エピソード3・片浜 京との出会い③
3.
「ねぇ兄さん、最近何か変わったことはあった?」
その日の夜、夕飯の後唐突に千珠葉からの追及があった。彼女作りに関して、何の進展もないことを気にしていたのだろう。妹に余計な気遣いをさせるとは情けない限りだが。
「そうだな、報告できそうなことは特に何も。だけど片浜先輩っていう3年の先輩に会ったよ。」
「へぇ~。ん?え?片浜先輩?片浜先輩ってあの片浜
「いや、普通に失礼だな。てか
妹は中々顔が広いらしいのだが、まさかここまでとは思わなかった。これはいよいよ学校で下手なことはできないな。
「そりゃそうだよ。片浜先輩、富士宮先輩とはまた違った意味で有名人だし。そもそも本当に在学しているのかすら怪しまれていたからね。まぁ直接会ったことも見かけたこともないから、あくまで噂レベルで知っているってだけなんだけどね。それにしてもいいなぁ。私も片浜先輩に会ってみたいなー。」
珍しく興奮しながら話す千珠葉。どうやら片浜先輩に興味がるようだ。実物は大分変わり者のヘテロドキシーな女子高生なのだが。
「やめといたほうがいいぞ。あの人実際話したら結構な変わり者だった。」
「へー、どんなところが?」
「そうだな・・・僕に向かって『私を惚れさせてみなさい』だって。意味わからないだろそんな唐突にさ。」
興味津々といった表情で僕の話に聞き入る千珠葉。これは全て話すまで許してくれなさそうだ。仕方がないので今日起こったエピソードの始終を一通り千珠葉に伝える。
「なるほどね。でもさ、そんなことある?そんなアニメとかマンガみたいなこと言う人が実際にいるなんて、ますます直接会ってみたくなってきたなー。しかも部活動なのに部員は片浜先輩ただ一人って、そんなのありえないでしょ。」
至極まっとうな意見だ。しかし片浜先輩は嘘をついているようには見えなかった。
「そうだよな、おかしいよな。明日富士宮会長に会いに行ってみるよ。会長なら化学部の真相を知っているだろうからな。」
結局化学部については何もわからないままだ。片浜先輩に聞いてもどうせまた適当にはぐらかされて何も教えてくれないだろう。ひとまず生徒会長から情報を集めるのが有効だろう。
翌日の昼休み、僕は早速3年の教室がある3階へと向かった。のだが、たどり着いてから気づいてしまった。そう、僕は富士宮会長の教室を知らないのである。さて、どうしたものか・・・
とりあえず適当に廊下から各クラスを覗いてみようとしたその時だった。
「ダレヲオサガシィ?」
「うわあああああああ!!!」
またしても耳元で女性の囁くような声が聞こえた。廊下にいた何人かが一斉にこちらを注視したが、そんなことには構いもせず走り去る。そうだ、こんなことをするのは一人しかいない。
後ろを振り返るとやはりいた。サイコ先輩、もとい片浜先輩が満足げにこちらを眺めてニヤついていた。
「なにやってんすか!」
「なにやってんだろうね。榎野君を見るとついおどかしたくなるのよ。何回やっても新鮮な反応をありがとう。」
またこの人は僕をおもちゃにして遊んでいる。いや、今はそれどころじゃない。
「ありがとう、じゃないですよ。それに、今は先輩に遊ばれている暇はないんですよ。」
「遊ばれている自覚はあったのね・・・それよりどういうことかしら。まるで忙しい人のような口ぶりね。榎野君の分際で。」
「分際って・・・僕は富士宮先輩に用事があってきたんです。」
まったく相変わらず自分勝手な人だ。こっちのペースなどまるで無視である。このままでは昼休みが終わってしまうので片浜先輩との話はそろそろ切り上げて、富士宮先輩探しに戻らなければ。
「へー、そういうこと。大方化学部が本当に私だけなのか確かめに来たんでしょ。だとしたら時間の無駄よ。」
「え、なんでわかったんですか?」
「逆に聞くけど、昨日の今日で響子に用事があるってそれもう私のこと以外他にある?」
図星だ。しかし富士宮先輩のことを下の名前で『響子』と呼ぶということは、それなりに親しいのだろう。それは少し意外だった。
「先輩、富士宮会長と面識あったんですね。」
「まぁね、そんなことはどうでもいいじゃない。」
またはぐらかされた。しばらくまじまじと見つめてみる。
・・・
「・・・まったく、しょうがないから教えてあげるわよ。響子と私は同じ教室なの。『3‐A』特進クラスよ。」
「特進クラス?ってことは二人とも難関大学志望なんですね。」
僕が通っている静翔高校は一応進学校だ。2年の学年末に進路志望調査を行い、進学組と就職組に分けられる。その中でもAクラスは国内の難関大学や、海外大学志望の生徒だけが集められるいわばエリート集団なのだ。僕も2年なのでもう他人事ではなく自分の将来について考えなければならない。とは思っていても実際はこの通りだ。進路よりも彼女を作ることに心血を注いでいる。
「うーん、そうなんじゃない?私はどうでもいいけどね。」
「え、それってどういうことですか?」
なんとも曖昧な回答だ。自分のことだというのにまるで興味がないような話しぶりだった。
「ん?まぁそんなこと今はどうでもいいじゃない。いつか私が話したくなったら教えてあげる。それより今は響子に用事があるんじゃなかったの?」
「あ、そうでした・・・片浜先輩、教室教えてくれてありがとうございました。」
「あーはいはい、じゃあもう行きなさい」
気怠そうに髪を掻きながら僕を追い払うジェスチャーをする。もう用はないといった様子だ。
片浜先輩につかまったせいで10分は無駄にしてしまったようだ。まぁそのおかげで教室を教えてもらうことができたわけだが。
さて、言われた通り『3‐A』にたどり着いた。後ろの扉からこっそり教室の中を覗いてみる。教室の造りなんかは基本的に1年から3年までほとんど同じだというのに、3年生の教室というだけで何故か緊張してしまうのは僕だけではないはずだ。
こっそりと中の様子を窺う。みんな机を並べて食事中のようだ。昼休みなのだから当たり前なのだが。楽しそうな会話が聞こえる。昨日見たテレビの話や好きなアイドルの話、中には今日発売されるライトノベルの新刊の話をする声も聞こえて少し安心する。そうだよな。3年生って言ったって歳は1つしか違わないんだ。態度は大人に見えたってこういうくだらない話や馬鹿なことだってやるよな。
なんとなく安心してまた扉からこっそり中を覗こうとしたその時だった。
「榎野君?こんなところで何をしているの?」
「うおぁ?!」
勢い余って目の前の扉にぶつかる。廊下にバァンと大きな音が響き、頭部にはじわじわと鈍い痛みが走った。
「ちょっとちょっと、大丈夫?」
そこにいたのは富士宮会長だった。すぐさま僕を起こし額に手を当て撫でてくる。細くて真っ白な少し冷たい手が、熱を帯びた額に触れると心地がいい。と同時に今起こっていることを頭の中で整理する。状況が呑み込めると一気に恥ずかしさがこみ上げてきて思わず距離をとってしまった。
「か、会長、どどどうしてここに?」
「どうしてって、ここ私の教室だもの。」
「あっそっか。そうだった・・・」
「榎野君大丈夫?大分強く頭ぶつけていたけれど・・・」
「だ、大丈夫です。それより会長、会長に聞きたいことがあったんです。」
まだ鈍く痛む額を抱えて立ち上がると、頭部がドクンドクンと鼓動を打つように痛む。だが休み時間ももう半分を切っていた。とにかく会長に化学部のことを確認しないと。
「実は化学部に行きました。部活動の査察の一環で。」
「そっか・・・じゃあ京ちゃんに会ったんだね。」
特に驚く様子もなく淡々と話す富士宮先輩。だけどその表情はどこか愁いを帯びていて、少し悲しげにも見えた。
「会いましたよ。中々に個性的なキャラクターの方でしたね。それより片浜先輩に聞いたら部員は自分ひとりだって言っていましたけど、何かの間違いですよね?」
「なるほどね。じゃあ榎野君が今日ここに来たのは、その辺の内情を確認するためってことね。残念、せっかく私に会いに来てくれたのかと思ったのに。」
そんなこと思ってもない癖に。そんな見え透いた冗談には騙されないぞ。と言いたいところだが会長にこう言われて嬉しくない男がいるわけがない。
「で、本当の所どうなんですか?」
ニヤつきそうになるのを必死で堪え問いかける。
「・・・京ちゃんの言っていることはね、およそ本当よ。今現在、化学部は”実質”京ちゃん一人の部活なの。」
「実質?どういうことですか?」
「榎野君、部活として認められる条件の一つが、『部長含め部員が6名以上いること』っていうのは知っているわよね。簡単に言うと、京ちゃん以外は幽霊部員なの。というより、部を存続させるために他の生徒から名前だけ借りているのよ。」
「え?会長それを知っていて、黙認しているんですか?」
「そうせざるを得ないのよ。京ちゃんはね、化学部として実績を残しているし、国立大学のゼミと協力して共同研究や論文の作成もしているの。だから私としてもある程度成果を出している化学部を廃部とまではできないの。」
なるほど。どうやら片浜先輩の研究は学校のネームバリューを挙げるのに一躍買っているというわけだ。そのため生徒会としても学校としても、実際活動しているのが一人だけとわかっていてなお迂闊に手出しできないのだ。
「わかりました。じゃあ会長も承知の上なんですね。であればこれ以上追及するのはやめにします。」
「話が早くて助かるわ榎野君。色々と動いてくれてありがとう。それと、よかったらね・・・これからも京ちゃんと仲良くしてあげてほしいの。実際に話してみて分かったかもしれないけれど、京ちゃん変わっているでしょう。だからあんまり話しかけてくれる生徒もいないみたいなの。だから榎野君と話せるのが嬉しいんだよきっと。たぶん自分でも気づいていないんだけどね。」
「そうだったんですね。分かりました。僕にできることなら協力させていただきます。」
「よろしくお願いするわね。」
丁度よく予鈴が鳴る。気が付くとほかの場所で昼食をとっていた生徒も午後からの授業に備えて戻ってきていた。
「じゃあ榎野君、そろそろ私も戻るわね。」
「はい、僕も戻ります。お時間いただきありがとうございました。」
「うんうん、こちらこそ。じゃあ榎野君、またね。」
こうして富士宮会長と別れ、午後の授業のため教室に戻る。まだまだ謎の多い化学部と片浜先輩。そして片浜先輩の実験。片浜先輩を惚れさせることができるのかといった実験。考えることは山ほどある。だけど不思議と憂鬱な気分ではなかった。
6月半ばの梅雨本番。少し窓を開けると、湿った土の匂いが鼻を撫でた。
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