エピソード5・清水 陵との出会い③

3.

 放課後、ホームルームを終えると僕はすぐに教室を出た。いや、いつもすぐに教室を出ているのだが今日は向かわなければならない所がある。モタモタしていると部活の時間になってしまう。急がなくては。


「えっと、たしか陵の教室は・・・」

ん?待てよ。そういえばあいつの教室なんて知らないぞ。何も考えなしに教室を出てきてしまった。我ながらなんて行き当たりばったりなんだ。

 このままあきらめて帰ろうとも思ったが、このままでは結局陵との距離が近づくことは永遠にないかもしれない。もう自分にとって何かラッキーが起こるのを待っているだけなのはたくさんだ。

 あてもなく一クラスずつ廻るのはあまりに非効率的だ。ひとまず階段へと続く廊下へ向かう。この後体育館へと向かう陵はおそらくそこを通るはずだ。そこでなら部活前に陵と会える可能性が高い。

 一学年七クラスの教室が連なる廊下を抜けて体育館へと向かう階段へとたどり着く。しばらく待っていると帰宅しようとしている生徒達とすれ違う。時々何人かに凝視されたものの、話しかけてくる生徒はいなかった。学校なんてそういうものだ。友達以外は結局よく分からない他人なのだから。

 しかし全く来ない。かれこれ15分くらいはここにいるのだが。待っているのにも疲れてきて帰ろうとしたその時だった。


「あれ、しょう・・・ちゃん?」

去り行く生徒を勝手に見送り、ただ無為に過ごしていると不意に声をかけられた。


「り、陵・・・」

「こんな所で何やってんの?」

制服姿で紺のスクールバッグを持ちこちらを見つめてくる。どう見てもこれから部活に行くような恰好じゃない。


「ちょっと用があってな・・・陵は?部活じゃないのか?」

それとなく探りをいれてみる。


「今日は部活内から帰りだよ。週末は練習試合だからね、今日は特別に一日だけ休みなんだよ。」

たまの休みだからか、どうやらご機嫌なようだ。それにどうやら朝のあの出来事はもう許してくれているらしい。


「そっか、そ、それはよかったな。じ、じゃあ今日はいっ・・・かっ、かっ・・・」

「え?どうした?過呼吸?!」

「い、いや違うよ!だから!」

どうしたんだ?なんでこんなに緊張しているんだ?相手は陵だぞ?やはり大吾の言う通り、僕は陵を女性として意識しているんだ。確信した。


「あぁもう、陵!今から帰るんだったら一緒に帰ろうぜ!いいだろ!」

咄嗟の衝動が声となって口から漏れる。いきなり何を口走っているんだと自分でも思う。それを聞いていた陵の眼は丸々と見開かれており、いまいち状況がつかめないといった様子だ。無理もない。発言者の僕ですら何を言っているのか冷静に理解できなかった。

 しばらくの沈黙が二人の間を埋める。そうしてしばらくの間をおいてから先に口を開いたのは陵だった。


「いいの?しょうちゃん、私と一緒に帰って・・・」

断るどころか寧ろ申し訳なさそうに聞き返してくる。当たり前だが、やっぱり陵も中学の時のことを覚えているのだ。


「いいからさっさと帰ろうぜ。それとさ、話したいことがあるんだよ。」

そう言って陵と二人校舎を出る。一歩外へと歩き出ると西日が差しこみ思わず眼を瞑ってしまうほど眩しい。年明けに比べると随分日が長くなったものだ。燃え上がるような橙がアスファルトを染め上げる。

 学校から自宅までは歩いて20分程度ある。陵の家は僕の向かいの家なので、必然的に帰宅ルートも完全に一致する。だがこうして一緒に帰るのは高校に入ってから今日が初めてだ。

 理由はいくつかある。そもそも陵はバスケ部で僕は帰宅部。帰る時間がずれるのは当たり前だ。だけどもっと明確な理由は、単純に僕が避けていたからだ。帰りに陵と一緒にならないよう意図的にずらしていた。

 そうして僕は今日約3年ぶりに、『放課後幼なじみと一緒に帰宅する』というイベントを実行しているのだ・・・が、一向に会話が生まれない。話したいことがあると言っておきながら、いざ二人になると全く言葉が出てこない。今はただ早くなっていく自分の心臓の鼓動だけが聞こえる。


「ねぇしょうちゃん、話があるんだよね?」

空気を変えてくれたのは陵だった。


「ん、あぁそうだな。あ、あのさ・・・」

自然と足が止まりその場に立ち尽くす。それを陵は何も言わず、ただ見つめ返していた。


「俺、その、ずっとお前にさ・・・あ、謝らなきゃって思ってたんだ。」

「え?」

「いや、そのさ、俺、中学の時お前にひどいこと言ったじゃん。急にさ、お前と一緒に学校に行くのが嫌だ。もう迎えに来ないでくれって。」

「・・・そうだね。」

あからさまに陵の顔が暗くなる。そして当然のことながら、あの時の出来事は陵の記憶に明確に刻まれていることを今になって思い知らされた。僕はとんでもないことをしてしまったのだ。


「ずっとお前とのことを揶揄からかわれるのが嫌だった。そして俺はお前に八つ当たりして自分だけ逃げた。お前を傷つけることで自分が傷つくことから逃げたんだ。周りと向き合うことから逃げたんだ。謝ってどうこうなることじゃないし許してもらえるとも思ってない。でも。これが俺の今の気持ちなんだ。本当に申し訳ありませんでした!」

頭を下げる。陵の顔は見られない。目を合わせる資格すらないような、惨めな気分だ。


「しょうちゃん、顔を上げてよ。」

落ち着いた、けれどはっきりとした声色で陵が言った。


「陵・・・」

ゆっくり頭を上げ、陵のほうを向いたその時だった。


バチィィィーーン!!!!


「っ!いってぇぇぇ!!!???」

僕の右頬を陵の平手がヒットした。なるほど、どうやら頭部や顔面に強い衝撃が加わると星が見えるというのは嘘ではないようだ。まさか自分で体感する日が来るとは思ってもみなかった。星というか、パチパチとした閃光が視界を覆う。


「いった!!なにすんd」


バチィィィーーン!!!


容赦なく二発目が、今度は左頬を襲う。両頬が熱を帯びてきて、じわじわと鈍痛が襲ってくる。


「痛いって!なんなんd」

「うるさい!ばっかじゃないの?しょうちゃんのせいで、しょうちゃんが突き放したせいで、わたし、どれだけ・・・どんな気分だったかわかる?急に冷たくされて、どれだけ悲しかったかわかる?」

「・・・ごめん。」

よく見ると目尻に涙をため込んで眼球は真っ赤になっている。


「それを今更ごめんだなんだって、いくら何でも虫が良すぎるんじゃない?」

本当にその通りだ。けれど今の僕には謝る以外の術がない。


「本当にごめん。」

「ごめんばっか言わないでよこのキモヲタ童貞ムッツリ陰キャ底辺産廃野郎!」

いや流石に傷つく。悪口の詰め合わせだ。


「しょうがないだろ。俺もお前ももうガキじゃないんだし。いつの間にかお前の事、女子として意識しちまうし、友達なんだかなんなんだかわかんなくなるし、俺だってどうしていいかわからなかったんだよ!・・・わかんなかったんだ・・・」

幼少期は友達以上の関係だった仲も思春期になり、性差を感じ、いつの間にか女子として意識してしまった。それは自然なことなのかもしれないが、それでもずっと戸惑いがあった。今でもある。幼なじみを女子として見てしまう自分自身が汚いもののようにも思えた。どうしていいかわからず、当時の僕にできたのは距離を置くことだけだった。


「そんなの、私だって一緒だよ。」

「え?」

地面に視線を落とした陵から返ってきたのは意外な反応だった。


「そんなの、私も一緒だって言ったの。自分でも気づかないうちにいつの間にか男子として見ちゃうようになって、私だって戸惑ったしどうしていいのかわからなかった。だけど、しょうちゃんを遠ざけるっていう選択肢はなかった。自分の気持ちが整理できないからって、友達を避けていい理由にはならないもの。」

耳が痛い。陵の言っていることはきっと正しい。だけど今の僕には鋭い棘のようにチクチクと痛い。


「じゃあどうすればいいんだ・・・」

縋るように陵に問いかける。


「しょうちゃんはどうしたいの?」

陵からの返事はあっけない。


「俺は・・・分からない。今更男女の意識を無にして接することはきっとできない。だけど今までみたいに距離を置いて変な空気のまま過ごすってのも嫌、かな。」

「ずいぶんご都合主義な話だね。」

「しょ、しょうがないだろ。それが俺の今の正直な気落ちなんだから。」

自分でも都合がよすぎることを言っているのは分かっている。けれど僕はもう二度と自分の手で大事な人を傷つけるような真似をして、自分から距離を置くような真似はしたくない。


「じゃあさ、こうしよう。私たちの関係は今日これから始まるの。昔のような、ただの近所の幼なじみでもない。恋人でもない。対等な友達として。今日から関係がスタートするの。」

「そうだな・・・分かった。陵の提案に乗るよ。」

結局僕の意向を陵は全部受け入れてくれた。曖昧だった関係をきちんと定義してくれた。


 寄り道をした。近くの公園まで歩いて、僕は缶コーヒー、陵はアイスココアを買いブランコに座りなんとなく夕日を眺めた。お互い口を開かない。無言の時だけが流れた。けれどそれは自然と居心地の悪いものではなかった。むしろ心地よくて、どこか贅沢な時間を過ごしているような気がした。


「陵、改めてごめんな。」

「もういいって。その話はおしまい。」

「そっか、じゃあ、ありがとうな。」

「うん。どういたしまして。」

僕らが交わした言葉はそれだけだった。


 夕日が沈みかけてきて辺りを闇夜が覆い始めていた。吹き抜けた風はまだ少し冷たいが心地よい。


 もうすぐ夏がやってくる。今年の夏は今までとは違う。なんとなく青春的な何かが起こりそうな気がしていた。

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