第185話暴虐

 



姿形すがたかたちは若干異なるが、アレは喰魔だ……)


 ザラザードは遠巻きにベルゼブブのことを見たことがあった。

 アレと戦ったら絶対に喰い殺されると悟っていたザラザードは戦いに行くまいと静観していたが、見ているだけで生きた心地がしなかった。

 それだけ、喰魔の存在は恐怖の対象だったのだ。


  その恐怖を、今目の前にいる化物からもひしひしと感じる。

 あの時ほどの絶望感はないが、それでも喰魔が纏う雰囲気は変わっていなかった。


 ――喰い殺される。


 慄いているザラザードに、黙って見ていたスレインが話しかけてくる。


「らしくないですね、妖王ともあろうお方が何を弱者のように震えて。力をお貸ししましょうか?」

「裏蛇……貴様はアレを知らんのか?」

「ええ、知りませんが。その口ぶりですと、どうやら貴方は知っているようですね」


 怪訝そうに質問するスレインにザラザードは「ああ」と頷くと続けて、


「あれは喰魔だ。遥か昔、魔界を喰い荒らした怪物。魔界の誰も奴には勝てなかった……正真正銘の化物だ。この戦い、引いた方がいいかもしれぬぞ」

「……はっ、急に何をヒヨっているんですか?遊王をあと一歩のところまで追い詰め、勝利は目前なのです。ここで引くなど論外だ」

「ならどうする?勝てる見込みは低くなったぞ」

「それは貴方だけで戦った場合でしょう?私とドラホンが加われば、あんな化物風情に負ける道理はありません」


 そう告げると、スレインの魔力が高まっていく。

 高みの見物をしていたスレインが戦る気になり、ベルゼブブが「ホウ」と愉しそうに口角を上げた。


 魔力が高まり、スレインの身体が黒く光る。

 彼を中心に風が巻き起こり、砂煙が巻き起こった。

 そして――己の中に眠る本能を呼び覚ました。


「闘神招来――【賂欺ロキ】」


 刹那――スレインの姿が一変した。

 頭の上にはとんがり帽子を乗せ、左半分には仮面をつけている。古びた服装を身に纏い、小さなマントを羽織って、長いブーツを履いている。

 かしこまった軍服とは一転し、売れない道化師のような風貌になっていた。

 しかし、その身に纏う魔力の質と量は桁違いに跳ね上っている。

 冷たく濁った魔力に当てられ、詩織と麗華は背筋に寒気が走り吐きそうになった。


 力を解放させたのは、スレインだけではない。


「原獣隔世――【真赤竜しんせきりゅう】」


 ドラホンもまた、その身を真の姿へと変える。

 三メートル超あった人型が、全長十メートル超の赤竜レッドドラゴンへと変貌した。

 二本の角、黄金の眼、真紅の鱗。

 凶暴かつ神聖。伝説上の生物。一息吹けば、全てを焼き尽くす。


「こ、こんなことって……」

「勝てる気が、しませんわ……」

「参ったね……」

「ドラホン、本当に本気なんですね……」


 闘神招来したスレイン。

 原獣隔世したドラホン。

 そしてザラザード。

 魔界の中でも最上位に位置する化物共に囲まれ、詩織と麗華は生きた心地がしなかった。アラベドは顔を引き攣らせ、ユラハはドラホンを見上げて悲しそうにしている。


 ベルゼブブは「面白くなってきたじゃねぇカ」と舌を垂らすと、魔王の力で構成された球体で詩織達を囲った。


「えっ!?」

「何ですのこれ!?」

「そン中から出るンじゃねえぞ。オレ様も、テメエ等を守りながら戦うなんて面倒臭えからよ。そン中なら、多分生きていられるぜ」


 驚きながら球体の壁を叩く彼女達にベルゼブブが助言する。

 防壁の役目であるその球体に、ベルゼブブは力の半分を注ぎ込んでいた。最悪この場が焦土と化そうとも、球体の中にいる詩織達は無事な筈である。


「貴様に喰われた同胞の無念、この場で返させてもらうぞ」

「潔く死んでください」

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 殺意を滾らせる強者達に、暴食の魔王は愉しそうに口を開いた。


「喰い応えがありそうダ」


 開幕の口火を切ったのは、ドラホンだった。


「レッドブレス!!」


 灼熱の吐息。

 巨大な口から放たれた炎の熱戦は、大気を焼き尽くしながらベルゼブブに強襲。ベルゼブブはその場から大きく跳躍した。


「「わああああああああああああ!?」」


 ブレスが黒の球体に激突する。中にいる詩織達は迫り来る吐息を前に絶叫を上げたが、球体には衝撃すら起こらなかった。


「す、凄いね……これ……」

「死んだと思いましたわ……」


 ベルゼブブは信頼しているが、あんな威力の攻撃が来たら反射的に死を覚悟するのも無理はない。

 彼女達が「はぁ……」と安堵の息を吐いている間に、空中では激しい攻防が繰り広げられていた。


「ブラッドランス」

「チッ」


 ザラザードが数百の血槍を一斉に発射する。ベルゼブブはうざったそうに舌打ちすると、背中から四本の触手を放って払い落した。しかし、間髪入れずスレインが仕掛ける。


「フェイク・アゲイン」

「あン?」


 スレインが魔言を唱えると、たった今ザラザードが使った血槍が再現される。血槍はさきほどと同じように、一斉にベルゼブブに飛来した。何度来ようが通用しない。ベルゼブブは再び触手で薙ぎ払うが、何故か手応えがなかった。

 首を傾げていると、地上からドラホンが飛び上がってきて、その勢いのまま巨大な拳を打ち放ってきた。

 力勝負で負ける訳にはいかない。ベルゼブブも引き絞った拳を放つ。


 拳が重なり、ドゴオオン!!と重低音が轟いた。

 力は互角。いや――ベルゼブブが僅かに押し負けていた。


「あン?」


 拳を振り抜かれ、ベルゼブブの巨躯が吹っ飛ぶ。くるりと一回転して地面に着地したベルゼブブは、訝しげな表情を浮かべた。


(オレ様が力で押されただと?)

血雨ブラッディレイン!!」


 降り注ぐ血の雨に対し、ベルゼブブは魔王の力で大きな傘を作る。傘で血雨を凌いでいると、突然背後にスレインが現れた。


「終わりだ」

「チッ」


 右手に持つ剣で一閃するスレインだったが、ベルゼブブは身体を逸らして紙一重で躱す。

 受けるのではなく、敢えて躱した。ベルゼブブがその判断に至ったのは、スレインが手にする剣に嫌な気配がしたからだ。あの剣に斬られると、最悪な状況に陥ってしまう。

 彼の直観は、見事に当たっていた。


 スレインが使う剣は『凶魔の剣』という魔剣だ。

 斬った対象の魔力を乱し、狂わせてしまう。

 魔力を暴走させることも可能だし、魔力を消失することも可能だ。

 ドラホンの兄であるドラグノフを暴走させたのもこの魔剣の力である。そして、暗示をかけ闇に堕としたのは、彼本来の能力であった。


 奇襲が失敗に終わったスレインは、背景に溶け込むように姿をくらましてしまう。魔力の残滓を追うが、スレインの気配が完全に見失ってしまった。


(面倒くせー能力だナ)


 胸中で悪態を吐く。

 闘神招来したスレインの能力は多彩だ。

 空間に干渉することで、多くの効果をもたらす。


 自分の姿を隠蔽したり、ザラザードの攻撃をもう一度再現したり、ベルゼブブの感覚すらも操ってしまえるのだ。

 さきほどドラホンの拳撃に力負けしたが、実際にはベルゼブブの方が膂力は上である。では何故押し負けたかというと、スレインの能力によって、『ドラゴンの方がパワーがある』と錯覚してしまったことで、本来の力を出し切れなかったのだ。


 スレイン自体にはそれほどパワーがある訳ではない。

 四軍団長の中でも最も非力だろう。だが彼の能力は、厄介かつ強力だった。

 パワーでゴリ押しするベルゼブブにとっては、苦手な部類の敵である。


「ハッ、面白ぇじゃねーか」


 暴食の魔王は愉し気に嗤う。

 ワンサイドゲームになると思っていたが、そんなツマらないことにはならないようだ。


「レッドブレス」

血流ブラッドストリーム


 上空から熱線と血の竜巻が瀑布のように降り注いでくる。ベルゼブブは腰から蜘蛛糸を横方向にある地面に付着させ、伸縮移動により攻撃を回避した。


 蜘蛛糸は晃の技であり、ベルゼブブはこんな風に魔王の力を使ったことが一度もない。しかしやってみると、意外と便利なことに気が付いた。異世界の人間、いや晃の技を編み出す柔軟な考えについ関心してしまう。


 側面で轟音が響く中、ベルゼブブは力一杯地面を蹴り上げて跳躍した。

 凄まじい勢いでドラホンに迫る。


「ガァ!」


 ドラホンはもう一度レッドブレスを撃ち放つ。

 空中なら逃げ場はない、仕留めた。そう思ったが、ベルゼブブは身を翻して吐息を躱してしまった。いつの間にか、ベルゼブブの背中から四枚の羽根が生えている。


「何!?」

「これでもオレ様、蝿の王なンだぜ」


 ベルゼブブは自慢げに言うと、狼狽するドラホンの背中に取りついた。


「クッ、離れんか!!」

「暴れンじゃねえよ」

「グオ!?」


 ふりほどこうと暴れるドラホンの身体に、殴打のラッシュを繰り出す。

 無防備な背中に連打を喰らってしまい悶絶してしまう。


「このッ」

「おっと」


 ドラホンは鱗の表面から炎を吹き上がらせる。

 この技は魔力を多く使用する上にドラホン自身にもダメージがくるので使いたくなかったが、背に腹は代えられない。

 炎から逃れるため、ベルゼブブは羽を駆動させ空に舞う。その好機に、二人の強者がすかさず仕掛けた。


「血槍」

「フェイク・アゲイン」


 左右から、大量の血槍と熱線が飛来してくる。

 回避しようと羽を動かそうとするも、感覚が掴めない。恐らくスレインの仕業だろう。

 ベルゼブブは両方に手を翳すと、両手を巨大な狼の顔に形を変える。

 顎を大きく開き、そして――喰う。


「「なに!?」」


 驚愕する。

 ベルゼブブは二人が放った技を喰ってしまったのだった。実はこれも、晃が編み出した技である。

 喰らったエネルギーを己の魔力に変換し、更に上乗せして放出する。


蝿王ベルゼ咆哮ハウル

「「――!!??」」


 刹那――破壊の暴風が吹き荒れた。

 ベルゼブブの両手から放たれた衝撃波は大気と音を壊し、ザラザードとスレインに襲いかかる。

 スレインは能力によって間一髪回避したが、ザラザードは衝撃波に飲み込まれ木端微塵に破壊された。


「■■■■■ッカッ……ゼェ……ゼェ」

「おい、ナニ休憩してンだよ」

「――オゴッ!?」


 肉体を復活させ、呼吸が整っていない妖王の頭を鷲掴んで地面に叩きつける。

 頭蓋骨が粉砕され血が飛び散っても、何度も何度も繰り返した。ザラザードが意識を失わないように手加減し、弄んでいる。

 その凄惨たる光景は、まさに暴虐の魔王だった。


「ヒハハハハハハハ!」

「己えええ!!」


 凶声を上げるベルゼブブに、ドラホンが渾身の一打を叩きこむ。

 迫る巨拳を、ベルゼブブはたった五指で受け止めた。


「なっ!?」


 信じられないと言わんばかりに目を見開く。

 先ほどは競り勝った筈なのに、どうして指だけで受け止められてしまったのだろう。困惑するドラホンの拳を、ベルゼブブは指に力を込めて握り潰す。


「グオオオオ!?」


 拳を壊され悲鳴を上げるドラホン。ドラホンとの攻防をしている間も、ベルゼブブはザラザードの身体を叩き続けている。


「――ッ」

「テメェの手品は見飽きた」

「――なっ!?」


 二人に注意が削がれている間に肉薄しようと試みるスレイン。

 その前に、些細な魔力を察知したベルゼブブがパチンと指を鳴らし、黒い箱を作ってスレインを閉じ込めた。

 スレインは能力によって空間を操り、黒い箱から脱出しようとするが――、


(空間に干渉できない!?)


 自分の魔力が空間に伝わらない。

 動揺するスレインに、ベルゼブブは愉しそうに説明する。


「箱の部分の空間だけオレ様が喰った。存在しない空間に、テメェが触れることは不可能だぜ」


 そう言うと、ベルゼブブは箱に向かって手を突き出す。


「晃がやってンのを見て、一度やってみたかったンだよな」


 ぎゅっと、掌握した。


「アイアンメイデン」

「ぎいやああああああああああああ■■■■■■■■■■!!!」


 箱の中で絶叫が轟く。

 空間を喰ってしまっているので、耳障りな悲鳴は一切こちらに届かない。箱の中にいるスレインは、一体どんな末路を晒しているのだろうか。


 晃の技が決まってご満悦なベルゼブブは、そろそろ戦いを終わらせようと動きだした。


 掴んでいるザラザードの身体から、魔力を喰らい尽くしていく。

 魔力を奪われてしまうザラザードは原獣隔世が解けてしまい、元の老人の姿に戻ってしまった。よぼよぼになったザラザードの身体を、ゴミのように放り投げる。


(……あのような化物に手を出した、我輩が愚かであったか)


 地べたに這い蹲る妖王は、掠れる意識の中で、ベルゼブブに戦いを挑んだことを後悔していた。


 違う、地力の差が違い過ぎる。

 過去最強にまで至った自分に、スレインとドラホン。その三人が束になってもまるで歯が立たなかった。

 戦いにすらなっていない。

 自分達はただ、ベルゼブブの退屈しのぎの玩具として遊ばれていただけだったのだ。

 魔界を喰らい尽くした喰魔の力は、ザラザードの想像を遥かに超越していた。


「ふう……ふう……」

「かかってこいよ。今度はどこを潰されたい?」


 最後の一人となったドラホンは、果敢にベルゼブブに立ち向かう。

 しかし呆気なく打ち負かされ、原獣隔世も解けてしまった。ベルゼブブは倒れているドラホンの胸を踏み潰すと、ドラホンは白目を向いて気絶する。


 敵勢の主力三人を圧倒し完全勝利を果たしたベルゼブブは、首をコキコキ鳴らすと、


「まぁ、こンなモンか。久々に暴れてスッキリしたし、魔力もたらふく食って満足だ。ただまぁ、次は肉を食いてぇな」


 ペロリと口周りを舐め、見る者を恐怖の底に陥れるような不気味な笑顔を浮かべたのだった。

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