エピソード8 家が金持ちで別荘を持っているクラスメートなんて実際そうはいない・前編

1.

 8月25日 朝7時を20分ほど過ぎたころ。夏休みの学生が活動し始めるにしてはやや早い時間にもかかわらず、僕は箱根にいた。というより、正確には箱根に来ることを半ば強要されたのだった。

 まだ夜も明けきらぬ早朝5時に始発で最寄りの清水駅を出発し、一つ県を跨いで辿り着いたのが、ここ神奈川県の箱根だった。


「一体なんでこんなことに・・・」

夏休みも終わり間近。宿題の追い込みに入ろうかと思っていた矢先にこのような訳の分からない災いがふりかかったら、だれしもきっとそう思うだろう。


 事の発端は3日前、珠璃亞や維織ちゃんと海に出かけた翌々日の事だった。いつもと変わらず、11時少し前に起きてバイトの準備をし、朝か昼かもわからない朝昼兼用食をとっていた時の事だった。

 普段自発的に鳴ることがほとんどないスマホが一定のリズムで振動している。どうやら電話のようだ。そして悲しいことにまったく思い当たる節がない。夏休みに電話をかけてきてくれる人の名前を僕はまだ知らない。

 暫く放っておいたが、一向に止まることのないバイブレーションが流石に煩わしくなり画面を覗き込む。そこには知らない番号が表示されていた。始まりの3桁からおそらく携帯だろうことは分かる。が、知らない電話は出ない主義だ。お母さんからそう教わったのだから。

 と、普段ならガン無視するところだが、如何せんしつこい。全然切る気配が感じられない。恐る恐る通話ボタンを押し、スマホを耳に当て様子を窺うように電話にでた。


「・・・はい、もしもし。」

「ハァ・・・ハァ・・・ねぇお兄さん・・・今日はどんなパンツを履いているn」

問答無用で通話を切る。表示された通話時間はわずか5秒。『ツーッ、ツーッ、ツーッ』という機械音だけが虚しく響いていた。


「なんだったんだ・・・」

相手は女性だと思う。女性が無理やり低い声を出したような話し方だった。そんな恐怖と疑問に思考が停止していると、あろうことか全く同じ電話番号から再度着信がかかってきた。なんなんだこの人は・・・今の今で出るわけがないだろ・・・

 自分でもそう思っていたのだが、なぜだかスマホを手に取り画面を見続けてしまう。恐怖よりも好奇心が勝ってしまったのだ。


「はい?パンツのこと聞いてきたら切りますよ。」

けん制を入れてみる。すると電話の向こうから話ゲラゲラと笑う女性の声が聞こえてきた。


「なによ、つまらない男ね。榎野君。」

「?!」

誰だ?いったいこの女性は誰なんだ?全く心当たりがない。というか僕のスマホの電話番号を知っている人なんてそういないぞ?それに知っている人は相互に連絡先を登録しているはずだから、着信時の画面に名前が出るはずだ。それが表示されなかったということは僕が登録していない、全く知らない番号だということだ。


「・・・ごめんなさい。誰でしょうか?」

「そうね。私が誰かわからないなんてほんとひどい男ね。パンツの色を教えなさいよ。そうしたらあなたが知りたがっている答えを教えてあげる。」

「はいぃ?」

正体不明の、だけどおそらく面識があるであろうこの人は、一体何者なのだろうか。コミュニケーション能力が低い僕が言うのもなんだが、全くコミュニケーションが成り立たない。

 さて、どう答えるべきか・・・


① 正直に答える。

② 嘘の情報でごまかす。

③ 話題をすり替える。


「黒です。黒のボクサータイプです。」

ありのまま、包み隠さず答えることにした。


「気持ち悪い。最低ね。私に自分の履いているパンツを報告して楽しいわけ?そういう性癖でもあるのかしら。」

はああぁぁぁぁぁ??!!なんなんだこの人は。全くもって意味が分からない。自分の言っていることがわかっているのだろうか。


「冗談よ。じゃあ私が誰か、教えてあげましょうか。」

「・・・いやなんとなく一人だけ心当たりがあるといえばあるんですけど・・・」

電話越しにやり取りしている間に、一人だけ脳裏をよぎった人物かいる。もしかしたらという予測は話すごとに信憑性が深まり、その予測は確信へと変わっていった。というよりも、僕の知っている女子の中でこんな奇怪な問いかけをしてくるのは一人しかいない。


「へぇ、言ってみなさいよ。」

「その・・・片浜先輩ですよ」

「違います。」

真っ向から否定される。いや違わないだろ。どうやら正解のようだ。全く天邪鬼なのか気まぐれなのか分からないが意味不明な問答をしては時間を消費してしまった。


「で、片浜先輩がどうして僕の電話番号を知っているんですか?僕らが交換したのはアプリのIDだけだったと思いますけど。」

「そんな細かいことどうだっていいじゃない。女は常にミステリアスにあるべきよ。詮索しすぎないの。」

「いや、してないですよ!僕の個人情報がどこからか漏洩している恐れがあると警戒しているだけです!」

実際電話番号など教えた記憶がない。僕のほうも片浜先輩の電話番号を知らなかったのだから。状況によってはミステリアスがどうとか、そういう悠長な話では済まされない。


「面倒くさいわね。響子に教えてもらったのよ。満足した?」

「なるほど・・・」

そんな話、富士宮先輩からは一切聞いていなかったが。

 色々と気になることはあったが、これ以上追及して片浜先輩の機嫌を損ねるのも避けたいので、これ以上の追及はやめておいたほうがよさそうだ。


「ところで先輩、今日は何か御用で?」

「そうだったわね。榎野君、箱根に来なさい。3日後、25日に。」

「はい?」

いや、本当に何を言っているんだこの人は。


「決定事項なので。駅までは迎えに行くから。25日、7時に箱根で会いましょう。じゃあ。」

自分の用件だけを伝えると、僕の都合など一切確認することもなく一方的に電話を切られた。

 というか、実際僕の都合はあくまで僕側の問題であって、片浜先輩にとっては何ら考慮すべきことではないのだ。


 そんなやり取りがあって結局今に至る。全く最近何の音沙汰もなかったのに、急に謎の電話をしてきては箱根に呼びつける片浜先輩も先輩だが、それに逆らえずおめおめと始発でこうしてやってくる自分も自分だ。

 駅までは迎えにいく、とは言っていたもののどこにも片浜先輩らしき姿は見当たらない。

 4人が座れる程度のベンチに腰を掛け、なんとなく辺りを見渡す。『箱根湯本駅』と書かれた駅名票を掲げた駅舎は、改修されてまだ10年程度しか経過していないらしい。そのせいか比較的新しさを感じさせながらも街の景観になじんでいる。しかし始発できたためか、道中の電車も駅構内も人の流れはほとんどない。それがまたほんの少しの非日常感とノスタルジーを感じさせてくれていた。

 そんな静けさが覆う駅の出入り口付近でなんとなく佇んでいると、到着して既に15分くらい経っていた。が、片浜先輩の姿は相変わらずなかった。


「さすがに騙されたんじゃないか・・・?」

そう思い帰りの電車を調べようとしていたその時だった。


「まさか本当に来るなんて、あなたも大分いかれたお人好しね。榎野君。」

突如として目の前に現れた、白いワンピース姿が眩しい女性が僕に向かってそう声を発してきた。ワンピースと同化するほど白い肌は、普段日の当たる場所での活動を忌避しているのだろう、青白く透けるようだった。


「片浜先輩、ですか?」

一瞬誰かわからなかった。声は確かに片浜 京なのだが、僕が見たことがあるのは制服姿だけだ。それに今はコンタクトなのか眼鏡をかけていない。


「私が誰か、なんて誰にもわからないじゃない。あなたが私を『片浜先輩』と認識しているなら私は片浜先輩なんでしょうし、他の人に見えるなら他の人なんじゃないかしら。そもそも存在なんてものは別の誰かから観測・認識されて初めて・・・」

なにやら変なスイッチを入れてしまったようだ。訳の分からない理論を延々と話し始めたところで凡人の僕にはわかるはずもないのでひとまず目の前の美女は片浜先輩ということで間違いないだろう。


「はい、分かりました。あなたは片浜先輩です。今僕が観測しました。そして認識しました。あなたは普段と変わらない片浜先輩です。」

「あら、私があなたの言う『片浜先輩』だとして、それがあなたの記憶の中にある普段の『片浜先輩』と同一であるとどうしていえるのかしら。そもそも記憶というのは・・・」

「もういいって!勘弁してください!」


・・・

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