エピソード6・吉原 珠璃亞との出会い①

夏の昼下がり 住宅街の平凡な公園に似つかわしくない銀髪少女は、一人夢中に踊り歌っていた…


1.

 8月10日 夏休みに入って2週間ほどが経過した。そして結局イベントらしいイベントは何も起こらなかった。まぁ当然と言えば当然なのだが。何が「何か起こりそうな気がする。」だ。ここの所、基本家でゲームしかしていないのだからそもそも何も起こるわけがない。

 目覚めてすぐにスマホを開くと、既に13時を迎えていた。貴重な高校2年の夏休みも中盤に差し掛かろうとしているわけだが、バイトがない日は特にやることもないので、なんとなくゲームやネットサーフィンをして明け方に寝る。起きるのは昼過ぎという典型的に堕落した生活を送っていた。

 あぁそうだ、申し遅れたがバイトを始めてみた。全国チェーンの某ハンバーガー屋で、8月の頭から正式に働くこととなった。特に金に困っているということもないのだが、自由に使える金が多くて困ることはないだろう。

 そんな怠惰な生活も、はじめは昼過ぎに起きると1日を無駄に浪費してしまったような虚しさや後悔の念に襲われていたわけだが、その背徳感も数日続くと慣れてくるのが人間だ。むしろ悪くないと感じるようになって今に至る。アラームに起こされることなく自分が起きたいときに起きる。これ以上の贅沢はない。

 

 さて、流石に怠けすぎた。ベッドから出てリビングへ向かう。両親はとっくに仕事に出ていた。社会人には一ヵ月どころか一週間すら夏休みがないとのことだから頭が下がる。まぁもっとも一ヵ月も仕事を休んだら復帰したくなくなって、そのままフェードアウトしそうな気もするが…一生社会人などなりたくないな。今は親に感謝しなければ。

 冷蔵庫から母親が作ってくれた目玉焼きと表面を軽く焼いたショルダーベーコンとほうれん草のお浸しを取り出しレンジに入れ、同時に食パンをトースターにセットする。特に気になっている番組があるわけでもないが、なんとなくテレビの電源を入れ適当にチャンネルを回していると、夏のレジャー特集がやっていた。

 ここ静岡も、夏になると関東から多くの観光客がってくる。特に熱海や伊豆ではサーファーやシュノーケリングをする人でごった返しだ。まぁ僕とは明らかに系統が違う輩だらけだし、そもそもそういった場所に一緒に行く女子もいないので縁のない場所ではあるが。

 そうこうしているうちに焼けた食パンの香ばしい匂いが広がってきた。パンは表面にうっすらと焦げ目がつくくらいで良い派だ。ちなみに千珠葉は真逆で、こんがり焼く派だ。さっさと食事を済ませ皿を洗う。時計は14時を指していた。夕飯の買い出しを頼まれていたが買い物に行くにはまだ早い。しかし特にこれといってすることもない。こういう時は図書館に行くに限る。程よくクーラーがきいていてなにより静かだ。ただでダラダラ涼める最高の環境なのだ。それにたまには図書館で勉強するというのも悪くないだろう。

 机の上に散乱してある道具をカバンに詰め、玄関のドアを開ける。と同時にムワッとした真夏の熱気がたちまち家に入り込んだ。ものの数秒で汗が滲む。


(やっぱり行くのやめようかな…)

 一瞬悩んだが、ここで行くのをやめれば僕はまた今日も家から出ないで一日を終えるだろう。ちなみに二日前から一歩も家に出ていない。つまり今日も出なければ三日目だ。このまま記録更新を目指してもいいが、青春真っただ中の高校生でそれはさすがにまずい。

 意を決し、外に出る。7階建てのマンションにはエレベータが設置されており、通路に出て下行きボタンを押した。機械音とセミの鳴き声が響き渡るマンション通路でしばらく待つと、5階を示すランプが点くのと同時にエレベータのドアが開いた。

 小さな箱の中に入り、1階に到着する。ドアが開くとさらに熱気がこみ上げてくる。周りがアスファルトに囲まれているせいか、輻射熱によりさらに暑く感じる。駐輪場に行き自転車のロックを外し、サドルに跨ると直射日光に曝されていたサドルがまた熱いのだ。


「こんな暑いと脳が溶けちまうよ。さっさと図書館に向かおう。」

家から図書館までは自転車で20分程。既に汗だくなわけなのだが着くころにはもう完全に茹で上がりそうだ。この辺りは住宅街で一軒家やマンションが立ち並ぶ。僕の家から数百メートル離れた先には小さな公園があり、そこを通ると大通りに出る。大通りからは図書館までまっすぐ道沿いに進むことができる。

 公園の前を通ると近所の子供たちだろうか、賑やかにボール遊びをしているのが見えた。と同時に、この辺では見かけたことのない一人の少女が目にとまった。

 思わず自転車を漕ぐ足が止まる。セミロングの銀髪を纏い日本人離れした青い瞳、整った顔、白い肌、明らかにここら地元の人ではない。夏休みで帰省しているのかだろうか。何やら一人で踊っているのか、あっちへこっちへと忙しない。しばらく見惚れていたが、ふと我に返る。この時間帯は案外人通りが多い。このままでは僕は完全に不審者だ。


「そうだ、図書館に行く途中なんだった。そろそろ行かないとな。」

当初の目的を思い出し、図書館へと向かう。真上からやや斜めに傾き始めた太陽は、アスファルトをジリジリと照らし陽炎を作っていた。


・・・


 じゃがいもと玉ねぎと人参、それから豚のブロック肉を買う。母親から依頼された今日の夕飯の買い出し内容だ。どう考えてもカレーだろう。図書館を出てから近所のスーパーにより、買い物をしてから帰るころには17時半を回っていた。


「少し遅くなったかな…」

買い物袋をカゴに積み、自宅へと戻る。日は長くこの時間でも辺りはまだまだ明るい。自転車を漕ぐと未だに暖かく湿った空気が纏わりつく。今日も熱帯夜になりそうだ。さっさと帰って風呂に入ってクーラーで涼もう。

 自宅のマンション付近まで来た僕は、昼間見かけた少女を思い出していた。そして身体は自然と例の公園のあたりへと向かっていた。17時を告げる放送とともに子供たちは帰ることになっているのか、人影はほとんどない。


「さすがにもういないか。そりゃそうだよな。ってか何やってんだ僕は。」

そう思い帰ろうと思った矢先だった。


「いた!」

銀髪の少女がいた。そしてその少女はまた踊りながら虚空に向かい何やら話しかけている。まるで誰かと語り合うように。

 やばい人なんじゃないか。そんな不信感が芽生えたものの彼女から目が離せない。

 自転車を片手で支えながら彼女をしばらく見つめていると目が合った。にこりと笑った彼女はこちらに駆け寄ってくる。やばい、こっちにきたぞ!


① 逃げる

② 逃げる

③ 逃げる


よし!

特に理由もないか初対面の女子がこちらに来るのだ。焦った僕の思考は完全に停止し、気づいたら何故か逃げだしていた。


「チョト、チョトマテクダサーイ!」

明らかに片言の日本語が投げかけられる。待ってというのは僕に言っているんだろう。周りにはほとんどだれもいない。自転車に乗ればいいものの、そんなことすら考える余裕もなかった僕は、自転車のステムを掴んだまま走っていた。が、如何せん帰宅部である。あっという間に体力が底をつき足が止まる。なんと非力なことか・・・


「ハァ、ハァ、オイツキマシタ、デース」

息を少し切らしながらも、まだまだ余裕な表情の彼女は僕の自転車のキャリアを掴んで取り押さえた。


「ナンデ逃げるデスカ?」

「さ、さぁ、なんでかな?気づいたら身体が勝手に・・・」

「オニサン、昼間もイタデスネ?」

「えっ、気づいてたの?」 

「私ソウイウノ覚えてイルデース。」

すごい記憶力だ。昼間会ったときは一度も目が合ってなかったはずなのだが。


「すごいね。ところで昼間っからずっと公園で何をしてたの?一人で踊ったりしゃべったり、ちょっと、なんていうか・・・変わってるというか・・・」

「馬鹿にしてるデスカ?私頭オカシ人ダトオモテマスネ?」

そうして頬を含ませる少女。怒ったようなポーズをとっているのだが、正直ただただ可愛らしかった。


「私演劇ヤッテマース。サッキノハソノレンシューデース。」

「演劇?あぁそれでか。なら納得。じゃあ演技の練習をしていたんだね。よかった、近所に変な人がいるのかと思っちゃったよ。」

「ヘンタイジャナイデース!近所?オニサン近くに住んデルデスカ?」

「そうだよ、そこのマンション。僕の名前は祥真。榎野 祥真だよ。君は?」

「私も最近コノ近く引っ越してキタデース。名前ハ、ジュリアイイマース。」

ジュリアと名乗った少女はそう告げるとハッと何かを思い出したかのように別の方向を向いた。


「しょーまサーン、私カエッテアニメ見なきゃナイデース。明日もココにイマース。ヨケレバマタ明日ハナシマショー。パカパカー」

そう告げると少女は走り去っていってしまった。沈みかけた夕日に、白にほど近い銀の髪がよく映えていた。


「パカパカってなんなんだ・・・あ。」

彼女の姿を見送ると僕は買い物袋に目をやった。豚肉の鮮度が落ちないように入れていた保冷用の氷はすでに溶けきっていた。このままでは肉が腐ってしまう。僕も急いで帰宅した。


 それがジュリアとの初めての出会いだった。

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