エピソード4・用宗 維織との出会い②

2.

 7月5日 翌朝僕は風邪をひいた。だろうな、という冷ややかな目が痛い。どうやら昨日の寒気と疲労感、そして勉強に集中できなかったのは純粋に風邪のせいだったらしい。なにが『これが恋というやつなのか』だ。恥ずかしいわ。 

 朝目が覚めると、これでもかというほどの熱が出た。そのまま学校は休んだが、立つことすらもままならず、その後なんとか意識が少しはっきりしてきたのは既に夕方であった。

 何か飲み物を…そう思ったがキッチンまで降りるのも難しそうだ。立ち上がろうとするもよろめいて、再びベッドに倒れることしかできなかった。机の時計に目をやるも、視界がかすんでよく見えない。とにかく頭がぼーっとする。心細い。なんと無力なことか。もしかしたら僕はこのまま家族が帰ってくる前に意識がなくなるのではないだろうか。

 誰もいない家の静けさと孤独感、そして体調不良から思考がどんどんネガティヴになっていく…

 

「ただいまー」

いつの間にかまた眠ってしまっていたのだろう。どれくらいたったのか、誰かの声と玄関の扉が開く音で目を覚ました。おそらく帰ってきたのは千珠葉だ。両親が帰ってくるにはまだ早いし、熱発した高校生の息子のために早退するほどうちの両親は過保護じゃない。とことこと階段を上り近づいてくるのがわかる。


「兄さん。入るよー」

そう言い終わるより早く千珠葉が部屋に入ってきた。確認するなら入る前に言ってほしいものだ。


「いやもう入ってるじゃん。」

「へー、元気そうだね。」

「本当にそう見える?」

「どうだか、それより兄さん。今日何も飲み食いしてないんじゃない?今日1日ここからほぼ動いてないでしょ。とりあえずこれととれ飲める?」

そう言ってカバンからコンビニのレジ袋を取り出すと、僕の枕元にペットボトルのスポーツドリンクを1本とゼリー飲料を1個並べて置いた。なかなか鋭い。こういうところは、我が妹ながら本当に尊敬している。千珠葉は細かい所によく目が行くのだ。


「ありがとうな、千珠葉。それじゃあありがたくいただくよ」

「どういたしまして。じゃあ500円ね。」

前言撤回。やっぱりこいつは優しくなんかない。がめついやつだ。病人に恩を着せて金をせびるとは恐ろしい妹だ。


「わかったよ…まったく恐ろしいやつだな」

そう言って千珠葉のくれた、もとい千珠葉に買わせられたペットボトルに手を伸ばそうとしたそのときだった。半開きのままの部屋のドアの隙間から誰かの視線を感じた。


「ひっ…」

「なにそのキモい声、どうしたのよ」

千珠葉が明らかに冷めた視線をこちらに向けてきた。


「いや千珠葉さん、やべぇよ…俺ついに見えちまったよ」

こっそりと耳打ちをする。千珠葉の表情は相変わらず、意味わかんないんですけど。といった呆れた表情だ。


「なに言ってんの?何の話してんのよ」

「いやだからさ、あれだよ。霊的な奴だよ。その、さっきからさぁ、ドアの隙間からこっちを見てくる奴がいるんだよ。しかもガン見だぜ。はっきりとこっち見てんだよ、どうするよ。」

そう言い切る前に千珠葉が大笑いする。


「兄さん、やっぱバカなんだね。熱のせいでさらに拍車がかかったんじゃない? ってかさ、それせっかく来てくれたお客さんに対して何気に失礼でしょ。」

何が言いたいのかさっぱりわからない。


「千珠葉さん、何を言ってるのか意味わからないんですけど。」

「だからさ、今日は兄さんに会いに一人お客さんがきてるんだよ。入っていいよー」

そう言いながら、千珠葉はドアのほうを見て手招きした。お客さん?さて誰だろう。悲しいことにわざわざ僕の家に訪ねてくるようなクラスメイトに心当たりはない。あるとしたら大吾くらいなものであるが、生憎彼は部活の真最中だ。今頃はグラウンドで練習だろう。

 ふと考えていると、ドアがゆっくりと開きそして見慣れぬ少女がゆっくりと入ってきた。

 

「あ、あの、、、昨日はかs…ありがとうございましt…」

よく聞き取れない。また熱のせいか視界もはっきりとしない。声は女の子のようだが誰なのかがよくわからないままだ。


「ごめんね、ちょっと体調が悪くってよく目が見えてなくて…」

そういうと女の子は俯いてしまったが、もじもじしながらまた口を開いた。


「き、昨日傘を貸していただいて、そ、その、本当にありがとうございました。どうにか持ち主を探して、きちんとお礼がしたいって思って。そしたら千珠葉ちゃんが…」

消え入りそうな声で必死に祥真に訴えかける。何とか聞き取りながら僕は、やっとこの女の子が誰なのか見当がついた。


「あ、そうか。君は昨日帰るときに玄関にいた…」

そう話すと女の子の表情がパッと明るくなったのがわかる。


「気づくのが遅いわよ。そっ、この子はうちのクラスメイトの用宗 維織もちむね いおりちゃん。今日の朝ね、昨日帰るときに男の先輩から折り畳み傘を貸してもらったからきちんと返してお礼がしたい、って相談されたの。」

見かねた千珠葉が間に割って入ってくる。どうやらこのまま僕と用宗さんの二人で話していても埒が明かないと判断されたらしい。まぁ実際その通りなので渡りに船である。


「そっか、用宗さんっていうんだね。わざわざありがとう。ところで昨日僕は恥ずかしながら、名乗りもしないで走り去っていってしまったというのにどうして僕を探し当てることができたのかな?」

確か昨日僕は、あまりの恥ずかしさと情けなさから自分が何者なのかも打ち明けることができずにこの少女の目の前から逃亡してしまった。同じ学校の先輩だということくらいは分かったとしても僕の学年は200人ほどの生徒がいる。男子だけでも100人程度だ。その中から昨日はじめて会った先輩を探し当てるなんてそう容易なことではないはずだ。


「兄さん、なんでそんな馬鹿なの…妹として情けないよ」

千珠葉がわざと演技らしく振る舞う。いまいち状況が呑み込めない僕に対して、用宗さんは恥ずかしそうに僕の貸した折り畳み傘を開き始めた。


「あの…ここにばっちり名前が書いてあって…それもひらがなで…『えの しょうま』って。だから今朝まず初めに千珠葉ちゃんに『千珠葉ちゃんはお兄さんっている?』って相談しました。そしたらすぐに榎野先輩のことを教えてくれて・・・」

「そういうこと。これでわからないほうがどうかしてるよ。まったく…だからね、その時多分うちの兄さんのだと思うって教えてあげたんだよ。その時の維織ちゃんったらめっちゃ驚いていたんだから。」

千珠葉が呆れたようにこちらを見つめる。なるほど話が見えてきた。どうやら昨日僕が玄関で遭遇した少女は一年年下で、千珠葉のクラスメイトの用宗 維織さんというらしい。昨日貸した折り畳み傘を確認してみたところ、僕の名前がばっちり書かれていて、翌日千珠葉に僕のかどうかを確認したと。確かにそれはお恥ずかしい限りだ。


「あ、あはは…なんともお恥ずかしい。その傘さ、実は5年くらい前から使っててね。確か小学生の時だったかな、母さんが柄の部分に名前を書いてくれたんだよ。小学校高学年だったってのになぜか平仮名でね。まぁそのおかげで今こうしてすぐに手元に帰ってきたんだけどね。」

照れ笑いしながら用宗さんを見ると、やや緊張が解けたのか少し微笑み返してくれた。太陽やヒマワリのような笑顔とは少し違う、例えるなら月光のような優しい笑顔だ。


「兄さん、とりあえず私は晩ごはんの準備してるから。ちゃんと改めて維織ちゃんに挨拶してよね。」

そう言い残して千珠葉が部屋を去り、1階のキッチンへと向かった。と同時に僕の部屋には僕と、昨日はじめて会った用宗さんという少女の2人だけになった。部屋の中は一気に静寂に包まれる。


「えっと…用宗さん、改めて昨日は急に声をかけてごめんね。驚かせちゃったよね。それにわざわざ傘を届けに来てくれてありがとう。なんだか恥ずかしい所ばっかり見られちゃって情けないな。とにかくありがとうね。」

 当たり障りのない言葉しか出てこない。こういう時にコミュニケーション能力が高い低いかってのが問われるのだろう。そして僕はお察しの通り後者である。まったくどう話を広げていいのかわからない。

 

「いえ、そんなことないです!そ、その確かに昨日は少しびっくりしましたけど…私うれしかったんです。それに、先輩こそ私のせいで風邪をひくことになってしまって、本当にすいません。」

用宗さんも俯いてしまう。何とかしてこの場の雰囲気をよくしないと。こんな時は…


① 千珠葉とのことを聞く

② 恋愛について聞く

③ スリーサイズを聞く


(なんでこんな選択肢しか思い浮かばないんだ…経験値がまだ足りていないからなのか! まぁとりあえず③だけは絶対にないことは僕にでもわかるぞ。ここは無難に①で話を広げたほうがいいかな。よし)


「いや、風邪は僕の不注意だよ。用宗さんにめっちゃ引かれていたらどうしようってそれだけが不安だったから、どうやらそれはなさそうで安心したよ。」

「引いてなんてないですよ。私のほうこそ、おどおどしてうまく話せなくてすいません…」

「全然気にしなくていいよ。僕だって今も緊張しまくりだからね。ところで用宗さんは千珠葉と同じクラスなんだよね。どう?あいつ。千珠葉にいじめられたりなんかしてない?」

それとなく学校での千珠葉の様子を聞き出す。そうしたほうが用宗さんも話が広げやすいのではないかと思ったからだ。


「いじめなんて、とんでもないです!千珠葉ちゃんはとっても優しいんですよ。誰に対しても優しくて気が利くし、男女問わず人気が高いし、隠れファンだっているんですよ。」

「へぇ、千珠葉にファンね・・・家だと全く優しさなんて感じないけどなぁ。」

どうやら僕の知る千珠葉と学校での千珠葉とでは乖離があるようだ。それに隠れファンの話も意外だった。僕が言うのもなんだが容姿は悪くないと思う。というか寧ろ良いほうだろう。だけどそれを補えない程に(少なくとも僕に対しては)あたりがきつく、言葉遣いも荒い。


「あー、先輩!信じてないでしょう!千珠葉ちゃんの話、本当なんですよ!」

真剣な顔つきになる。どうやら千珠葉のことを本当に大切に想ってくれているらしい。兄としては嬉しい限りだ。


「ごめんごめん、それにしても用宗さんは本当に千珠葉の事が好きなんだね。話していて伝わってきたよ。」

「えっ、あ、それは・・・もちろんです。千珠葉ちゃんは、私にとって特別大事な友達なんです。私、この通り人と話すのがあんまり得意じゃなくて・・・特に男の人がとても苦手なんです。だから入学した時からずっと、クラスの誰にも話しかけることができませんでした。そんな中初めて私に話しかけてきてくれたのが千珠葉ちゃんでした。それから毎日私とお話ししてくれるんです。だから千珠葉ちゃんは私にとって特別な友達なんです。」

感極まったのか、目尻にうっすらと雫を輝かせ、用宗さんが千珠葉との出会いについて教えてくれた。潤んだ瞳に差し込んだ夕日が反射し黄玉のように光り輝く。熱心に語るその顔は、つい最近まで中学生だったとは思えない程大人びて見えた。


「そっか。じゃあ用宗さんにとって、千珠葉は特別な存在なんだね。今話していてすごく伝わってきたよ。千珠葉のことだと、用宗さんよく話してくれるね。それとさ、今僕とは普通に話せているじゃん。」

どうやら相当慕われているようだ。それに千珠葉のことと用宗さんはよく喋ってくれる。千珠葉のことを聞いたのは正解だったようだ。


「あ、ほ、ほんとだ・・・す、すいません!わたしついしゃべりすぎてしまって・・・でも、お兄さんなんとなく雰囲気とか、千珠葉ちゃんに似ているんです。だからなぜか話しやすくって。」

「そっか、じゃあこれからは千珠葉だけじゃなくて、僕とも話してくれると嬉しいな。実は僕も女子があんまり得意じゃなくて・・・とりわけ、関わりの薄い女子とはうまく話せないことが多いんだ。だから用宗さんの気持ち、少しわかる気がするな。だから、僕と話すのが苦にならないんだったら、またいつでも話しかけてよ。それと、僕のほうからも話しかけてもいいかな?」

「もちろんです!先輩、ありがとうございます。本当に嬉しいです!」

さっきまで潤んでいた瞳から雫が一粒零れ落ちる。と同時に優しい笑顔を向けてくれた。緩みかけていた緊張の鎖も一気にちぎれたのか、さっきまでの強張った表情は見られない。少しは打ち解けることができたようだ。


(こんな表情もするんだな・・・)

一年後輩の長人見知り少女。だけど懐いてくれるとよく笑ってくれる後輩。なる程、彼女はもしかすると僕のヒロイン候補になりうるのかもしれない。


「二人ともー、ご飯できたけどどうするー?」

一階のキッチンから千珠葉の声がする。時計に目をやると既に六時半になろうかとしていた。

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