第二夜 神々の鉾たち

 見上げれど、星すら見えぬ。目に映るものは、暗闇の中を炎に照らされて舞う雪ばかり。

 世界の終焉を告げる角笛の音が神々の世界アースガルズに響き渡ってから、半日が過ぎた。太陽が天狼に飲み込まれた今、正確な時刻を知る術はないが。

 ヴィーグリーズの野には、すでに夥しい屍体が転がっている。死の女王ヘルが甦らせた死者であったり、巨人のそれであったり、同胞の亡骸であったりと様々だ。

 どちらの勢力が放ったか判らぬ炎が、そこかしこで暗闇を赤く染めている。

 屍肉の焼ける匂いに顔をしかめていると、スノッリが彼方を指差した。

「見ろ、あれはスヌーガの奴じゃないか?」

 目をやると、一段と堆い屍体の山の横に、よく見知った背格好の男が戦斧に身体を預けて跪いている。

 近づいてみるとスヌーガはすでに事切れていた。

「……こいつの斧に、何度頭をカチ割られたことか」

 大男のビョルンがぼそりと呟くと、スノッリとニルスがなぜか得意気に返した。

「俺も十遍は喰らった」

「へっ、俺なんざ数え切れねえよ」

 いつの間にやら、力尽きた男を皆で取り囲む形になっていた。

「馬鹿で粗野で嫌な奴だったが、紛れもない真の戦士だった」

「もう、お互い甦って殺し合うこともねえんだな……」

 誰かの呟きにハッとさせられた。

 俺たち神の勇士エインヘリャルは毎日互いに殺し合い、腕を磨き合ってきた。殺されても生き返る神々の宮殿ヴァルハラでの模擬戦とは違い、この最後の戦いで死んでしまえばそれまでだ。

「どうせ死ぬなら、こういう死に様がいいなあ」

 コンラッドは憧憬を込めた目でスヌーガの遺骸を見ている。

 数多くの敵を道連れに、地に倒れ臥すことなく、愛用の武器を手にしたままの最期は、戦士の理想だろう。

「お前もそう思わねえか、ヘルギ?」

 コンラッドが同意を求めて来る。俺は正直に答えた。

「確かに清く潔い最期だ。だが、俺はまだ死にたくはない」

「ほう。これは意外だ。お前ほどの戦士が死を恐れるとは」

 その時、宮殿の方角から天馬の嘶きが聴こえてきた。燦然と輝く九騎の麗しい騎馬が、天空高く駆け上がってゆく。天駆ける光は暗雲を打ち払い、雪の止んだ闇と溶け合って極彩色のカーテンを作り出した。

「あれだよ。死ねない理由は」

 漆黒の空に揺らめく美しい翠玉エメラルド色の光を見つめて俺は言った。

「なんだぁ、あの光は?」

戦乙女ヴァルキューレさ。彼女らの纏う甲冑が光り輝いて、極光オーロラを生み出すんだ」

「それが、お前の死ねない理由にどう関係するってんだ?」

「あの美しい女神の愛を得るまでは、死ぬわけにはいかぬ」

 俺は真面目に答えたが、仲間たちは冗談と受け取ったようだ。たちまち哄笑が巻き起こる。

「なるほど。お高くとまったあの女たち、宴席の酌だけで一度も夜伽の相手にゃならなかったな」

 腰を前後に振りながらスノッリが言う。下卑た仕草だ。貴様この場で死にたいか。俺は腰に提げた剣の柄に手をかけた。

「しかしヘルギよ。戦乙女の寵愛を受けるのは真の勇者のみ。この戦いで相応の手柄を立てる必要があるぞ」

 一人呆れた様子のビョルンが言う。

「是非もない。あれを見ろ」

 先ほどまで闇に乗じて行軍していた敵の軍勢が、極光に照らし出されてその全貌をさらけ出している。いつの間にか目と鼻の先まで迫っていた戦団とは、遅かれ早かれぶつかっていただろう。命拾いしたな、スノッリ。

 剣を抜き放ち、剣先を一際大きな体躯の巨人に向ける。

「これがいくさ納めだ! 今こそ戦士の矜持を見せる時! スヌーガの勲に続け!」

「おお!」

 思い思いの武器を手に、俺たちは荒れ野を真っ直ぐに駆けてゆく。

 ──戦乙女よ、御覧じろ!

 月の光も星の瞬きも消えた夜空に、彼女たちだけが妖麗な輝きを放っている。剣を天高く掲げ、磨き上げた刀身にその光を受けると、雄叫びを上げて眼前の巨人と斬り結んだ。

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