第三夜 遠つ国の船

 わしらが船から降りた時、天空には妖しい極光オーロラが垂れ下がり、死屍累々たる焦土を照らし出していた。先遣隊の連中はほとんど斃されてしまったが、敵勢に十分な打撃を与えたらしく、戦死者の骸で城塞を築けそうなほどだった。

 ──お前もこの戦場の何処かにおるのか。

 わしは大昔に死に別れた息子のことを思った。だが、次々と下船する兵卒や巨人の波に揉まれ、そんな感傷も洗い流された。

「神々を殺せ! オーディンのはらわたをぶち撒けろ!」

 血走った目のロキが吠え、巨大な狼が駆け出した。海からは、死者と巨人の軍勢を乗せた船よりも巨大な蛇が現れ、陸に上がる。そのうねりで大地が波を打つ。

 二匹の怪物に呼応するかのように、敵勢もこちらへ駆けて来た。先陣を切る戦車を駆るのは、赤髭をたくわえ、柄の短い戦鎚を振りかざす屈強な男。かの有名な最強の雷神トール。片腕の軍神テュール、ヘイムダルら武勇で名立たる神々も後に続く。

 そして、八本脚の天馬に跨がり槍を携えた隻眼の老人。あの男こそがわしらの運命を弄ぶ神々の首魁、オーディン。

 弓を握る手に力がこもった。──あいつは、わしが殺してやる。


 しかし、神々の力は圧倒的だった。雷神トールが大蛇に振るった戦鎚の余波で隊列は吹き飛ばされ、巨人すらもが地割れに飲み込まれる。

 即死は免れたものの、イチイの弓は折れ、半身が岩の下敷きになり動けなくなった。懸命に踠きはしたが、到底抜け出せそうにない。

 憎き敵を目の前にしながら、何も出来ぬのか。わしは無力感に苛まれた。せめて、あの男が死ぬところを目に焼き付けてくれる。

 動ける兵たちがオーディン目掛けて突撃したが、その前に軍勢が立ちはだかり、壁となった。あいつが地上から掻き集めた神の勇士エインヘリャルだ。

「なぜ、そんな奴の味方をする? お前たちの運命を狂わせたのは、その男だろうに!」

 気が狂わんばかりに喚いた。

 わしも、息子も、一族の皆が、あの男の卑劣な振る舞いによって滅ぼされた。名高い勇者だった息子を麾下に置くため、わしらと敵対していた一族に手を貸し、討ち取らせたのだ。

 わしらだけの話ではない。神々の下で剣を振るう勇士たちは、元を辿ればあいつに殺された者ばかりだ。一人の英雄を手に入れるために、何百人もの運命を弄ぶ。そんな男が神々の王を名乗っているのだ。感謝することがあるとするなら、わしを勇士に選ばなかったことくらいのものだ。──だというのに!

 オーディンが槍を振るうたび、巨人どもがばたばたと倒されていった。

 ──役に立たぬ奴らだ。独活の大木め。

 罵倒を知ってか知らずか、魔狼フェンリルが奴に飛びかかった。オーディンは槍を振り回して凌いでいたが、狼は巨躯からは想像できぬ俊敏さで槍を躱すと、ついには甲冑を粉々に噛み砕き、ロキが命じた通りにはらわたを引きずり出したあと、憎い神をひと呑みにした。


 オーディンを喰い殺したフェンリルは、ヴィーザルに顎を引き裂かれて死んだ。

 大蛇ヨルムンガンドはトールの戦鎚に頭を叩き潰されたが、その猛毒の息は相手を蝕んだ。大蛇を屠ったのち、雷神はよろよろと後退り、どさりと倒れて息絶えた。

 気付けば、ロキもヘイムダルと相討ちになっていた。

 神も、人も、巨人も、獣も、ほとんどが死に絶えた。巨人の長スルトが持つ剣から炎が噴き出し、戦死者を荼毘に付した。

 ──この戦いで死んだ者は、死の国ヘルヘイムに向かうのだろうか。

 ふと、そんな疑問が頭をよぎったが、わしは生きたまま火に焼かれ、満足のうちに死んでいった。

 ついに悪は滅びたのだ──。

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