エピソード2・興津 恵零那との出会い②
2.
5月26日 曇り空の中を学校へと向かう。あまり眠れなかったせいかなんだか少し熱っぽい。ただぼーっと通学路を歩く。頭がうまく働かないような感覚だ。いや、本当は朝からずっと昨日の
―榎野さぁ、そうやってもじもじとした態度、絶対やめたほうがいいよ。
何度も何度も脳裏をよぎる。全然悔しくない、わけがない。本当に悔しかったし何か言い返したかったのに言葉が出なくて、それがまた情けなくて自己嫌悪に陥る。僕は何をやっているんだろうな。変わるんじゃなかったのかな。そんな生産性のないことばかりが延々と思考を支配していた。
結論から言うと、昨日はあの後富士宮生徒会長から情報が足りないからと言われ吹奏楽部の部長のもとへと出向いた。どうやら富士宮会長とはクラスメートのようで、会長が直々に吹奏楽部の活動について聞いてくれていた。その間僕はただただ腰巾着のようについて回ることしかできなかった。情けない。いつまでも昨日のような有様では仕事を受けた側として、生徒会長に示しがつかない。まずは今日興津さんに謝ろう。僕の煮え切らない態度のせいで、不快な思いをさせたことには変わりないのだから。
憂鬱な空気なまま校舎に入り教室に向かう。同じクラスというのはこういう時すごく厄介だったりもする。ドアの前まで来たものの、たったの一歩が重い。やっとの思いからドアを開ける。当たり前だが昨日までとは何も変わらない景色。自分の席にカバンを下す。そして廊下側の一番後ろの席を確認すると、そこにはこれまた昨日と何も変わらない姿の興津さんがいた。その一瞬で心臓が高鳴る。今興津さんは一人だ。言え、言うんだ。興津さんに謝るんだ。昨日のことを、そして僕の正直な気持ちを。
思考とは裏腹に身体が動かない。このままでは今までの僕と変わらない。変わるんだ。今、ここで。そう決意し一歩を踏み出す。一歩、もう一歩。僕と興津さんの席までの距離。たった数メートル程度の果てしない距離。一歩、また一歩。そうしてついにたどり着く。興津さんの前へ。興津さんは無言で立ちすくむ僕に気づき一瞬ハッとしたような顔をしたが、すぐさま訝しむようにただじっと見つめてきた。言え。言うんだ。自分から、前へ進むんだ。
「興津さん、ちょっといいかな。話したいことがあるんだ!!!」
自分でも信じられないほどの大声が出た。何人かの生徒が驚いたようにこちらを見てきたが、すぐに視線を逸らした。まぁいいや、構うもんか。
「馬鹿か!今度は声がでかすぎるよ!まぁでもいいや、私もちょうど榎野に話があるんだよね。」
そう言って興津さんは僕を廊下へと連れ出した。
よし、これはチャンスだ。ここの選択肢は…
① 謝って正直な気持ちを言う
② 喧嘩を売る
③ 昨日の件を謝ってもらう
(選択肢?ここで?しかしここは①以外ないだろう。よし…)
「昨日はごめん。」
「昨日はごめん!」
どちらからともなく、二人同時に同じ言葉が出る。そしてやや間を置いてから興津さんと目が合う。自然と笑いがこみ上げる。なんだ、緊張して損した。それに興津さん、こんな綺麗な眼をしていたんだ。どうして昨日ちゃんと彼女の眼を見て話せなかったんだろう。何を勝手に委縮していたんだろう。
「なんで同じタイミングでおんなじこと言うんだよ馬鹿。まぁいいや。それでさ、榎野。昨日のことなんだけど…改めてごめん。言い過ぎたよ。私思ったことをそのまま言っちゃうとこあってさ。よく考えもしないで榎野のこと傷つけるようなこと言っちゃった。本当にごめん。」
「いや、謝るのはこっちだよ。僕のせいで不愉快な思いをさせちゃって、ごめん。それとさ、昨日興津さんに言われたこと、すっげぇ悔しかった。でもそれ以上に妙に納得させられたんだ。」
なぜだか今はすんなり言葉が出てくる。ゆっくりだけど、自分の正直な気持ちを伝えられている。
「ん?それってどういうこと?」
「僕はずっと女子が苦手で、女子とうまく話せなくて。だからどうしても昨日みたいな話し方しかできなかったんだ。だから昨日興津さんにそのことを指摘されて、悔しかったけどその通りだなって。だけど自分でも変わりたい、変わらなきゃとは思っているんだよ。でもどうしたらいいのか分からないんだ。恥ずかしい話だけどね。」
「ふーん、なるほどね。要は女子と普通に話せるようになりたいってことでしょ?そんなの簡単じゃん。」
僕の悩みがちっぽけなものであるかのように興津さんが笑う。
「そんな笑わないでよ。こっちは真剣なんだから。」
「いやーごめんごめん、なんか話聞いてたら可笑しくなっちゃって。榎野さ、女子と話せないのってそもそも話した経験が少なくて、緊張して、テンパって、何話していいのかわからなくなるってことなんじゃないの?」
「え?なんでわかるの?すごいね興津さん…」
「いや、分かるも何もそのくらい誰だって思いつくでしょ。そしたら女子と話すことに慣れるしかないよね。」
「確かに…でもどうしたらいいかな?」
縋るように興津さんの話に聞き入る。僕のことなどお見通しなのだろうか。今後は恋愛マスターと呼ぼう。
「どうしたらってそんな、女子に慣れるには実際女子と話すしかないでしょ。話す経験を積んで実際に慣れていくのが結局一番効率良いやり方だと思うんだけど」
「え、いやそんなの無理だよ!無理無理!」
その一言を聞いた興津さんの形相がみるみる変わっていく。凄まじい怒気を感じる。やってしまったようだ…
「は?舐めてんの?だから榎野はいつまでたってもコミュ障キモヲタ童貞なんだよ。馬鹿なんじゃないの?」
とてつもない言葉の剣が僕を襲う。
「え、言い過ぎでしょ興津さん。どうして興津さんにそこまで言われないとないんだよ。それに実際に話しかけて慣れていくったってどうしていいのかわからないし」
「おい榎野。言い訳してるんじゃないですか?できない、無理だって、諦めているんじゃないですか?駄目だ駄目だあきらめちゃ!できる!できる!榎野ならできる!」
食い気味に興津さんが畳みかける。
「え?〇岡〇造?!興津さんどうしちゃったんだよ。」
あまりの猛攻に思わず笑ってしまった。
「ほら、今普通に話せてるじゃん。」
興津さんに笑みが戻る。思わずハッとした。確かにそうだ。今僕は緊張していない。目の前の興津さんを見ながらちゃんと話せている。そうか、こういうことか。こういうやり取りを他の女子ともできるようになればいいのか。
「それでいいんだよ。そういうので十分。まぁ確かにいきなり話したことない女子に話せって言っても難しいだろうからさ。しばらく私が手伝ってあげる。」
「とういうと?具体的にはどういうこと?」
「だから、私が榎野のコミュ障改善のために話し相手になってやるって言ってんの。だからリハビリがてら何か話したいことが思いついたらこれからまたこうして普通に話しかけなよ。いつでも話聞いてあげるから。」
すごく感情をストレートに表す人だ。ころころと表情が変わる彼女は見ていて飽きない。それどころかもっと知りたくなる。ストレートな感情とストレートな言葉は、その真意を深読みせずに済む。時には凶器にもなるけれども。それでも興津さんの魅力の一つなのかもしれない。
「興津さん、ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうよ。改めてこれからもよろしくね。」
「いいっていいって、そういう儀式的なのは。じゃあそろそろ教室戻ろ。」
そういって先に興津さんが教室に戻る。顔がよく見えなかったが少しだけ口元が緩んでいた。ような気がした。
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