なんて興味がないかと思っていたので意外だった。
「自然の力ってすごいよね。人間の営みがちっぽけに思える。」
「確かにそうですね。」
揃って景色を見る。何をするわけでもなく。何を話すわけでもなく。それだけのことがこれほどまでに贅沢な時間の過ごし方なんだと、肌身をもって知ることができた。
「先輩、ありがとうございます。」
「何が?」
「連れてきてくれて。」
「迷惑だったくせに。」
「確かに最初は少しそう思っていました。」
夏休みの終わりがけに、急に箱根に来いと言われたのだ。しかも早朝から。正直面倒だと思うのが普通だろう。
それでも今は、片浜先輩に呼び出されてここに来られたこと、先輩と時間を過ごせたこと、同じ景色を共有できたことを本当に感謝している。
「でも今は、本当に来てよかったと思っていますよ。」
「つまんない。」
「はい?」
「そういう正直なのなんかつまんないんだけど。」
「えぇ・・・」
理不尽の応酬を受けたが、どうやら怒ってはいなさそうなので良しとしよう。
軽く昼食を摂り、名物の黒い卵を二人で分けた。味はまぁ、ほら、ゆで卵だ。
「そろそろ帰ろっか。」
ひとしきり観光した後満足した様子で片浜先輩が帰りのロープウェイに乗り込む。そして僕らは再び片浜先輩の別荘(の前に置かれたテント)へと戻っていったのであった。
・・・
っておい!なんだこれ!ただのデートじゃん!リア充かよ!
いや、リア充でいいのか・・・?
そうだ、それが僕の目標だったはずだ。リア充でいいんだ。
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