第2話 人形はうたう

 

「はい、着きました」

 家の前に舟を繋ぐと、春応はきょろきょろとあたりを見回した。

「ここに住んでいるのか? 家族は?」

「いません。ひとりよ」

 そう答えると、春応は唖然とする。

「城門の外に? 女ひとりで?」

「門外とはいっても人里よ。近くに師匠も兄弟弟子もいます」

 ごちゃごちゃうるさいな、と思いながら答える。門外では多少珍しいかもしれないが、女が自らの財産を持って自立した生活をするのはこのあたりでは普通のことだ。春応は顔をしかめて額を押さえた。

「……待て、女のひとり住まいに俺ひとりで入り込むわけにいかん。いくらなんでも外聞が悪い。近くにいるなら兄弟弟子を呼んでくれ」

 一瞬面倒くさいと思ったものの、人形を歌わせるなら伴奏の手はもう少しあったほうがいい。

「じゃあ呼んできます。入って待ってて」

 春応を家の前に置いて母屋に行き、朱尽に声をかける。朱尽は「あらあら」と寂柑の顔を覗きこんだ。

「どうしたの? 一生分不愉快なことありましたって顔してるわよお」

「まさしく」

 寂柑はうなだれる。

「確か都から来た楽士に会いにいったのよね? 何かあったの?」

「うーん、詳しい話は長くなるから、とりあえず楽器を持ってうちに来てくれる? その楽士野郎に傀儡戯を見せるから」

 朱尽は驚いた顔をしたものの、すぐに得意の琵琶を持ってきてくれた。家に戻ると、春応はまだ戸口の前で立ち尽くしている。朱尽はひらひらと手を振って明るく春応に笑いかけた。

「どうも〜、はじめまして! 寂柑の兄弟子の朱尽よ」

 春応はあからさまにぎょっとした顔をして、まじまじと朱尽を眺める。朱尽は可愛く体をくねらせた。

「やだ、あんまり見つめられると溶けちゃうわ!」

 気まずそうに目をそらした春応が「ゲテモノしかいないのか、ここは」と呟く。朱尽は寂柑とそっと視線を合わせ、察したと言いたげにうなずいた。

 

 人形用の舞台を香の煙で清める。舞台装置は机ひとつと椅子がふたつ。人形に合わせて小さめに作ってあるその机の上に酒と塩を並べ、椅子に人形を腰かけさせる。演目は「東嘉王とうかおう仙域を旅する」、この地に古くから伝わる伝説のひとつで、かつてこの地を治めた男性が仙女と出会って長寿を得る物語だ。慶事によく奉納される。

 物珍しげに見ている春応の前で舞台を整え終わり、寂柑と朱尽は席について各々楽器を構える。ひと呼吸置いて、朱尽の琵琶に合わせて寂柑も弓を滑らせた。

 伴奏が始まってほどなく、椅子に寄りかかっていた人形がすっと顔をあげて机の酒器をとった。東嘉王の人形が仙女の人形と盃を交わし、椅子から立ち上がって名乗りの歌を歌う。若く勇敢な東嘉王の朗々とした歌声のあとに、仙女も高く澄んだ声で続いた。春応は目をまるくして、針金も糸もついていない人形がひとりでに動き、自らの喉で歌うのに見入っている。

 この地の傀儡戯は祭祀と深く結びついている。ひと抱えほどもある大型の人形は細やかに関節や衣装を作り込まれ、舞台の上で魂を宿してひとりでに動き、歌う。そのわざを人々は深く敬い、慶事に、弔事に欠かさず奉納した。

 でも、と寂柑は思う。なんだか足りないのだ。欠かせないもの、あるべきものと重んじられるのは寂柑にとっても誇りだけれど、もっと何か、何か……。

「おい、やめさせろ」

 春応の声にはっとして手を止める。舞台はまだ半ばだ。伴奏が途切れると人形も動きを止めてしまった。朱尽がもの言いたげに春応を睨みつけたが、こたえた様子もなく春応は自らの戯胡をとって立ち上がる。

「はじめは驚いたが、まるで子供騙しだ。やはり木偶でくに歌など歌えないな」

「ちょっと待ちなさいよアンタ、失礼な……」

 立ち上がった朱尽を制し、寂柑は首を振った。

「……もういいよ、朱尽さん、申し訳ないけど春応さんを送ってあげて」

 朱尽は怒りを抑えきれない様子だったが、寂柑が重ねて頼むと「アンタなんか水路に突き落としてやるわ」と毒づきながら春応を舟に乗せ、城内に送っていった。

 

 春応は無礼だが、耳は確かだ。寂柑が作る人形の歌声は北方の役者には及ばない。楚家をはじめとする一部の富豪の間で北方の歌劇が人気を集めるようになってきているのもその証拠だろう。祭祀に欠かせない傀儡戯も、昔のようにひとを夢中にさせる力はないのだ。

 寂柑はいっそう人形づくりに打ち込もうとしたが、なんだか集中できなかった。良い人形を作りたいが、良い人形とはなんなのだろう?

 思い悩む中、以前人形を納品した家が新しい伴奏者を迎えたので公開稽古をすると聞き、城内に出かけた。稽古といっても新しい伴奏者を迎えた小さな祝い事のようなもので、近所の人を招いて振る舞い酒などもする。通りすがりの旅人なども立ち寄って賑やかだった。

 その中に、ひときわ目を惹く長身があった。長旅にやつれたぼろぼろの姿で、一見すると浮浪者のようだが、手足が長く落ち着いた振る舞いが優美だ。髪で半ば隠した顔にひどい傷跡がある。寂柑がじっと見ていると、視線に気づいてにっこりと笑った。寂柑は思い切って歩み寄り、声をかける。

「はじめまして、どちらからいらしたんですか?」

「都から。こちらは明るくてのどかですね。傀儡戯は初めて見ました」

 朗らかな口調とは裏腹に、その声はひどくしわがれていた。驚く寂柑をよそに、その男は盃を持ったままの腕を緩やかに広げてひらりと舞う。

「こんなふうに……人形の動きが滑らかで、とても不思議だ。良いものを見せていただきました」

 男は人形の動きをなぞるようにごろもをひるがえして舞った。寂柑はそれに目を奪われる。厳しい稽古を重ねた熟練の俳優の動きだ。もっとも、この声では歌うことはできないだろうが。

「……あなたは……何者?」

 呆然と寂柑が呟くと、男は柔らかく微笑む。

「亡霊のようなものですよ」

 

 その男の舞がどうしても頭から離れなかった。

 寂柑は工房に戻ってすぐに材を選んで削り出し、無心に目鼻を刻みはじめた。ときおり朱尽に促されてしぶしぶ寝台に入るものの、あの男が舞う夢を何度も見て飛び起きた。どうせなら傷のない顔を見せてくれればいいのに、なぜだかいつも顔はぼんやりとして見えなかった。

 それでも、あの美しい舞姿を繰り返し思い起こせれば十分だ。長い手足はしなやかで、一面に蓮の咲く池のような鮮烈な清々しさがある。そして寂柑には、あの男がきっと失ったのだろう声が、はっきりと聞こえていた。その声を出せる顔、あの舞を舞える姿にすればよい。

 いくつかの昼夜をほぼ寝ないで過ごし、仮の衣装を着せて人形を組み上げた。この人形には薄絹を重ね刺繍で埋め尽くした豪奢な衣装がふさわしいが、衣装を発注するには時間がかかる。ひとまず形になるとほとんど昏倒するように眠りに落ちた。

 どれほど眠ったのか、目覚めたときには昼過ぎだった。朱尽が部屋の掃除をしていて、起き上がった寂柑に気づく。

「あら目が覚めたの? もう……あんたはもう少し自分を大事になさい! こんなことを続けてたらいつか死ぬわよ!」

 ぷりぷり怒りながら粥を温めてくれる。寂柑はのそのそと卓についてありがたく粥をすすった。人心地つくと、工房の隅に布をかけて置いてある人形が目に入った。布をかけた記憶がないが、朱尽がやってくれたのだろうか。朱尽は寂柑の視線の方向に気づき、うなずく。

「まあ、あの人形はたいした出来ね。勝手に話を進めて悪いけど、衣装係に装飾の案を出してくれるように手配したわ。あんた二日くらいは眠ってたから、そろそろ上がってくるはずよ」

 朱尽も人形の出来については少なからずわくわくしているようだった。

 それからの日々はめまぐるしく進んだ。人形の姿を見た人はみな息を呑み、感嘆した。普段弟子の作品には興味を示さない師匠も「良いな」とひとこと漏らした。衣装を整え、髪を結い上げて冠をつけ、完成された姿は動かずともそれだけで非常な評判を呼んだ。

 お披露目の舞台は得意先だけを呼んで小規模に行うことにしたが、寂柑はどうしても春応にこの人形の歌声を聴かせたかった。この人形なら春応に傀儡戯を認めさせる歌が歌える、と確信していた。金枝楼の主人に頼んで春応を連れてきてもらうことになった。

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