エピソード5・清水 陵との出会い②

2.

 ありきたりな話だが、家が近所の幼なじみで親同士も仲がいいとなると、必然的に子供同士も仲良くなるものだ。そこには特に理由などない。ただなんとなくウマが合うのだ。そして、その関係性が大人へ向かう中で男女差が芽生え、次第と距離を置くようになっていくのもまた必然的な流れだろう。

 僕にとって、陵がまさしくそういう間柄だった。家が近所、というか道路を挟んで真向かいの幼なじみ。親同士も仲が良かったことから、よく遊んでいた。一緒に飯も食った。何なら風呂だって入った。文字通り『裸の付き合い』だ。

 けどそれは幼かった頃の話。もう幼くない僕らにはどうしようもない壁ができてしなったのだから。

 今の僕と陵の関係性は、いわゆる腐れ縁のようなものだ。切っても切れない望まずの縁。そんな腐れ縁の幼なじみをちょっとしたことがきっかけで意識するようになってしまって、実はその子も僕のことを意識していたようで…なんてストーリーをよく見かけないだろうか。実際、僕が見たラノベやアニメなんかではもうおなじみの光景である。

 しかしはっきり言おう。そんな甘ったるい妄想世界のようなことは、現実ではまず起こらない。現実はもっとエッジとスパイスが入り混じった混沌のような殺風景な景色が広がっているのだ。


 中学生の時だったと思う。幼稚園から一緒だった陵は当然の如く同じ中学に通っていたのだが、そんなある日の朝の事、僕の家に陵が迎えに来てくれた時の事だった。


「なぁ陵、明日からもう迎えに来るのはやめてくんねーか?」

そんな言葉を僕のほうから投げかけたことがある。唐突に。別に陵のことが嫌いだったわけではない。ただ、何も知らない周りの連中に「あいつらは付き合っている」とか「仲良し榎野夫婦」なんてことを言われるのが心底嫌だった。からかっているつもり?冗談?ふざけるな。そういった馬鹿げた言葉のせいで僕の学校生活は度し難く居心地の悪いものとなってしまった。


「え、なんで?どうしたの急に。」

不安と悲壮が入り混じったような顔で見つめてくる陵。そんな陵に対して僕は、


「なんだっていいだろ!とにかくもうお前と一緒に学校に行くのは嫌なんだよ。」

冷たく突き放してしまった。


「・・・ごめん。わかった。もう来ないよ・・・」

そういって飛び出す陵。唐突のことで訳も分からなかっただろう。瞼に涙をためて飛び出した。後には玄関のドアが強く叩きつけられる音だけが虚しく響いた。

 そうして僕は選択を誤った。こみ上げてくる怒りの矛先を、からかってきた連中ではなく陵に向けてしまった。陵と距離をとることで周りからの言葉を否定しようとしてしまった。結果僕は大切な幼なじみを一人失ってしまったのだ。


 バスケ部を訪れた翌日、昨晩感じた予感は見事的中し梅雨シーズンの最後を締めくくるように土砂降りとなっていた。雨ばかり続くと流石に鬱陶しいが恩恵もある。ひとつは農家にとってだ。この前も近所のおじさんは、この時期にまとまった雨が降ってくれないと野菜が育たないからありがたいよ、と喜んでいた。

 だがそんなのは僕にとっては直接的なメリットじゃない。もっと直接的な恩恵と言えば・・・


「おっ、早速来たな・・・」

校門に差し掛かると何人かの女子グループが登校してくる。その女子高生グループの制服は皆夏服のため、上半身は白いシャツだけといったスタイルだ。つまり雨に当たると若干透けて見える。

 そう、これこそが僕にとって最も大きい梅雨の恩恵なのだ。たとえ下着ではなくただのインナーだとしても、それだけで男子高校生にとっては十分刺激的だった。気持ち悪い?結構。そんなこととっくに自覚している。童貞なめんじゃねぇ。

 そんな妄想垂れ流しでにやけながら登校していると玄関でやけにスタイルのいいモデルのような女性と遭遇した。僕だって身長が170と数センチはある。しかしたぶん僕よりでかい。それでいてスカートからはスラっと細いのにしっかりと筋肉もついた健康的な脚を覗かせていた。ナイスな腓腹筋とヒラメ筋だ。こんな人うちの学校にいたのか・・・そして例に漏れず彼女も下着が透けていた。


「ピンク・・・」

数秒経ってハッとする。自分でも無意識のうちに思わず声に出てしまっていたのだ。頼む!聞こえていないでくれ!

 そんな祈りも虚しく、モデル系の女性がゆっくりとこちらを振り向く。互いの視線が交錯する。そしてお互いの顔を確認してさらに驚愕した。


「・・・陵。」

「・・・し、しょうちゃん?」

なんてことだ。よりによって目の前のモデル系女性が幼なじみの清水 陵だって?そんな偶然あってたまるか。運命の悪戯にしては冗談が過ぎる。


「おまえ・・・どうしt」

「みた?」

「は?」

喰い気味で陵が問いかけてくる。


「見たのかって聞いてるの。」

なにかって?そんなもの言うまでもなく透けたブラジャーの事だろう。聞かれなくても分かる。さてここはどう取り繕ったものか・・・


① 適当にごまかす

② 見てないと嘘をつく

③ 誠意をもって話す


(よし・・・ここは③しかない!)


「ごめん、凌。そんなつもりじゃなかったんだ。ただどうもそのピンクが無性に気になってしまって…」

「やっぱ見てんじゃない!」

「ま、まて!見た!確かに見た!でもまさか陵だとは思わなかったんだよ。それに俺が一番好きなのは黒だから!」

あれ、おかしな方向に流れて言っているぞ。この流れどうするんだ・・・


「はあぁ?こんな時に何言ってんの?!しょうちゃんのバカ!」

「!っいってぇぇぇ!!!」

またも強烈な張り手が背中を襲う。これでもう二日連続だ。

 そのまま陵は怒って教室へと向かって行ってしまった。玄関に一人取り残される。幸い人通りはほとんどなかった。


「なにやってんだろうな、俺は・・・」

濡れた傘の雨粒を払い、ビニール袋へ入れて教室へと向かう。昨日の蒸し暑さとは打って変わってやや肌寒いくらいだ。ゆっくりと自分の教室へ足を進める。たぶん無意識でも辿り着けるだろう。

 そんな中で僕の思考を支配していたのは、腐れ縁の幼なじみである清水 陵だった。失った時間は戻ってこない。そんなことは百どころか千も万も承知なのだがどうしたって僕は陵のことばかり考えているのだろう。彼女のことが好きだから?それはどこか収まりが悪い。そういう単純なものではない気がする。じゃあ何なのかと言われても今の感情をピタリと定義づけてくれそうな言葉は生憎思い浮かばない。が、この中途半端な距離感を保ったままギクシャクと噛み合わず、上手く回転できないスプロケットのような状態でいるのは絶対に良くないはずなんだ・・・

 何の打開策も思いつかないまま教室までたどり着く。その後のことはよく覚えていない。物理の先生の呪文を唱えるようなボソボソとした説明と、打って変わって無駄に元気な数学の授業、半分は雑談の古典の授業を終えると、あっという間に昼休みになっていた。

 

「よう、相棒。元気ないじゃんか。なんかあったのか?」

向かいに座ったのはもちろん親友の大吾だ。他人の机を勝手に借りて、そこに信じられない大きさの弁当を広げると、小さく「いただきます」と言って食べ始める。


「なんだよ、察しの良いやつだな。そういうイケメンアピール良いから。」

適当に返すが実際ありがたかった。誰かに相談したかった。もう自分の頭でどれだけ考えても、陵との関係改善の打開策がまるで思い当たらなかったのだ。


「折角話聞いてやろうと思ったのにひでぇ言われようだな。」

皮肉を言われても、飯を食いながら笑っている。本当にムカつくくらいのイケメンだ。


「で?何があったんだよ。」

すでに半分くらい弁当箱に空きスペースができている。一体どんな速度で食っているんだ。もはや飲んでいるのではないだろうか?


 陵とのことを一頻話す。幼なじみだったこと。中学の時に僕から突き放したこと。そして最近偶然再会し話したのに距離を感じて以前のように話せなかったこと。そういった始終の話を説明した。今朝見たブラジャーの話は・・・やめておいた。

 相槌を打ちながらただ黙って飯を食う大吾。僕の話が終わるまで待ち、そうしてやっと口を開いた。


「つまり祥真はさ、どうしたいわけ?」

「どうって?」

箸をおいて水筒の緑茶を飲み干すと、大吾は僕のほうに身体を向き直して話し始めた。


「祥真はさ、その清水さんと今後どうしていきたいんだよ。仲直りして、また昔のように戻りたいのか?それとももう関わりあいたくないのか?何を望んでいるんだよ。」

「そりゃできるなら仲良くやっていきたいさ。だけど昔みたいに戻りたいか、って言われるとちょっと違うかな・・・」

「というと?」

「うまく言えないけど、そうだなぁ・・・ガキだった頃のように無邪気に遊ぶってことは無理そうだってこと。もうさ、お互いそうやって何も考えないでつるめるような年じゃないしな。」

そうだ。だから困っているのだ。僕らはもう何も考えずただごめんねと仲直りをして、放課後一緒に遊びに行けるような年じゃない。


「なるほどな。でもさ、それって清水さんのことを異性として意識しているってことだよな。」

「は?」

思いもしなかった答えが返ってくる。そんなこと自分では考えたこともなかった。


「馬鹿言えよ、陵は幼なじみの腐れ縁だぞ?そんなことあるかよ。そんなアニメみたいなこと。」

「ないって言えるか?ここ最近の事、よく思い返してみろよ。」

大吾に言われた通り自分の記憶と感情を思い起こしてみる。そして気づいた。大吾の言う通りだ。透けた下着が気になったのだって、本屋で偶然あった時だって、それにもっと前。そうだ、陵と疎遠になった中学の時。あの頃から既に僕は陵のことを異性として意識していたんだ。


「意識していたからこそ遠ざけるようなことを言ったり、距離をとったりするようなことになったんじゃないのか?」

「・・・っ。」

「どうやら図星みたいだな。」

大吾の言うことに何も返せないでいると、すかさず追い打ちをかけてきた。


「お前の言う通りだよ。だけどさ、それじゃあまるで本当にラブコメみたいじゃないか」

「いやこれラブコメだろ。」

「は?」

「あ、いやすまん何でもない。とにかく感情がぐちゃぐちゃでまとまってないだろうけどさ。一回正直に話してみるのもいいんじゃないのか?清水さんに会って、直接話してみろよ。」

大吾が言い終えると同時にタイミングよく昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴る。


「わかったよ。ありがとうな。」

「おう!こんど飯奢りな!」

こいつの飯奢りは冗談ではない。180センチを超えるガタイの良さから容易に想像できる通り、大吾はかなりの大食漢だ。

 それでも大吾と話して気付いたことがある。僕一人で考え込んでいてもたどり着かなかったこと。陵を異性として見ていること。自分でも無意識のうちに女性として意識していたこと。それが、僕が陵との間に感じていた距離感の正体だった。

 正直どうすればこの距離感を埋められるのか、どうすればまた友達に戻れるのかはわからない。けどこれ以上考えていてもどうにもならない。ここは大吾に言われた通り、一度僕の中の感情をそのまま陵に伝えてみよう。

 そうしてまた退屈な授業が始まる。ふと窓の外に目をやると、さっきまで降り続いていた雨はその勢いを失い、今にも止みそうだった。そして、遠くには青空が見えていた。窓際の生徒が少しだけ窓を開ける。湿った、でも青々とした空気が教室に広がる。気が付くともうすぐそこまで夏が近づいてきていたようだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る