第8話

十月二十三日水曜日


 今日は、学校の創立記念日。

 当然、学校は休みだ。

 しかし、我が校が休みというだけで、世間は平常運転となっている。妹は学校があるし、母は仕事で出かけている。

 つくり置きの朝食を済ませた私は、自分の部屋のベッドの上に寝転び、時間を持て余しながら天井を見上げていた。

 窓から差し込む朝の光が眩しい。

 勅使河原先輩に詰め寄られて以来、龍崎先生の死について調べる行為が、何となく後ろめたい気持になっていた。

 ――私のやっている行為は、間違っているんだろうか。

 啓太に、このモヤモヤとした気持ちをぶつけたかった。

 しかし、今年一番の重大事件が起こってからというもの、私はなかなか啓太に声を掛けられずにいた。

 事件に対するモヤモヤと、啓太に対するモヤモヤ。二つのモヤモヤで、脳味噌の中が灰色にくすんでいる気がした。

 こんな時は、ピアノを弾くに限る。

 私はベッドからのそりと起き上がると、部屋を出て階段を下りた。


         *


 階段を下りると廊下を通り、居間に入る。

 ピアノは、音が少しでも外に漏れ難くなるように、外壁に面していない居間の左側の壁際に置かれている。音楽教室の先生の知り合いから安く譲ってもらった、ベヒシュタインのアップライトピアノだ。

 残念ながらグランドピアノではないのだが、そこは世界の名器ベヒシュタイン。国産の下手なグランドピアノよりは、はるかに透明感のある澄んだ音が出る。

 中古とは言え、それなりの値段だった。

 私は鍵盤蓋を開けると椅子に座り、深呼吸をする。

 弾く曲は、もちろん「ラ・カンパネラ」だ。

 ウィーン古典派の巨匠モーツァルトが活躍した十八世紀後半、ピアノの鍵盤数は六十一鍵ほどだったという。しかし、リストが活躍する十九世紀中頃になると、鍵盤数は八十鍵以上に増えた。

 当然、表現できる音域は広がった。

 しかも、ウィーン式とよばれる従来の跳ね上げ式のアクションに代わり、イギリス式とよばれる突き上げ式のアクションが誕生すると、それまでになく重厚な表現ができるようになった。

 ピアノの進化は、より複雑な演奏を可能にする。

 リストに代表される技巧派が次々と登場し、「ラ・カンパネラ」のように超絶技巧を駆使する曲がつくられるようになった背景には、このようなピアノの進化があったという事実は言うまでもない。

 この曲を弾きこなすには、最初から攻めてはいけない。重要なのは、最後のフォルテの部分まではリラックスした状態で、適度に力を抜きながら、ひじ、手首、指の柔らかな動きを優先させることだ。

 序盤に登場する跳躍。

 右手の小指は、鍵盤を点で叩くのではなく、指を若干斜めに鍵盤に当て、指全体で叩くように意識する。こうすると、格段に演奏の安定感が増す。

 途中、装飾音が加わってプレッシャーが増すが、こんな時こそ余計な事を考えず、アクセントの位置と跳躍の正確さに意識を集める。

 続いて、演奏者の技術を試すかのように、これでもかと繰り返される連打。

 ここは、三つの連続音の頭の音に神経を集中させ、リズムを崩さないように細心の注意を払いながらクリアする。

 その後、さらに難易度の高いフレーズが続くが、ここでも力を入れ過ぎない。力んでバランスが崩れてしまえば、折角の演奏が台無しだ。手首は、やや高めの位置に保つのがいい。そうすれば、指の運動能力を最大限に発揮する事ができる。

 トレモロ部分は、難易度が高いために勢い任せになりがちだが、一つ一つの音をおろそかにしてはいけない。体全体で音を感じながら、集中力を切らさずに全ての音を丁寧に弾く事で、曲の仕上がりは全く異なったものとなるからだ。

 少しずつ、ゴールが近付く。

 ここで、オクターブの連打。

 手首も指も悲鳴を上げる頃だが、それは曲の完成度を高めるための代償といえる。音の重厚感を増し、序盤の落ち着いた旋律との対比を鮮明にする事で、聴衆を曲に惹き込まなければならない。

 そして、エンディング。

 私は、心の中に鳴り響く鐘の音に身を委ねながら、静かに鍵盤から指を下ろす。

 ――コンクールの時にも、これぐらい弾けていたら……。

 気分転換のつもりが、余計にモヤモヤが増えただけだった。

 溜め息が出た。

 ――外出でもしてみよう。

 何処へ行ったものかと頭を悩ませていた時、高畑先輩に初めてサインをもらった時の情景を思い出した。

 先輩の実家は、S市にある高畑神社だという話だった。高畑神社と言えば、恋愛成就の神様として、ちょっとばかり名が知られている神社だ。

 折角、学校が休みなんだから、啓太の恋が成就するように、高畑神社に行ってみるのも悪くないかもしれない。気分転換にもなるだろう。

 善は急げだ。

 私は部屋に戻るとクローゼットを開け、素早くTシャツとジーンズに着替える。その上から薄茶色のスウェットパーカーを羽織ると、階段を駆け下りた。


         *


 自宅前の坂を自転車で下り、国道を五分ほど北上した後、交差点を右折して川を渡る。

 日差しが強い。自転車を漕いでいるせいなのか、十月下旬とは思えないほどに暑く感じた。

 コスモスに混じって、川沿いで揺れる真っ赤な彼岸花だけが、今が確かに秋であると主張している。

 上流から吹いてくる風が、髪の毛を優しく揺らしながら、暑さを和らげてくれた。

 気持ちがいい。

 彼岸花を横目に川を渡り終えると、繁華街に入る。行き来する人たちに注意しながらペダルを漕いでいると、数分で駅前のロータリーに出た。

 駅前の駐輪場に自転車を停めた私は、駅の改札をくぐる。

 高畑神社があるS市方面行きの各駅停車が到着したばかりだったので、迷わず乗り込んだ。

 龍崎先生のマンションがあったT駅で、急行電車に乗り換える。車窓を流れていく景色をボーッと眺めながら三十分ほど揺られていると、高畑神社の最寄り駅に到着した。

 改札を出る。

 私が住んでいる地域よりも海に近いS市は、思っていた以上に暖かかった。南からの暖かい空気が、海を越えて吹き込んでくるのだろう。

 私は、海からの風を背中に感じながら、高畑神社へと続く繁華街を進む。

 高畑神社は、子供の頃に、家族で一度だけ訪れた記憶がある。父がまだ生きていた頃だ。夏には風鈴祭りがおこなわれ、、カップルが奉納する数千もの風鈴が境内に飾られる。

 頭上に飾られた数千もの風鈴の華麗さと、風鈴が奏でる音の美しさに、子供ながらに感動したものだ。

 記憶を紐解きながら歩いていると、遠くに神社の鳥居が見えてきた。中央を通らないように注意しながら鳥居をくぐって、境内に足を踏み入れる。

 今は夏ではないので、風鈴は飾られていなかった。平日の昼間であるためか、参拝客は、私の他には見当たらない。

 正面には、朱塗りの豪華な拝殿がある。向拝部分に施された見事な透かし彫りが、この神社の歴史と伝統を示しているように思えた。私は拝殿に歩み寄り、財布から百円玉を出すと、賽銭箱に投げ入れる。

 お参りといえば、二礼二拍手一礼が基本だ。

 まずはガランガランと鈴を鳴らし、深々と二回、お辞儀をする。続いてパンパンと二回、手を叩く。

 ――龍崎先生の事件をどうするべきか、どうか教えてください。

 高畑神社のご利益が事件にまで及ぶのかどうかはわからないが、一応お願いしてみた。

 ――ついでに、啓太の恋が上手くいきますように。

 最後に今一度、深々と頭を下げる。

 参拝が終わると、左奥にある社務所へと向かった。

 さまざまな種類のお守りが売られていた。

 金襴が使われている六角形のノーマルなお守り、ガラス玉が付いた小ぶりなお守り、フィギュアのような干支の人形が付いた、ちょっと今風のお守り……。

 数百年という時を超えて人々にご利益を与えて続けてきた神様も、最近は伝統というこだわりを投げ捨てて、フィギュアにまで宿らなければならないらしい。

 神様も何かと大変だ。

 私は、お守り売り場の横にあるグッズ売り場を探した。残念ながら、高畑先輩の一押しであるピンク色の水玉模様のペンは売り切れだった。

 仕方なく、恋愛成就のノーマルなお守りを二つ、購入することにした。

 一個五百円だから、二個で千円だ。消費税込みで千百円。先月までに買っていれば、千八十円だったのにと思うと、訪れるのが一ヶ月遅かった事実が悔やまれた。

 自分のお守りも買おうか迷ったが、やめておいた。

 自分の恋の対象を誰に設定すればいいのかわからなかったし、何より買い過ぎたらご利益が薄まってしまうような気がした。

 神様もきっと忙しいだろうから、叶える願いが少ないに越したことはないに違いない。相手のいない私が買ってしまったばかりに、啓太と玲香のご利益が減ってしまっては申し訳ない。

 無事、お守りをゲットした私は、絵馬が飾られている絵馬所に向かう。

 私は、神社で絵馬を見るのが好きだ。だから、神社に来ると、必ず絵馬所に立ち寄る。

 自分でも不謹慎だとは思うのだが、人々の欲望が可視化されている絵馬は、なかなかに目と心を楽しませてくれる。

 もちろん、ほとんどは「ご縁がありますように」とか「学校に合格できますように」、あるいは「家族が健康でいられますように」などといった普通の願いごとが書かれている。

 しかし、なかにはよくわからないものが必ず一定数で混じっている。

 きっと、神様も困っているだろう。しかし、何の責任もない私は、ちょっと悲しい絵馬を、純粋な気持ちで心置きなく楽しもうと心に決めている。

 案の定、意味不明な絵馬がいくつもぶら下がっていた。

「コンビーフを吐くまで食べたい」

 ――いくら好きでも、吐いては意味がない。

「ある日、家に帰ったら義理の妹ができていますように」

 ――妹系アニメの影響による妄想が過ぎる。

「空手部の佐藤さんと突き合いたい」

 ――愛し合いたいのか、それとも戦いたいのか。

 書いている途中で力尽きたのだろうか。「私の職場で」で終わっている絵馬もある。

 その他諸々。

 一頻りツッコミを入れ、すっかり気分転換ができた私は、家路に就くために鳥居の方向へ足を向けた。

 確か、駅前にファミリーレストランがあった。あそこで、遅めの昼食でもとろう。

「鷺沢さん?」

 声がした。振り向くと、まさかの高畑先輩だった。心の準備運動ができていなかった私は、振り向いたまま美術室の石膏像のように凝固した。

「やっぱり鷺沢さんね。いったいどうしたの」

 見慣れた百点満点の笑顔だったが、笑顔の中に僅かに驚きと戸惑いが混じっているのがわかった。先輩の戸惑いに微かな親しみを感じ、硬直した体が少しほぐれた。

「ちょっと気分転換にと思って……」

 友達の恋愛成就のために訪れたと言おうかとも思ったが、必要以上にお人よしの暇人と思われそうだったので、言葉を濁した。

「それにしても、先輩のご実家の神社、立派な神社ですね」

 話題を変えた。

「有り難う。歴史はよくわからないんだけど、江戸時代の中頃にできた神社らしくて、代々、私の家が宮司を務めてるの」

「ひょっとして、高畑先輩も、行く行くは跡を継がれるんですか」

 高畑先輩は、「ふふっ」と小さく笑った。僅かに開いた口から、可愛らしい八重歯が覗いた。

「私は継がないわよ。兄が継ぐ予定になってるの。兄は、そのために今、神道系の大学で勉強しているわ」

 安心した。

 私の中では、高畑先輩は将来、ピアニストになることが既定路線となっている。ピアノを諦めて神社の宮司になってもらっては、何となくだが私が困る。

「ただ、お祭りや行事の時に忙しくなると、お手伝いをする時はあるのよ。巫女さんをやる時もあるわ。手を怪我するわけにはいかないから、危ない作業はやらせてもらえないんだけどね」

 さすがは将来を約束された「ピアニスト(仮)」。高畑先輩のご家族は、常に先輩の手を大切にする心掛けを忘れていない。

 私の家族はというと、包丁を持っての料理だろうが、日曜大工だろうが、常に私を先頭に立たせる。私の家族にも、少しは高畑先輩のご家族の気遣いを見習って欲しいものだ。

「鷺沢さん。あなた、お時間はあるかしら。もしよかったら、神社を出てすぐの場所にお汁粉屋さんがあるんだけど、お汁粉でもいかが。ご馳走するわ」

「お汁粉屋さん……、ですか?」

 刹那、私はテーブルを挟んで憧れの高畑先輩と向かい合う自分を想像した。とても、冷静でいられる自信はなかった。

「いえ、大丈夫です。お腹もあまり空いていないので」

 丁寧にお断りした時、お腹がグウと鳴った。


         *


 お汁粉屋は、鳥居から歩いて数十mほどの参道の脇にあった。入り口には赤茶色の暖簾が掛かり、暖簾の上には「三日月屋」と書かれた木の看板が掲げられている。入り口の横には、持ち帰り用の販売スペースがあり、ショーケースにできたてのおはぎやみたらし団子が並んでいる。

 高畑先輩が暖簾をくぐり、入り口を開けて中に入る。私も続く。

 店内の照明は、やや抑え気味だ。窓から差し込んでいる太陽の柔らかい光が、明る過ぎず、かといって暗過ぎない、ほどよい明るさをつくり出している。

 年代を感じさせる、黒光りした小振りのテーブルが六脚ほどあり、恐らく作業場があるのだろう、衝立の奥から僅かな機械音と美味しそうな甘い匂いが流れてくる。

 奥のテーブルでは、先客である女性の三人組が、コーヒーらしき飲み物を飲みながら談笑していた。

 私たちは、入り口にもっとも近い、窓際の明るい席に腰掛けた。

 席に着くと、すぐに店員さんがやって来た。

「あら、瑞奈ちゃん。いらっしゃい。今日は何にする?」

 お冷やをテーブルの上に置きながら、高畑先輩に向かって微笑む。若くてはきはきした喋り方が印象的な小母さんだった。

 考えてみると当然なのだが、高畑先輩とは顔馴染みのようだった。

「私は、ブレンドと抹茶汁粉をお願いします」

 メニューは全て頭に入っているのだろう。高畑先輩はメニューを見る事もなく、即答した。

「鷺沢さん、あなたは?」

「同じもので……、いいです」

 高畑先輩の問い掛けに、私は俯き加減のまま、か細い声で答えるのがやっとだった。

 想像以上の緊張感に襲われていた。

 無理もない話だった。気分転換をしようと軽い気持ちでやって来ただけなのに、気が付くと憧れの高畑先輩と向かい合わせで座っているのだ。

 そのまま、静寂の時が流れる。

 ――気まずい。何か言わなきゃ。

 しかし、焦るばかりで、言葉が浮かんでこない。

「佐伯先生のレッスンは、どう?」

 最初に言葉を発したのは、高畑先輩だった。私は、高畑先輩の問い掛けに、はっと我に返った。

「はい。とても優しく、丁寧に教えてくださいます」

「そう。それはよかったわ。佐伯先生を信じて、仰る通りに努力していれば、あなたもきっと今以上に上手くなるはずよ」

「はい。私もそう思います。だから、県大会で失敗してしまったのが、先生にすごく申し訳なくて」

 私は、先日の大失態を思い出し、唇を噛んだ。

「人は、失敗をして学んでいくものよ。だから、反省は必要だけれども、それを引き摺らないことが大切なの」

 高畑先輩の言葉の一つ一つが、私の胸に深く沁み込んでくる。

 石のように硬くなりながらも、高畑先輩の言葉の余韻に浸っていると、コーヒーと抹茶汁粉が来た。

「有り難うございます」

 小母さんに軽く会釈すると、高畑先輩はコーヒーにほんの少しだけ、ミルクを入れる。スプーンで軽く混ぜると、ゆっくりと口に運んだ。

「このお店、抹茶汁粉が評判なの」

 カップを迎え入れる高畑先輩の唇は、水面に浮かぶ桜の花びらのように美しい。私は、思わず見とれた。続いて、先輩を真似ながら、コーヒーを口に運ぶ。

 私にとって必須であるはずの、砂糖もミルクも入れ忘れていた。想像以上の苦味に、思わず顔を顰めた。

 顰めっ面の私を見て、高畑先輩は「うふふ」と上品に笑った。

 私は、恥ずかしさをごまかそうと、話題を探した。

「その……、先輩は、佐伯先生を信頼していらっしゃるんですね」

「ええ。先生は素晴らしい方だわ」

 高畑先輩は、遠くを見詰める表情になった。

「中学生時代、私は県大会で何とか上位入賞するレベルの、ピアノが好きなだけのごく普通の女の子だったの。中学卒業後は音楽教育がさかんな藤桜学園高校に入ってはみたものの、それでも全国レベルの大会で結果を残すなんて、ほとんど諦めていた。でも、そんな私を、佐伯先生が変えてくれた。先生が仰る通りに練習すると、自分でも不思議なぐらいに上達して、今までとても弾けそうに思えなかった曲が、思い通りに弾けるようになったの。理由はよくわからないけど、佐伯先生はきっと、人の中に眠っている力を上手に引き出せる方なんだと思う」

「私も、高畑先輩みたいになれるように、頑張ります」

「ええ、ぜひ頑張ってね」

 女神のような微笑みが、私の心と体を優しく包み込む。私は鼻を膨らませて、至福の時を満喫した。

 幸せなひと時を満喫しながら、抹茶汁粉を口に運ぶ。抹茶のふくよかな香りと、お汁粉の優しい甘さが、口の中に広がった。

 私の中の幸せが、倍増した。

「どう、美味しいでしょ」

「はい、凄く美味しいです」

 次の瞬間、それまで桜の花びらのように艶めいていた高畑先輩の唇が、急に引き締まった気がした。

「ところで鷺沢さん、あなたは、龍崎先生が殺されたと思っているのでしょう」

 余りにも唐突な一言だった。

 唐突過ぎて、私は高畑先輩の顔を見詰めたまま、静止した。

 しばらくの間を置いて、ようやく絞り出すように答える。

「どうしてそれを?」

「あなたの日々の行動を見ていれば、何となくわかるわ。それに、勅使河原さんからも、それとなくお話を聞いたの。あなた方、あなたと鷹水君は、龍崎先生についての話を聞くために、レコード会社にまで行ったのでしょう?」

「はい」

 素直に認めるしかなかった。嫌われても仕方がないが、この人に嘘はつけない。

 しかし、覚悟を決めた私の返事に対する高畑先輩の言葉は、意外なものだった。

「私も、龍崎先生は殺されたのかも知れないって思っていたの」

 高畑先輩は、優しく、それでいて強い意志を秘めた視線で、私を正面から見詰めた。私の視線を感じると、軽く頷く。

「え?」

 私は思わず大きな声を出し、慌てて口を押さえた。奥の三人が、一斉に私に視線を向けた。

「高畑先輩も、そう思っているんですか。でも、どうして……」

「どうやって殺されたかはわからない。けれど、何となくそんな気がしたの。そういうあなたは、どうして龍崎先生が殺されたと思ったの?」

「私の場合も、はっきりとした根拠があるわけではないんですけど、龍崎先生に自殺の理由がない点とか、遺書が実は遺書ではない可能性がある点とか……。殺害時刻は多分、私と鷹水君が龍崎先生の教員室を出た午前七時五十分過ぎ以降から、午前八時三十分までの間じゃないかと思います」

 私は、尊敬する高畑先輩に肯定してもらえたのが嬉しくて、今まで自分が知り得た事実、そして事実に基づく推理を熱く説明した。

 先ほどまで、借りてきた猫のように大人しかった私の豹変ぶりに、高畑先輩も、きっと驚いだことだろう。自分でもそう思ってしまうほど、私は饒舌になっていた。

 高畑先輩は、私の説明を真剣な眼差しで聞いていた。時には驚きながら、時には深く頷きながら。

 そして、こう締め括る。

「残念な事に、私にはあなたのような行動力はないけれど、あなたを応援しているわ。だから、手伝ってほしい事があったら、何でも言ってちょうだい。できるだけ力になるから」

 高畑先輩の言葉は、私を強く後押ししてくれる気がした。

 きっと、この言葉こそが、高畑神社のご利益なのだ。

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