エピソード7 夏海行ったらもうリア充でしょ・後編

2.

 青く輝く海岸線とは対照的な赤色を纏った車両に乗り込むと、伊豆急がゆっくりと動き出す。通称『キンメ電車』と呼ばれるこの真っ赤な2100系は、地域活性化とPRのため特産物の金目鯛をモチーフにして作られたらしい。ちなみにこの2100系には黒船電車と呼ばれる、文字通り黒船をモチーフにした電車もある。

 その電車の窓から外を眺めると、水面には大分西に傾いた太陽が煌々と輝いており、どこまでも続く水平線と沈みゆく太陽が描くは圧倒的なパノラマだ。

 まだ海での余韻を感じながらも急いでシャワーを浴びた僕たちは、来た道を同じく帰ろうとしていた。心地よい疲れとともに等間隔の揺れに身を任せていると、自然と瞼が閉じていく。僕だけではない。遊び疲れたのか三人とも、ぐったりで電車に乗るなりすぐに魂が抜けたように寝入っていた。

 寝過ごすといけないと、深く沈みゆこうとしていた意識をなんとか取り戻すと、肩に心地よく程よい重みを感じた。しかも両肩に。

 鮮明となった意識で両肩を確認するとそこには珠璃亞と用宗さんの頭があった。すやすやとまるで子供のように二人が、僕にもたれかかって寝ていたのである。

 一瞬現実なのか夢なのか理解できず、辺りを見回す。夢にしてはどうもリアリティがありすぎる。ということはどうやら現実のようだ。現実?僕の両肩に女子二人がもたれかかっているこの状況が?

 現実だと理解できると途端に体の奥から熱くなってくるのがわかる。どうしていいのか分からず、その柔らかい感触と微かな潮の香りと女の子のいい匂いを堪能するような心のゆとりもなく、かといって起こすわけにもいかないので、結局乗り換えがある伊東駅までなんとか寝たふりをして過ごすことにした。


 結局一睡もできないまま、終点の清水駅までたどり着いた。道中よく寝ていたからか、明らかにスッキリしている3人に比べて、心身ともに疲れ切った僕の表情は暗い。


「じゃあ、今日はこの辺で解散にしようか。」

3人に向かって呼びかける。皆疲れが残っているからか、遊び足りないと声をあげる者はいなかった。それはそれで少し寂しい気もしたが、それだけ海での時間が充実していたものだと思えば悪い気もしなかった。


「それじゃあ私と珠璃亞ちゃんは家同じ方向だし先帰ってるよ。兄さんは維織ちゃんを送っていってあげて。」

そういって千珠葉がなんだかよく分かっていない珠璃亞の袖を引っ張って、駅の改札出口へと歩いて行った。


「え?」

僕もいまいち現状が理解できず、呆けた声を上げてしまう。そして、同じく用宗さんも突然のことに慌てているようだった。


「だだだ大丈夫ですよそんなこと。遠慮しますよ遠慮させてください。」

遠慮というか拒絶だ。顔を真っ赤にして僕にバツのしるしを腕で作って向けてくる。これにはさすがの僕でも少しへこんだ。


「そこまで否定されると流石の僕でもちょっとへこむなぁ。」

「あわわわわ、そんなつもりじゃないんですよ。」

現実であわわわわ、なんて声に出すシーンに直面する日が来るとは思ってもみなかった。しかし用宗さんがあわわわすると何故か愛らしく感じる。


「先輩とだと緊張して、たぶんどうしていいのかわからなくなってしまうし。き、きっと迷惑かもしれないので・・・」

「そっか・・・」

いや、そっかじゃないわ。どうする?なんていえば用宗さんの不安を取り除いてあげられるんだ?どうすれば・・・


① 無理しないよう話し、今日の所はやめておく

② これもリハビリだと、一緒に帰るよう促す

③ 素直な気持ちを告げ、用宗さんに判断を委ねる


・・・よし。


「迷惑なことなんて一つもないよ。たとえ僕と二人だとうまく話せなくても、どうしていいか分からなくなってオドオドしちゃっても、僕は迷惑だとか面倒だなんて思わない。それがそのままの用宗さんなんだから。」

「先輩・・・すいません、私、いっつもこうしてテンパっちゃって。先輩、よかったらお言葉に甘えてもいいですか?」

対面の位置からとことこと僕の隣に寄って来る用宗さん。こういう小動物的なところが本当に彼女の魅力なんだと思う。

 こうして僕は、駅からの帰り道をひと時の間用宗さんと過ごすことになった。

清水駅から3つ先。終点の静岡駅が用宗さんの最寄り駅だった。寄り道をして、ウィンドウショッピングをして、街を歩いて、クレープを食べた。最初、それこそ人形のように堅かった用宗さんだったが、段々と緊張も解れてきたのか、笑顔が零れる機会も出てきた。

 太陽が沈み、周りを暗闇が覆ってきた。夏の夜風は湿っていて生暖かく、ただ歩いていてもうっすらと汗が滲む。そろそろ寄り道も終わりだ。

 

「せっ、先輩、この辺りでいいですよ。もうすぐ家なので・・・」

足を止めると俯きながら用宗さんが呟いた。


「そっか、分かった。用宗さん、今日は楽しかった?」

用宗さんに合わせて、少しゆっくりとした話し方をする。


「え?あ、はい!それはもう楽しかったです。こうやってみんなと海に行くなんてこと、今までなかったので・・・」

用宗さんの表情が目まぐるしく変化する。


「それはよかった。僕も同じだよ。こうして誰かと海に行ったのなんて何時ぶりかな。でも、用宗さんも楽しめたみたいで安心したよ。」

少しオーバーに笑って見せたが、用宗さんの表情は浮かないようだ。もしかすると僕の笑顔がそこはかとなく用宗さんの気分を害したのかもしれない。

 浮かないままの表情で何か迷っているようだったが、やや間をおいて用宗さんが話し始めた。


「先輩、どうして千珠葉ちゃんと珠璃亞ちゃんは名前で呼ぶのに、私だけ『用宗さん』なんですか?」

飛んできたのは意外な質問だった。


「え、だってそれは・・・い、い、い、維織ちゃんって、呼んでいいのかなって迷って・・・僕なんかが迷惑じゃないかなって。」

実際それが用宗さんのためだと思っていた。珠璃亞や千珠葉に振る舞うような距離感を用宗さんに対しても向けることで、委縮してしまうのではないか。変にフレンドリーにするのは不快なのではないか。

 そう考えるうちに、今のように一定の距離間で接することが、用宗さんの男性への苦手意識克服につながればと思っていた。けれどそれは僕の勝手な思考の中だけの話だったようだ。


「そんなことないです。寧ろ嬉しいです。」

用宗さんの頬が朱に染まる。薄暗くて見えづらかった表情を、街灯と月光が優しく照らした。やっぱり彼女には月がよく似合う。

 照れながら笑う彼女を見ていると、突如耳鳴りのような音がした。一定のリズムで耳の奥から聞こえる。それが自分の心臓の鼓動によるものであることを遅れて理解する。


「えっと・・・じゃ、じゃあ・・・い、維織、ちゃん。」

ゆっくりと様子を窺うように声に出す。照れくさくてつい小声になってしまう。


「はい!」

「維織ちゃん!」

「はい!」

お互い顔を見合わせると照れくさくて笑うことしかできなかった。熱くなった背筋を冷たい汗が伝う。


「ははは、なんか、その・・・照れるね。」

「そうですね。自分からお願いしたものの、なんだか恥ずかしいです。」

そんな、他人が見たらむず痒くなるようなやり取りをして、僕らはわかれて歩き出した。

 暫く用宗さん、改め維織ちゃんを見送ってから来た道を戻り、再び電車に乗って家を目指す。その帰り道はどうにも足取りがおぼつかなかった。


「維織ちゃん、か・・・」

小さく声を漏らす。まだその呼び名に慣れないせいなのか、なんとなく違和感がある。そして同時に気恥ずかしさもこみ上げてくる。


「これも一応、進展と呼べるのかな・・・」

恋愛に慣れた大人の男や、男女関係なくフレンドリーに話せるクラスメイトからしたら、こんなことなんてことないことなのだろう。しかし、僕にとって維織ちゃんと呼ぶようになったのは、大きくそして確実な一歩となったように感じた瞬間だった。


 その後家に帰ると、何かを察した千珠葉から質問攻めにあったことは言うまでもない。

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