人形はうたう
伊藤影踏
第1話 雷春応
指先で薄く粘土を盛り、木べらで削る。絵に描いた龍に魂を込めるのが瞳なら、人形の命は鼻筋だ。美しいだけでは舞台に立つ人形には足りない。厚みも長さも、時には曲がっていることでさえ、その人形の声を決める重要な資質だ。声が決まれば人形の性格が決まる。おのずと姿や動きも変わってくる。顔立ちによって、人形の宿す魂の質が決まる。
「
「いい匂い……
「お焦げのスープよ。あんた朝から何も食べてないでしょ」
水路の張り巡らされた街から少し離れたところに、
卓につくと朱尽が壺からスープを取り分けてくれる。匙をとって口に含むと、青葱の清々しい香りがした。温かいものが腹に入ると、急に空腹を思い出す。
「……明らかに物欲しそうな顔しないでよ。これから晩ごはんの支度するとこなんだから、もうちょっと待ちなさい」
たしなめられて、おとなしく目の前のものを大事に味わうことにする。朱尽はため息をついた。
「あんたもねえ、お嬢様育ちとはいえ少しくらい料理できるようになったっていいのよ? 手先は器用なんだから、できないはずないと思うんだけどねえ……」
「料理ができても、台所に立つ時間がもったいなくて」
寂柑は曖昧に笑う。出自のことに触れられるのが快くない、ということを長いつきあいの朱尽が知らぬはずもない。まして、朱尽も実家とはわだかまりを抱えている、似たような立場なのだ。朱尽は少し目を伏せて押し黙ったあと、打ち消すように話を切り替えた。
「そういえば、都からまた落ち延びてきた人がいるそうよ」
「また? よっぽど都が荒れているのかな」
北の都では長く内乱が続いているという。遠く離れたこの地に陰を落とすことこそなかったが、ぽつりぽつりと北の戦に敗れた人が落ち延びてきていた。
「そうね、劇団がひとつ離散したというわ。その劇団のお抱え
朱尽の言葉と一緒に、お焦げが歯の間でがりっと音をたてた。精悍で日焼けした朱尽の顔をまじまじと見つめる。朱尽は軽く笑った。
「アタシの顔見ても、なんにも出ないわよ。
慌てて窓の外を見る。日はだいぶ傾いているがまだ人を訪ねることはできるだろう。残り少なくなっていたスープを一気にかきこみ、ごちそうさまと器を朱尽に返して家の前に繋いでいた小舟に飛び乗った。
その楽士が実家の庇護下に入らず、自ら宿をとってくれていたことは幸いだった。北方から流れてきた名のある劇団の楽士なら、この地でまず頼るのは
小舟を操って水路を進み、城郭に設けられた門をくぐる。次第に船の交通が増えてくる中を苦労して櫂を操り、この街で最も古い宿である金枝楼にたどりついた。楼の主人とは顔なじみである。最も古い、ということは、昔からこの地にあって伝統的な祭祀を重んじている、ということである。人形を納めたことも何度かあった。
楼主は寂柑の顔を見て、したりとうなずいてみせた。手短に用向きを告げると、待ち構えていたように奥へ案内される。
大きくはないが、風通しが良く眺めのいい部屋にその男はいた。来客を告げられて楽器を奏でていた手を止め、冷たく澄んだ青い瞳で寂柑を射抜く。
「あの、わたし」
寂柑は急に手ぶらで来たことを恥ずかしく思った。手土産を持つような柄ではないが、自己紹介をするなら人形を見せるのがいちばん早いのに。
「ひとりで来たのか?」
だしぬけに問われて、寂柑は何も言えずにうなずいた。男はその色白でなめらかな頬をゆがめて軽く笑う。
「驚いたことだ。嫁入り前の娘が供もつけずにひとり歩きか。おまけに恥じらいもなく男に話しかけるとくる」
明確に、嘲られている、とわかるまでにしばらくかかった。しかも、寂柑ひとりではなく、たぶんこの地の女を、みんな。
「嫁入り前の娘だからなんなの? わたしは家を出て人形師として仕事もしています。女をひとの嫁かどうかでしか見られないなら、あなたには人間の半分しか見えていないんですね」
男は肩をすくめた。
「一人前に口がきけるなら、話くらいは聞いてやろう。女人形師の評判はここに来るまでに少しは聞いた。ここらではそれなりに名があるようだが、
寂柑は目をみはる。この地では祭りのたびに傀儡戯が奉納されるが、都のひとは見たこともないのか。
「見たことがないなら、ぜひ一度見てほしい。わたしはもっと良い人形を作りたいの。あなたが都の劇団で楽士をしていたと聞いて、意見をもらえないかと思って来ました」
前のめりにそう言うと、男は品定めをするようにじっと寂柑を眺めた。寂柑が思わず睨み返すと、小さく笑う。
「いいだろう。跳ねっ返りとはいえ年頃の娘をひとりで帰すのも気がひける。お前を家まで送るついでに見られるものか?」
「試作品でよければ家に何体かあります」
そう答えると男はうなずいて立ち上がり、戯胡をとって寂柑を促した。舟に戻りながら、寂柑は男に尋ねる。
「名前を聞いていなかったわ」
男は少し驚いたように寂柑に視線をよこし、すぐに目をそらした。
「……
田舎者め、と口の中で呟いたつもりなのだろうが、しっかり聞こえている。寂柑はいちいち突っかかるのも面倒になって口をつぐんだ。
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