エピソード3・片浜 京との出会い②

 翌日の放課後、約束通り化学実験室へ向かう。正直全く気が乗らない。何とか行かなくて済む方法を模索したが全く思い浮かばなかった。バックレることもできないわけではなかったが、後々何をされるか見当もつかないためそれも却下とした。

 そうこうしている間にくだんの場所に到着する。ドアの取手に手をかける。鍵は…閉まってないか…ということつまりこの中に居る可能性が高いということになる。誰がって?あの訳の分からん天才・片浜 京先輩に決まっているだろ!

 ドアを横にスライドさせ教室に入る。その時だった。


「失礼しまぁ、ってうわぁぁ!!!」

驚いて後ろに二、三歩仰け反ってしまう。なんとドアを開けると目の前には片浜先輩がこちらをじっと見つめながら仁王立ちをしていた。


「先輩、何してるんですか。驚かさないでくださいよ…」

まだバクバクする鼓動を落ち着かせながら問いかけてみる。


「いやーそろそろ来る頃かなぁと思って待ち構えておいてみたよ。」

ニヤニヤとこちらを眺めながら楽しそうに笑う片浜先輩。まったく悪戯好きな人だ。いまいち本質が掴みづらい。謎の多い先輩だ。


「僕を弄ぶのはやめてくださいよ…それより昨日言ってた実験の手伝いですけど、僕は具体的に何をすればいいんでしょうか?」

「細かいことは良いじゃない。」

「いや良くないですよ、僕は何をすればいいんですか?」

僕を適当にあしらってまた今日もココアを飲んでいる。こちらからの質問は適当に受け流される。あくまで自分の好奇心や欲求さえ満たされればいい、といった印象だ。


「あーはいはい、面倒な後輩君ね。まぁいいわ。昨日言った通り実験に協力してほしいの。」

腕を組んで話し始める片浜先輩。そのせいで、制服の上に白衣という厚着スタイルでありながらしっかりと胸が強調されている。昨日は気付かなかったが相当な大きさだ。男というのは不思議なもので、気にならなかったそれに対して、一度意識が向くと気になって仕方がないのだ。チラチラ見てしまうのだ。仕方ないのである。男の性だから。

 しかしなぜ一度胸に目が行くとずっと見てしまうのだろうか。昨日は気にも留めなかったのに、強調されたそれが目に入った途端目を逸らせない。むしろ凝視してしまう。


「・・ん、・・・くん。…榎野君!」

「はっはいぃ!?」

思考の世界から我に返る。まずい、何も話を聞いていなかった。頭の中が真っ白だ。いや、正確には頭の中はおっぱいでいっぱいなのだが。


「榎野君、聞いてた?何か別のこと考えていたでしょ。」

図星だ。ここは素直に謝るべきか…


① 正直に話して謝罪する

② 論理的に取り繕う

③ 適当にごまかす


「すいません先輩、実はその・・・おっ、いが気になってしまって」

「え?なんて?」

耳に手を当て聞き返してくる。ええい、もうどうにでもなれ。


「先輩のおっぱいに気をとられて全く話を聞いていませんでした!!」

言ってしまった。しかも僕にしてはかなりの声量で。恥ずかしさから先輩の顔をまともに見れない。


「素直でよろしい。」

「え?それだけですか?」

淡白な反応に意表を突かれたような感覚だ。


「それだけって、逆に何かしてほしいの?そのほうが引くんですけど。」

「僕はそんな高度な変態じゃないですよ。」

「あっそう、まぁどうでもいいわ。じゃあ話しを聞いてなかったしょうがない榎野君のために仕方なくわざわざもう一度説明してあげるわね。」

呆れたようにため息を一つ漏らして片浜先輩が説明をする。


「ぐっ・・・お願いします・・・」

「実は今ある実験をしているの。それに付き合ってくれないかしら?」


そう言って身を寄せてくる片浜先輩。いや近い近い!!


「実験?結局実験ってなんなんですか?」

さりげなく少し距離をとる。年頃の男子高校生には刺激が強すぎる。このままでは理性が保てなくなりそうだ。


「そうね、流石にそれくらいは教えておかないとね。」

散々人をからかって満足したのか、片浜先輩は丸椅子に腰をかけると、特に見晴らしがいいわけでもない窓の外を眺めながら淡々と話し始めた。


「榎野君さ、誰かを好きになったことってある?今までの人生の中で一度でも。」

「え?なんですかいきなり・・・そりゃあまぁ17にもなれば流石に一度くらいは…」

「そっか。私はね、ないの。一度も。」

「そんな…」

「本当よ。一度もない。それどころか異性同性問わず私は他人に興味が持てないの。別に自己愛が強いってことでもないのよ。だけど私の興味は物理的法則や科学的な事象についてだけだった。この世の中の不思議のほうが他人の感情よりも何倍も興味深かったの。」

「それってすごいですね・・・僕にはよくわからない感情だ。」

やはり天才なのだろう。僕のような一般的な、というか何か特別な才能や個性を持った人間ではない者にとっては全く理解の範疇を超える思考である。


「そういうこと。」

「えっと・・・どういうこと?」

「榎野君、今私の言ったことに対して『僕にはよくわからない感情だ。』って言ったわよね。そういうことなの。私にとってもまさしくそれなのよ。」

言っている意味が分からない。それを察したのか片浜先輩もがため息を一つ漏らし、ココアを飲んでからまた話してくれた。


「だからね、榎野君に私の言っていることが理解できないように、私にとってもみんなの恋愛だとか興味だとか、他人からの評価だとか、そういったものが何なのか、何の価値があるのかが全く理解できない。全く分からない感情なの。」

「なるほど。共感はできませんが片浜先輩の言いたいことは伝わりました。それで、そのことが実験とどう関係しているんですか?」


そうだ。熱く語ってしまっているが、そういえば何の実験をしていて、何に協力すればいいのかを聞きたいのであった。


「まぁ聞きなさい。あのね、興味が出たの。他人への関心や好意、他人への評価、異性への欲求、そういうものが何の役に立つのか、なぜ私以外がそういうどうでもいいようなことに固執するのか。そしてあたしも誰かに関心を持つ時が来るのか、異性に興味が持てるのか、持てたとして、どんな男なのか。単純に知りたくなったのよ。だから榎野君、私を惚れさせてみてよ。それがこの実験におけるあなたの役目。」

「は、はいぃ~?先輩、流石に話がぶっ飛びすぎてますって。第一僕だって恋愛経験なんてほとんどないです(いや、正式には全くないのだが)し、僕みたいな普通の人間がどうやって先輩を振り向かせたらいいのかなんて検討もつきませんよ。」

自慢ではないが僕は今までに一度も彼女どころかいい感じになった女子がいないのだ。そんな恋愛初心者に校内一の天才で変わり者のマイノリティ全開な先輩を振り向かせるなんて難易度が高すぎる。


「逆よ逆。榎野君ってさぁ。普通だよね。だから意味があるの。もしも何か才能に恵まれた人を私が好きになったとしたらそれはその人の個性や特殊性に惹かれた可能性だって捨てきれないじゃない。でも榎野君は何にもない。いたって普通の、何の変哲もない男子生徒じゃない。」

論理的に、でも確かにディスられている。僕が傷つかないとでも思っているのだろうか。否、案外簡単に傷つくのだ。


「先輩馬鹿にしてるでしょ。」

「そんなことないわよ。まぁとにかく、普通であることがこの実験の重要な要素なの。いい?あなたは被検体なの。被検体にとって一番重要なのは普通であることよ。普通が最良の被検体なの。だからこれは榎野君しかできないのよ。」

「褒められて言うのか貶されているのかわからないんですが・・・」

「まぁ受け取り方は任せるわ。好きにして頂戴。で、やるの?やらないの?」

そんなのすぐ答えられるわけがない。しかし、こちらをまじまじと見つめる片浜先輩の視線は、このことを持ち帰ってゆっくり考える、という選択肢を許してくれそうになかった。どうするべきか・・・


① 大人しく実験に協力する

② さりげなく拒否するも結局実験に協力する

③ とりあえず協力する


いや協力する以外の選択肢がないのだが。まぁそうだよな、どう考えてもできませんなんて言える雰囲気じゃないし。


「わかりました。僕でよければやらせていただきます。」

「さすが榎野君。君ならそういってくれると思っていたよ。」

「でも先輩。僕は先輩のことをよく知りません。だからまずは片浜先輩のことをもっと知りたいです。これから先輩の傍にいさせてください。」

「え、キモ。」

「え?」

「いやキモいんだけど。その発言は普通に気持ちが悪いよ榎野君。てかさ、私が言うのもなんだけど、榎野君彼女とかできたことないでしょ。なんかさっきの言い回し、童貞丸出しだよ。なんかのエロゲーのセリフそのまま言われたのかと思った。」

妹の千珠葉以外で面と向かってキモいといわれたのは何時ぶりだろう。中々に効いた。なんならちょっと泣きそうだ。


「まぁいいや。榎野君の好きにして。やり方は榎野君に任せるから。」

そういって片浜先輩は丸椅子から立ち上がり、何やらビーカーに液体を入れ熱し始めた。そして、自分の用件が済んだのか僕に対して右手でシッシッと合図をする。何かの実験に戻るからもうお前は出ていけ、という意味なのだろう。全く自分主体の困った人だ・・・

 ここで食い下がっても片浜先輩は聞く耳を持ってくれないだろう。仕方ないので今日の所は大人しく帰ることにした。というよりこのままここにいても今の僕の能力じゃどうやっても片浜先輩を惚れさせるどころか、ドキッとさせることすらできそうにない。


「わかりました。今日はこの辺で帰りますよ。片浜先輩はいつも何時頃までここに残っているんですか?」

「そうね、18時半か19時くらいかな。」

「そうなんですね・・・大変ですね。じゃあ邪魔しないようにそろそろ帰りますよ・・・」

話が続かない。まったく我ながら情けない。話のネタも思いつかないなんて。先輩に背を向けドアへと向かう。そしてそのまま教室から出ようとした時だった。そうだ、あることを思い出した。


「ところで先輩、最後に一つ聞いてもいいですか?」

「なによ、まだいたの?いいから早くしなさい。」

「すいません・・・あの、化学部って先輩含めて部員は何人いるんですか?」


急展開で忘れかけていたが、僕の真の任務は富士宮会長から託された部活動の査察である。これをおろそかにするわけにはいかないのだ。


「なによ、そんなこと?愚問ね。一人よ、私一人。見たらわかるでしょ。」

はいぃ?そんなことあるか?


「え、だって化学部ってれっきとした部活動なんですよね?部活動として認められているってことは、部員が先輩以外に少なくとも5人は必要なはずじゃ。」

「五月蠅いわね。そういうなら響子に聞いてみなさいよ。さ、用が済んだのなら帰った帰った。」

そう言って煩わしそうに化学実験室から追い出されてしまった。しかし衝撃の事実だ。化学部というからてっきり他の部員もいるものだと勝手に思い込んでいたが、確かに昨日から他の部員を見かけなかった。それも当然の話で、そもそも他に部員などいなかったのだ。


「明日、富士宮会長に確認するか・・・」

ますますミステリアス度が増す片浜先輩。この先輩を振り向かせるなんてこと、本当に僕にできるのだろうか。考えていても埒が明かない。実験に協力するといった以上、僕も全力で片浜先輩に向き合わねば。

 ひとまず今日の所は帰って作戦を立てよう。

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