薬師とハリネズミ
むかし、むかし、あるところに、眉間の皺も深い一人の薬師がおりました。
彼はどの村にも家はありません。竹林の小屋で一人きりで暮らしています。
薬師は近くの村々を巡っては病人の様子を見、薬を与え、治してきました。
けれどそれとは裏腹に、
「なんであいつだけ病を治せるんだ」
と気味悪がられてもいたのです。
特に「お前なんかにみてもらう必要は無い!」と突っぱねた男が高熱を出したまま亡くなってからは「本当は薬師の仕業なんじゃ」とあらぬ疑いもかかるようになっていました。
「不気味だ」
という印象はぬぐいがたく、村人達は病気になればみてもらうものの、決して村の仲間として薬師を迎えることはありませんでした。
だから今日も薬師は、竹林の小屋で一人寂しく暮らしています。
さて、そんなある日のことです。
彼が近くの山でたくさんの栗を拾ってきた帰り道。
「きゅー」
と鳴いている、白っぽいふわふわした生き物を見つけました。
暗い夜の竹林でも光って見えるその生き物は、毛むくじゃらのネズミでした。
大した肉もない骨ばかりの小動物、狩るまでもない、と薬師は思いました。特に今日は背中のかごにたくさんのいがぐりを放り込んであったので心豊かでした。
「どうしたんだ、こんなところで」
ネズミはといえば、黒い鼻を持ち上げてぴくぴくさせたかと思うと、
「とても、おなかが、すきました」
と言って、ぱたりと倒れてしまいました。
なにやら輝いて見えたのに、その光も失せていきます。
あまりよくなさそうな雰囲気です。
「まったく、俺の人生、こういう縁ばっかりだ」
村に行ったときは決まって病人、けが人が一人はいる。最初は偶然と思っても、今ではすっかりそういうものとなってしまい、不気味がられている始末。
それがついには山の中でも病人に遭遇とは。
「ひどい縁もあったものだ」
薬師はため息交じりにネズミをすくいあげました。
結局のところ、彼はそういう人柄だったのです。巡り会ってしまえば、差し出す手に理由はいらないのでした。
そうして薬師はネズミを小屋に連れ帰りました。
汚れた服を丸めて寝床を作り、小さな木の実を与えます。
ネズミはすっかり弱っていましたが、夜を三つ越えるほどの間、かいがいしく世話を見たところ、ネズミは再び輝きを取り戻し、ついには意識を取り戻しました。
「ありがとうございます。わたしが生きているのはあなた様のおかげです」
「治ったんなら出ていきな。俺は病人以外には優しくないぞ」
「わたしは人ではありませんけど?」
確かに。
薬師はうっかり何も言えなくなってしまいました。
「まあそういうことなら」
三日三晩の疲れが薬師から思考力を奪っていました。
「わたしも何かお礼をしませんと」
「無理すんな、病み上がりのくせに」
「いえいえそうはいきません。あ、ところで」
「なんだ。まだどこか悪いか」
「おなかがすきまして」
「…………」
薬師は苦い顔で小屋を見回しました。
そうして見回せば、かご一杯に入ったいがぐりがありました。
ネズミの看病に尽きっきりだったせいで放置されていたものです。
「栗でも焼くか」
「わはぁ」
「なんだそれは」
「おいしそうです」
薬師は自前のお薬をうっかり口にしてしまったみたいな顔になりました。
ともあれ、七輪に火を入れます。その上には土を焼いて作った分厚くて目の粗い網が置いてあります。
ちゃんと火がついた後は、いがを剥いた栗を置きました。
「みえません!」
「もう少し待ってろ」
しばらくすると鬼皮が黒く焼けてきます。
と、ふいにぱちん、と音を立てて栗がはじけました。
切れ目の入った皮の向こうには、みごとな金色の栗が焼けていました。
薬師が、一つ、二つと食べて、うむ、と頷いていると、その足下をたたたっと駆け回る姿がありました。
「わたしも、わたしも!」
「……お前には熱すぎる。少し待て」
焼けた栗の皮を剥き、をほぐしてやって小さな器に置きます。団扇であおいで冷ましてやったものを与えると、ネズミは喜んでかじりつきました。
「ふわー。おいしいですねえ。おいしいですね」
「……まあ。そうだな」
この日をきっかけに、薬師はネズミと一緒に暮らすようになりました。
彼が村に向かう時も、食糧を探しに山へ潜る時も、ネズミは一緒でした。
もっとも、村の人々などは薬師がいつもネズミを連れているのを見て、あまりに人に嫌われているからネズミなんかとつるんでいる「嫌われ者のネズミの先生」などと噂したりしていましたが……。
気味悪がられるばかりだった薬師は、どこかずれて暢気なネズミの相手をしていれば、そんなことは気にならなかったそうです。
ところで、そのネズミは特に栗が大好きで、秋になれば毎年毎年、栗をねだりました。
薬師は「めんどうな」とこぼしながらも、毎年毎年栗をとりわけてあげました。
すると、
「ところで気になっていたんだが」
「はい」
「なんかトゲが生えてないか?」
「栗を食べてますからー」
「そんな馬鹿な」
ネズミの背中にはいがぐりのようなトゲが生えてくるようになってしまいました。
一応調べたものの、体の調子が悪くなる、といったことは起きていないので、病気ではなさそうです。
「まあ健康ならいい」
さて、そんな日々が何年も続いた、ある、夏の夜。
ひどい病に咳き込む薬師は、一人、寝床で横になっていました。
もう何日も続く症状で声も変わってしまいました。頭はくらくらして視界は歪み、水を飲むのがやっとのこと。ご飯を作ることも、食べることも出来ません。こういう時のために蓄えていた果物をつけたものすら、飲み込むことは出来ませんでした。
「さすがにここまでだな」
「そんな、死んじゃいやですよぅ」
ネズミはひくひくと鼻を揺らしながら言いました。針もぷるぷる震えています。
しかし薬師は咳き込むばかり。食事もとれないせいでやつれています。
「まあ。生きてればいずれ死ぬもんだ」
順番が回ってきただけ。もとより自分が病になったときのために薬の知識を身につけたというのに、こういう時に限って役に立たないことに笑いたくなりましたが、世の中そんなもんだという諦めもありました。
ただ、まあ、強いて言うのなら。
枕元でそわそわしているネズミのことだけが気がかりでした。
「これから、お前はお前で頑張れ」
「そんなぁ」
「情けない声出すな」
「やですよぉ!」
ネズミがしがみついたと、というか体当たりしたところ、その針がぶすーっと薬師の頬に刺さりました。
「痛ぇっ!」
次の瞬間、悲鳴をあげて薬師は体を起こしました。
「なにしやがる!」
「死んじゃいやですよぅ」
「だからお前、生き物ってのはな……いやまて」
薬師は首をかしげました。せきがでません。頭がクラクラするような熱も下がり、意識もはっきりしています。
とりあえず布団から出て水を飲んできましたが、すっかり治っているようでした。果物も飲み込めます。
「こりゃ一体」
「わぁ!?」
「どした! ……針が抜けてる?」
床に散らばった針は黒ずんでいて、まるで焼け落ちたように見えました。
部分的にはげになってしまったネズミは悲しそうにしていましたが、薬師はそれどころではありません。
どう考えても、こんな唐突に治った理由はそれでした。
「しくしく……」
「いや泣いてる場合じゃないぞ。お前大したもんだ」
「しくしく。え。なんですか?」
何もわかっていないのは当人ばかりと申しましょうか。
ネズミは説明されてもよくわかった風ではありませんでしたが。
「お前のおかげで治ったらしい」
「わぁ。良かったですね!」
「ま、そうだな」
薬師は観念したように笑いました。
笑うのなんて、何年ぶりのことか。目端に涙を浮かべながら薬師はネズミをそっとなでたのでした。
その後、ネズミのはげも新たに針が生えて治り、村々を行く薬師は「ネズミの先生」ではなく「ハリネズミの先生」と呼ばれるようになり、それ以外は何も変わらなかったけれど、眉間の皺の減った薬師はそこそこ幸せに暮らしていったそうです。
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