エピソード1・富士宮 響子との出会い③
5月25日 一通りのテストが終わり、今日から生徒会長の任務が始まる。部費計上の妥当性を確認するため、各部活動を査察するのだ。生徒会長から直々に告げられた任務である。
ところがまったく気分が乗らない。中間試験の結果が悪かったから?そんなことはどうでもよい。言うに及ばないだろう。今日がそのテスト返却の日であったが、結果はもちろん振るわなかった。当然だ、一切勉強していないのだから。まぁ褒められたものではないのは確かだが赤点がなかったのだからまぁよしとしよう。
それよりも、クラスの女子ともまともに会話すらできない僕にとって、よく知りもしない部活に赴き、初めて会う連中とまともに話せるのか。そういった一抹の不安のほうがよっぽど僕のモチベーションを下げていた。さて、とにかく一度生徒会室へ向かおう。富士宮会長から仕事の詳細を聞かなくては。
足重に生徒会室へと向かう。帰宅部の僕にとって、そもそも部活動というのは無縁な活動である。そのため、この
そうこうしているうちに生徒会室に着いた。中からはいくつかの生徒の声が聞こえる。おそらく役員の生徒の声だろう。何か会議をしているのか忙しなく様々な声が飛び交っている。
「やれやれ、なんだか気が乗らないなぁ」
そんなことをつぶやきながら部屋に入るタイミングをうかがっている時だった。
「なにがそんなに気が乗らないのかな?」
背後から肩に触れ、僕の耳元で女性が囁いた。
「ヒ、ヒイィ!?」
情けない馬の鳴き声のような声を上げ後ろを振り返る。そこには何やら楽しそうに悪戯っぽく笑う富士宮会長がいた。
「なぁに、榎野君。情けない馬みたいな声出して。」
まるで僕の思考を呼んだかの如く全く同じ感想を言われてしまった。全く嬉しくないシンクロだ。
「か、会長、心臓が止まるかと思いました。おどかさないでくださいよ…」
「あら、だってドアの前でずっと入ろうかどうしようか迷っている榎野君が見えたんだもの。廊下のずっと向こうからね。それで一向に入らないものだから少し悪戯したくなっちゃって。ごめんなさいね、ゆ・る・し・て?」
はい、可愛い。こんなの可愛いと思わない男のほうがどうかしてるだろ。それほど会長のセリフには破壊力があった。
「はい、許しました。今許しました。」
「ふふっ、ありがとう榎野君。ところで今ここにいるってことは先週お願いした件についてだよね。これから調査に出るってことでいいのかな?」
生徒会室のドアを開けながら富士宮会長が僕を招き入れる。ふわりと揺れる髪からは変わらずいい香りがする。
「じゃあ榎野君、突然だけどこの静翔学園には部活動がいくつあるかご存じかしら?」
生徒会室に入ると、富士宮会長が慣れた手つきでティーカップとソーサーを二人分取り出した。ほかの役員の生徒が使っていたのだろうか、すでに沸かしてある熱湯をポットとカップに入れ暫く温めると、そのお湯を一度捨てる。そして、見るからに高そうな缶からさっと茶葉をすくって温まったポットへと入れる。そして再度熱湯を加えると気品高いような紅茶の匂いが周囲を包んでいった。慣れた手つきだ。完全に様になっている。自分でも無意識のうちに、富士宮会長の所作に見とれてしまっていた。
「いや、僕は帰宅部なもんで。いくつあるかなんて検討もつかないですけど…そうですね、えーーっと…およそ20前後ですかね?」
自分が思いつく限りの部活動を数える。しかしいくら考えても20程度で頭打ちだ。それ以上は思い当たらない。
「残念ね~、そんなもんじゃないのよ…」
まずはどうぞと淹れたての紅茶を目の前へと差し出してくれた。
「いただきます…」
作法などよくわからないので適当にカップを持つ。暖かくて心地よい。独特な匂いだけで少しずつ緊張がスーッと和らいでいく。熱々の紅茶を口にする。豊かな風味が広がる。渋みの中にもほのかな甘みがある。まったくエグみはない。ダージリンって奴だろうか?よくわからないがコンビニでも買えるペットボトルの紅茶とは明らかに違うことだけは分かる。もちろん会長が淹れてくれたからという補正があるのは当然だが。
「おいしいです。わざわざありがとうございます。」
「でしょ?スリランカのね、ヌワラエリヤっていう私のお気に入りの茶葉なの。なかなか手に入らないのよ?」
沼田エイリアン?何を言っているのか全く理解できなかったがダージリンだなどと知ったかぶらなくてよかった。助かった…
「よく聞いてね、榎野君。この学校の部活動はね。同好会を除くと40程も存在するの。」
「え、40?!それ本当ですか?流石にありすぎじゃないですか?」
「そう。それを一件一件回ってもらいたいんだけど順番等は榎野君に任せるわ。」
少し甘く考えすぎていた。40なんていったいいつ終わるんだ。
「とりあえず全ての部活動が書かれたリストを作ったの。これをもっていって。」
そう言って富士宮会長は自分のデスクから一枚の紙を取り出すと、ソファに座り紅茶を飲んでくつろぐ僕にそっと渡した。
「会長…えらい数です。」
「そうね。それがうちのすべての部活動のリスト。早速今日からお願いできるかな?」
そういうと富士宮会長がにっこり微笑み見つめてくる。優しそうなその笑顔の奥には、いやとは言わせないぞ、といった確かな意思が見えた。気がした。
「…わかりました。これからすぐにでも行かせていただきます。」
「話が早くて助かるわ。じゃあさっそく行きましょう」
「はい。じゃあまずはそうだな、…って、え?会長も行くんですか?」
聞き間違いだろうか。あまりにも自然な流れだったため、スルーしてしまうところだった。
「そのつもりだけれども、迷惑かな?この前お願いした時、慣れるまでは私も同行するって言ったでしょ。だからしばらくはできる限り同行するつもりだったのだけれども…榎野君が一人のほうがいいなら私は遠慮させていただくわ。」
「いえいえ滅相もないです。是非お願いします。お願いさせていただきます。」
突然のことに舞い上がり、軽いパニックからなのか慌てて訳のわからない日本語になる。
「よろしい。それじゃあ早速出発としましょうか。榎野君、どこから行こうかしら?」
揚々と富士宮先輩が立ち上がる。
「わかりました。えーと…どうしようかな。」
適当にリストを見る。この中だと大吾がいるサッカー部くらいしか面識のある人間が所属している部活はない。寂しい交友関係だ。しかし、そのサッカー部は今週末に控えた交流試合に向けて非常に殺伐とした雰囲気だと大吾が言っていた。今出向くのは得策ではないだろう。とはいえ他にあてがあるわけでもない。さてどうしたものか…
ん?待てよ。他にも一人、友達と呼べるほど仲がいいわけではないが知ってる奴がいる。たいして親交があるわけではないがこの際まったく知らない生徒だらけの部活へ特攻するよりもよほどましだった。
「会長、最初の査察はここからにしましょう。」
数分悩んだ挙句、リストの中にある一つの部活を指さし富士宮会長に話しかける。
「ずいぶんかかったわね。さ、それじゃあさっそく向かいましょうか。」
グダグダと悩んでいる僕を眺めながら、飲み終わったカップとソーサーを手早く片付けていた富士宮会長が微笑みながらそう答える。
こうして僕と富士宮会長の部活動査察は幕を開けたのであった。
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