第3話 異邦の地




 あれから暫く切れ長な目で睨まれながら頭を激しく揺さぶられていたが、なにかに気付いたのか、彼女は一旦手を離すとその場で手を組み、祈りを捧げるような格好で静かに目を瞑る。


 そのまま祈るような恰好でぶつぶつと何かを口の中だけで呟いているが、その音量はとても小さく聞き取る事はできない。


 俯いた拍子に首筋から零れた髪の毛は、白い大理石から零れる黄金のシャワーの如く。ひどく集中してる様と相まって、まるで神話の一部を切り取ったような荘厳な美しさを感じて思わず見惚れてしまう。


 そしてあまり時間はかけずに呟くのをやめたかと思うと、いきなり彼女の両手が淡い光を出し始めた。


 おかしな出来事のオンパレードにすこし時広も慣れたのか、どうやって光らせているのだろうかなどと考えていたが、後々考えるとその時は思考が麻痺していたとしか言いようがない。


「―――?」


 なにかの単語を言った後女性はおもむろに時広のおでこに自分の手を当て、熱を測るように自分のおでこにも手を当てた。


 いきなりのスキンシップにしどろもどろになるが、なにか意図しての事であろうと予測を立てなるべく動かないようにする。


 すると、チクッとした一瞬の痛みに顔をしかめるが、徐々におでこに当てられた手の部分が温かくなり、幸福感が体を包む。


 そしてしばらくその幸福感が続いたが、スッと彼女の手がどかされると同時に幸福感も無くなってしまう。真冬に布団に包まれているような心地良さであったが、おもむろに布団を剥がされてしまったような気分で、自分では気付いていないが眉間にシワが寄っていた。


 そして彼女も自身に当てていた手をどかし、ゆっくりと目を開くと時広に向かって話しかけた。


「この言葉の意味がわかりますか?」


 流暢な日本語で。


 いきなりの展開にまたもや頭が付いて行かない。先ほどまで全く聞いたことの無い異国の言葉で喋っていた彼女が日本語をスラスラと話しはじめたのだ。この驚愕は言葉では言い表せない。


 脳が全力演算中で、金魚のように口をパクパクとさせている時広を見て不安になったのか、彼女が言葉を紡ぐ。


「おかしいですね……。翻訳の術は問題なく成功しているはずなのですが……。この言葉の意味がわかりませんか? あの?」


 自分に話しかけられているという事にはさすがに気が付いたのか、とにかく日本語が通じるならば問題は無いかと考えるのを辞め、あわてて返事を返す。


「あ! はい! 問題ないですちゃんと聞こえてます! すいませんいきなり日本語で話しかけられたので驚いちゃって……」


「あなたが喋っていたのはニホン語、というのですね。無事術が通じていて安心しました」


 あからさまな安堵の表情を浮かべた彼女であったが、次の瞬間には少し下がった目じりもキッと上り、凛々しいというよりはキツめの顔になりいきなり早口でまくしたてる。


「私はシュミザール森にあるエルフの里を収めている、エルフの王族ウィンディーヌ家の次女、リサルフィーヌ・マルガナサッツ・ウィンディーヌと申します。突然現れて驚かれたでしょうが、今私たちの里が非常に危険な状態なのです! 後程正式な謝罪を上げさせていただきますが、今はとにかく火急で時が惜しいのです! 無礼を承知でお尋ねしますがここがどこか教えていただけないでしょうか」


 王族? 里が危険? シュミザール森? と言うかいきなり現れたって自分でわかっているのか? など色々なキーワードに頭をよぎり、脳は全力演算中だが、とにかく場所を聞かれているので答えねば、となんとか言葉をひねり出す。


「こ! ここは日本の首都、東京の足立区って所の外れにあるアパートだけど……」


「ニホン……。聞いたことの無い国……。そんなにも遠くに飛ばされたと言うのですかっ!! 一刻でも早く里の危険を知らさねばならないというのにっ!!」


 またも顔を青くすると涙をボロボロとこぼし、大声を上げて泣きながらその場に膝から崩れ落ちてしまうリサルフィーヌ。


 完全なるパニック状態のリサルフィーヌにどうすることもできずオロオロとしてしまう時広。こっちもこっちでパニック状態であった。


 リサルフィーヌにペースを完全に取られて全く聞きたい事を聞けない。問いただしたい問題は山のようにあるが泣いている女性に男は弱い物。どうすることもできずその場にあった救急箱を抱えながらオロオロするしかない。


 そしてリサルフィーヌがいきなり立ち上がり、強引に涙を手で拭くとまた強い光を目に宿して時広に詰め寄った。


「とにかくっ! 今は本当に時間が惜しいのです! 今こうしている瞬間にも里はあの怪物モンスターに蹂躙されているかもしれないのです! 急ぎ近くの連合軍を派遣してもらわなければ里どころか近隣の国はたちどころに滅んでしまいます! 近くの領主館や大使館を教えてください!」


 も、モンスター? なんだかすごく怖い響きであるが、連合軍なんて世界大戦でも無い限り編成されないと思うが……。相手が冷静でないと自分が冷静になるというのは本当の事のようで、さきほどまでオロオロしていたが急激に頭が冴え、思考速度も速くなっていた。


「と、とにかく大使館は都内に沢山ある。その里はどこの国にあるんだい? もし所属していないのなら一番近隣の国を教えてくれ。そうしたら案内できる」


 とりあえずエルフの里というのが本当に存在するかもしれないと、シュミザール森という森は聞いたことが無いがどこかの国にあるのであろう。そしてなにより本物のエルフがここにいるのでその里があってもなんらおかしくはない。とにかく冷静になってもらって案内するしかない。


「シュミザール森はバランナル王国の領土内にあります。ここがもし違う大陸だとしても私たちが住んでいた大陸では随一の領土を誇ります。知らないはずは無いでしょう?」


 バ、バランナル王国……? 聞いたことないぞ……? 大陸随一の領土を持ってるなら世界地図に載っていないはずがないよな……?聞いたこともない小国ならばまず大陸随一と表現できないはずだ。と、すると……、エルフに翻訳の術だったか? 訳も分からない技術。そして聞いたことの無い大陸。時広のやけに冴えた頭はあまり想像したくない答えをはじき出していた。


「い、一度冷静になって俺の質問に答えてくれ。まず一つ、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、ブラジル、ロシア、中国。この中で聞き覚えのある単語が一つでもあるかどうか。そして魔法、魔術、魔物、ドラゴン、ドワーフ、トロル、ゴブリン。この中でも聞き覚えのある単語が一つでもあるかどうか」


「その質問になんの意味があるのですか? 前者は全く聞いたことがありませんが後者は常識的な単語ばかりです。魔術だって先ほど私が見せたばかりでしょう。時が惜しいと言ったはずです! 早く大使館に連れて行ってください!」


 これで確定した。時広が頭の中で考えていた仮説はぴったりとあてはまってしまった。


 エルフという種族、教育を受けていればわからないはずがない国名。それに相反するかのようなファンタジー的な単語を常識的な単語と言う。そしてさっき実際に見て体験した魔術。


 これだけのピースが揃えばもう言い逃れはできない。無駄に冴えた頭がそう答え付けた。


「落ち着いて聞いてほしいんだ。ここは多分……、君が住んでいた世界じゃない、恐らく違う世界なんだ。エルフという種族は恐らく存在しないし、物語にしか登場しない。そしてなによりバランナル王国なんて大国も無いし、シュミザール森って森の名前は聞いた事が無い。そして、魔物も存在しないし魔術なんか使える人は居ない」


 ゆっくりとなるべく優しく言葉を紡いで行く。しかしその言葉をゆっくりと聞いている彼女はまた段々と顔が青くなっていった。


「とても言い辛い事なんだけど、その連合軍ってのに連絡する手段も……、無いと思う」


「そ、そんな……、そんな話……そんな事……」


 そう言った瞬間、彼女は気を失いフラリと倒れた。


 あまりのショックに防衛本能が働いたのであろう、あわてて彼女を抱きとめるとまたゆっくりと布団に横たわらせた。


 残酷な宣告をした時広もかなり精神的にはダメージを負っていたが、彼女の方が想像もできないほどの重いダメージを受けているだろう。


 まるでファンタジー小説のような出来事だが、自身に起こった本当の出来事だ。そしてその内容は少ないキーワードで想像するしかないが、軽々しく口にできないほどヘビーな物である事は間違いない。


 とにかく、もう一度彼女が起きたら詳しく話を聞き出してみよう。もしかしたらなにか糸口が見つかるかもしれない。


 この言い表せない不快な感情を消す為に、タバコに火を付け吸いだした。

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