エピソード5・清水 陵との出会い①

1.

 7月13日 長く降り続いた雨の日も、過ぎ去るごとに晴れ間がさす日が増えてきた。梅雨明けもいよいよ間近に迫ってきたようだ。そんな中僕らはというと期末試験も終わり今日からテスト返却の期間に入っていた。

 しかし、多くの生徒たちにとってそれはどうでもよいことであろう。理由は簡単、来週から夏休みへと突入するからである。既にまともに授業に集中している生徒は少ない。みんななんとなく浮足立っているようだ。そしてそれは僕にとっても同じことであった。僕のテストの点数なんて詳しく知りたいもの好きは極少数派だと思われるのでこれ以上は触れないでおこう。まぁとりあえず赤点でなかったとだけ伝えておきたい。

 さて、そんな夏休みも目前に迫った中で会長から託された任務もいよいよ残りひとつとなっていた。最後の部活動は・・・バスケ部だ。活動場所は体育館だろう。放課後となり、特にあてもなく体育館へと向かう。

 しかし今日は特別暑い。ここ2、3日晴れが続いていたからか、気温がぐんぐんと上がっていたようだ。体育館の入り口の扉に近づくと、既にいくつかの活気のある掛け声が聞こえてきた。しかしこうも暑いと室内競技は地獄だろうな…

 入り口の扉を開ける。と同時に熱気が全身に押し寄せる。中に入り、壁に掛けられた温度計に目をやると、5時過ぎにもかかわらず33度を指していた。いくつか外と繋がっている扉が開け放たれているものの風はほとんどなく、まさに蒸し風呂のようだ。そんな熱気で覆われた室内には、グリップの効いたシューズのキュキュッという不規則な音と、反してバスケットボールの規則的なドリブルの音が響いていた。まったくこんな暑い日に青春の汗やらなにやらよく分からない汁まで流す運動部員には頭が下がる。


「さて、どうやって調査したものか・・・」

バスケ部に関しては、友達はおろか知り合いすら一人たりともいない。どうしたものかと練習風景を遠くから眺めていると、入り乱れる部員の中に何やら見覚えのある女子がいるのを発見した。170センチは優に超える長身、男勝りな振る舞い。一見男子と見分けがつかないようなショートカット。間違いない。幼なじみの清水 陵だ。以前本屋で偶然会った幼なじみ。僕の知らない空白の期間に腐女子になっていた幼なじみ。そいつが今目の前にいる。何かの間違いじゃないか?そう思って遠目から何度も確認するも、僕の2.0近くある視力が誤認するわけもない。紛れもなく陵だった。

 彼女が同じ高校に通っていることくらいはさすがに知っていた。けれどクラスも別で選択科目も被らない。部活に関しても僕は帰宅部だ。陵がバスケ部に所属していたということは、今の今まで知らなかった。

 なんとなく目線が陵を捉えたまま離せないでいると、不意に視線が交錯した。陵がこちらを二度見する。さっきまで身軽なフットワークで駆け回っていた陵の足が突如としてその場でピタリと止まる。そしてまるで電池が切れたおもちゃのように、固まったままその場に立ち尽くしていた。その時だった。


「危ない!」

とっさに声をかけるも間に合わなかった。直径約23センチのボールがよそ見をして固まっていた陵の頭部を強襲した。


「陵!」

「大丈夫?!」

「陵しっかりして!」

すぐに練習は中断され、何人かの部員が陵のもとに集まってくる。僕はそれを眺めていることしかできなかった。

 幸い大事には至らなかったようで、すぐに立ち上がり苦笑いを浮かべる陵。そして一度部活を抜けるとすぐにこちらに駆け寄ってきた。


「しょうちゃん!一体なにしてんのよこんな所で!」

「お前バスケ部だったんだな。知らなかったよ。それより頭、大丈夫か?」

外見上特に変化は見られないものの、結構な勢いでバスケットボールが直撃していたんだ。顕著な外傷はなかったとしてもさぞ痛かったことだろう。


「それは大丈夫かな。まぁ少したんこぶができたみたいだけど。それよりどうしてこんな所にいるのって聞いてんの。」

「あぁ、そうだったな。実は生徒会の用事で来たんだよ。このバスケ部を訪ねて、な。」

警戒心を煽るようにわざと意味深な言い回しで不敵な笑みを浮かべてみる。


「え、ヤバい。私たち生徒会に目をつけられるようなこと何かしたっけ?」

明らかに不安を纏った形相をして青ざめていく陵。そわそわと落ち着かない。どうやら悪戯が過ぎたようだ。


「すまんすまん。ちょっとふざけすぎたな。そんな大ごとじゃないから安心してくれ。」

「はぁ?なんだよ驚かさないでよ馬鹿!」

怒った陵の平手が僕の背中を襲う。バチンという鈍く大きな音が響く。


「あいたーーー!」

いや本当に痛い。冗談ではない。体型に比例して、陵の手は大きい。何より力がある。そんな陵の平手が何の加減もなく僕の背中を襲ったのだ。


「なになにー?陵、彼氏ー?」

「イチャイチャしてないで、練習もどんなよー。」

何人かの部員が集まってきた。こういう空気は何度か味わったことがある。そして言わずもがな予想できると思うが、僕はこういう空気が苦手だ。

 陵と疎遠になってしまったのだってもとはと言えば・・・


「そんなんじゃないですよー。」

とりあえずの作り笑いで返事をしておく。いくらコミュ障とはいえ、そのくらいのスキルはある。しかし女子高生の関心はこんなものでは収まらない。キャッキャキャッキャと何やら騒いでいる。


「なぁ陵、とりあえずバスケ部の部長を呼んでくれるか?さっきの話をしたいんだ。」

「え、あぁうん。分かった。」

どうやらまだ腑に落ちていない様子だが、陵は部長と思われる女性の元へと駆け寄ると何やら話し込み、そして暫くするとその女性を連れて戻ってきた。


 宮本と名乗った部長と思われるその彼女に、事の次第を説明する。富士宮生徒会長による仕事であることを伝えると、快く応じてくれた。僕と宮本部長とそれをやや離れて見守る陵という謎の三角形が形作られたまま、部長が口を開いた。

 部活に興味がない僕のような人間にとって、母校の部活が強豪なのか弱小なのかといった話は至極興味のない話だった。故によく知らなかったのだが、どうやらうちのバスケ部は全国でもなかなかの強豪らしい。とりわけ女子バスケ部は全国でもベスト4常連の名門校とのことだった。ちなみに、その中でも陵はエースのような存在で、次期部長候補として期待されている選手だということを、宮本部長は事細かに教えてくれた。聞いてもいないのに。


 一頻ひとしきりの説明を聞かせてもらい、感謝と挨拶を告げると部長は足早に練習へと戻っていった。何か言いたげな表情を見せながらも、その後を追うように陵もチームの元へと戻っていく。それをただ眺めるように見送ると僕もそそくさと体育館を後にした。

 結局陵とは大した会話も交わすことなくまた今まで通りの日常へと戻ろうとしている。失った時間はあまりに大きい。今更昔のように、子供だったあの頃のように、何事もなかったように接することなんてできるわけがない。

 体育館の扉を閉めると教室に帰って荷物をまとめ帰宅の途に就く。夕日が沈みかけて辺りが薄暗い。黄昏時というやつだろうか。この時間の景色は好きじゃない。切なくて、虚しくて、そしてどこか物悲しい気分になる。


「くそ、なんだって今更・・・」

ひとり呟きながら逃げるように家を目指した。

 失ったものは戻らない。過ぎ去った時間も。大切な友達も。先に悔やめないから後悔。自分の手で壊したものを今更欲しがるなんて、我ながら傲慢だな。

 過ぎ去った時間は振り向かないようにしている。意味がないからだ。生産性のない行為だからだ。だから昔を惜しんだり懐かしんだりするようなことはしない。なのにこうも強く陵との思い出を回顧してしまうのはなぜだろう。僕はどうしたいんだ。自分でもわからない。もやもやとした僕の気持ちを映したかのように夕陽は沈み、瞬く星々を何かから隠すように夜空を雲が覆い始めた。どうやら明日は雨になりそうだ。

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