第5話

 カイザはナウタの足首の下にフットピローを置きながら「ナウタさん、寒くないですか? 」と声をかけた。

 施術前の体感温度の確認は必須だ。冷えを感じさせないよう気を遣う。もちろん、施術者の手が冷たくては元も子もない。施術前には手のウォームアップが欠かせない。


「いや、大丈夫だよ」ナウタは口だけ動かして応える。

 ちょうどよい空調で、すっかり外の暑さを忘れてしまっていた。俺って都合いいヤツだな、と心の中で苦笑する。


 カイザはナウタの足元にあるスツールに腰掛け、横にある棚から茶色の小瓶を一つ取り出す。

 どのアロマオイルを使うかは、一人ずつ状態を見てから決めている。

 カイザは茶色い小瓶から放たれる芳香を確かめてうなずき、予め用意したキャリアオイルに数滴垂らす。今日はホホバオイルにした。

「今日はオレンジ? 」ナウタが鼻をわずかに上を向かせ尋ねた。

「そうです。今日は″オレンジ・スウィート″にしました。食欲不振やぐっすり眠りたい時、老廃物の排出にもいいですね」

 カイザは言いながら、失礼しますとタオルをめくってナウタの左足を出す。ブレンドしたオイルを手に取り体温で温め、オイルを塗り広げた。

 オレンジの芳香が広がる中、カイザの両手のひらは膝上から爪先を往復し、膝裏に両指先の腹をあてがい、膝を軽く持ち上げる。

 足の重みを指の腹にかけ、リンパ節に圧をかける。人によってはのけぞって悲鳴をあげる。リンパの流れが滞っていてかたまっているからだ。

「うぉ、ここは毎回痛いなぁ」眉間に皺を寄せてナウタが言う。

「一度体を整えても、時間が経つうちにまたリンパが滞ってしまうんですよ」

「なるほど」ナウタは目を開けたがタオルで何も見えない。

 カイザはナウタの膝の皿周り、特に上部を親指と中指で挟むようにして刺激する。

ツボを刺激してさらに血行が良くなる。

「さぁ、足裏にいきますね」カイザはナウタの顔から温度の下がったタオルを外し、乾いたブラウンのタオルを置いた。


 カイザの手は足裏に移る。ナウタの足裏は、年中サンダル履きのため革靴を履く人より指が開放的だ。力を緩めるために足指全体を握り、指先を前後左右させる。関節が音を立てた。柔らかくなったところで、足指を固定し、足首を回す。

 足裏に戻り、中指付け根から指をおろしていき、少しへこんだところを、ゆっくり人差し指関節で押す。ここは腎臓にあたるところだ。

「ぅほう。今日もくるねぇ」ナウタが嬉しそうに言う。

 カイザはその指を土踏まずに流す。腎臓から尿管、膀胱へと排出を促すルートだ。

 ここの流れがよくなるかどうかで、施術の出来が変わるといっても過言ではない。


 初来店時、ナウタは漁師仲間からの紹介で来た、と乗り気でない口調だった。

 「最初は痛い思いして金払ってどうすんだよって思ったけど、終わった後スッキリしてよく眠れた。驚いたよ」と言い、毎月来店するようになった。

 皮膚が厚く角質化していたナウタの足裏は定期的に通うにつれ、皮膚が柔らかくなってきた。同時に笑顔が増えてきた。

 今では痛みを楽しめるようになってきている。これは良い前兆だ。

 しかし、まだ本心は見えていない。


「カイザさんって、モテるでしょ? 」少しかすれた声でナウタが言った。

「私のどこを見てそのように思われるのでしょうか? 」

 不思議そうな表情でカイザは聞き返す。しかし、その表情はナウタには見えない。

 カイザの手は止まることなく足裏に刺激をあたえ続ける。

「なんでって、だって優しいしイケメンだし頭いいし。いたた」

 体の首に当たる反射区、親指の付け根をカイザの親指関節で押しているので、ナウタの声が痛みに耐え、途切れる。

 首の反射区は喉も含まれる。言いたい事がすんなり出てくる事もある。

「どうなさったのですかナウタさん」

 ナウタの喉元が動いている。カイザは優しく声をかけ、刺激を調整する。


「最近さぁ、早くいい人見つけろって親がうるさくて。もちろん婚活してるけどさ」

「努力されていらっしゃるんですね」カイザは言いたいことはこの事だと直感した。

「なかなかいないんだよね。いいなと思っても断られるし・・・」ナウタが自嘲気味に言う。

「なぜでしょう。ナウタさん爽やかイケメンで今流行りのマッチョですよ」カイザは一旦手を止めて言う。

「ははっ、ありがとう」とナウタが小さい声で返す。

 カイザは親指から小指まで終わり小指付け根から3センチ位までの範囲を親指関節で外側に向けて掘るようにスライドさせる。ここは肩の反射区だ。続いて僧帽筋に当たる足指付け根すぐ下の膨らみもほぐしていく。

 ここから眠気が体と頭を支配し始める。要は眠気との戦いだ。少しずつナウタの呼吸が安定してきたようだ。


「カイザさん。俺……実は子供がいるみたいなん……すよ」暫くして寝言のような口調でナウタが言う。

「……みたい、ですか?」カイザの手が止まった。失礼しましたと詫び、両手の親指関節を足裏中心にあてがい、両外側に向かい八の字に流し、小腸と大腸を刺激する。

「もう20年以上経つのか。若気の至りってヤツなのかな」

 遠い記憶を辿っているのか、独り言に近い声量でナウタが語り出す。

 カイザは静かに耳を傾けながら、握りこぶしの第2関節で上から下に足裏全体を流す。

「一ヶ月程旅行でこの島に来た子だったんだ。漁船見せてくださいって言われて案内したのがきっかけで。一人旅で初めて来たっていうから色々案内してるうちに仲良くなって。……彼女が帰る頃にはお互いに将来を誓い合うまでになってさ。彼女が帰って暫くしてから子供ができたって手紙が来て。俺はいつでも一緒になる気でいたから、喜んでいたんだど……」ナウタの声がつまる。

 カイザはすでに反対の右足に移っていた。ナウタが次に発する言葉を急かす事なく施術を続ける。右足が終わる頃、ナウタが口を開いた。

「ちゃんと結婚するつもりだったんだ。でもそれ以降一切連絡取れなくなって……一度手紙に書いてあった住所に行ったら誰も住んでいなくて。それ以来彼女がどこにいるのか、子供がどうなったのか……。全くわからないまま。今となってはホントの事だったのか……夢だったのかなって」

 ナウタはずっと心の奥底に沈んでいた想いが、少しずつ浮かび上がってくるように言葉を発する。

「ははっ、まっ、今さらこんな事言ってもしょうがないけどね。確かめようもないし」乾いた笑いを乗せてナウタが言った。

「だから、ちょっとでもいいなと思う子がいても、昔みたいに自分の前からいなくなるんじゃないかって。トラウマだね、こりゃ」わざと明るい声でナウタが言い、足指をユラユラと動かす。

「ナウタさん……足、仕上げますね」カイザはタオルウォーマーからホットタオルを二枚取り出す。

 一枚は長めに畳んでナウタの両膝の下に敷き、リンパ節を温める。

 もう一枚は左足の上に乗せ、上から軽く擦りオイルを拭き取る。反対の足もタオルを返して同様にする。

 ナウタの足元にあるスツールに再び腰掛けたカイザは、ナウタの足指に付いたオイルを丁寧に拭き取りながら口を開く。

「少しずつでも、一歩前に進めるといいですね」

「ありがとう。何だかごめんね。へんな昔話しちゃって。でも話したらスッキリしたよ」

「いえいえ。お客様に心身共にスッキリしていただくのが私の勤めですから」

カイザは拭き取って冷たくなってきたタオルを外し、再び上からバスタオルを掛け、優しい口調で言う。

「お飲み物用意しますので、暫くこのままお休み下さい。失礼します」

 カイザは軽く礼をして静かに退室した。


「ふぅ。今日も気持ちよかったなぁ。よっと」仰向けになりながらナウタが独りごちる。

 終わった後の軽い脱力感が気持ちいい。夏休みに朝から夢中で海遊びして、家に帰って急にグッタリしてきて、お腹空いているのに夕飯前に眠ってしまうような感じだ。よく親に怒られていたっけ。

 腹の奥がくすぐったいような気持ちになって、ふとさっきの事を思い出す。

 何で今まで誰にも言ったこと無い事を口にしてしまったのだろう。

 

「失礼します。お飲み物お持ちしました」カイザの声がカーテンの外から聞こえた。

「ああ、どうぞ」目をこすりながらナウタが応え、ベッドから降りて近くにある一人掛けのソファに腰を下ろす。

「本日はカモミールティーです」カイザはソファの近くにあるサイドテーブルにティーカップを置いた。

「ありがとう」ナウタはカップを手に取り、ゆっくりと飲む。喉がが喜んで温かい液体を受け入れる。

「本日はナウタさんで予約は終了なのでごゆっくりどうぞ。失礼します」静かにカイザが退室した。


 この店に来るまでハーブティーなんて口にすることなかった。これも楽しみの一つになった。

 いつものんびりさせてもらって(爆睡することがほとんどだが)いるが、今日の突然の告白に気を遣ってくれたのだろう。さりげない気遣いにいつも驚かされる。

ナウタは目を閉じ自分の心に問いかける。

(俺はどうしたいんだ?彼女や子供に会いたいのか?そもそもいるのかどうか確認したらいいのか?)

 ナウタは伸びかけの暗緑色の髪をモシャモシャとかき回した。今更どうこう考えても仕方ない。明日も朝から仕事だから早く帰って寝るか。ナウタは慣れた手つきで着替えを済まし、フロントに出た。


「あっ、ナウタさん。もうよろしいのですか」フロントでパソコンに向かっていたアデリーが言った。

「うん。明日も朝早いし、よく眠れそうだから早く休もうと思ってね」ナウタは言いながら支払いを済ませる。

「ありがとうございます。いい夢が見られるといいですね」アデリーが見送りのため、ドアに向かう。

「ナウタさん。ありがとうございました」いつの間にかアデリーの隣にカイザがいた。

「おっ、今日もありがとう。よく眠れそうだよ」

「それはよかったです」カイザが軽く頭を下げる。

「じゃ、またね」

「お気をつけて」アデリーが素早くドアを開けながら言う。

「ありがとう」背中越しに手をヒラヒラさせ、ナウタは歩き出した。

 ナウタの向かう先には大きな夕日があり、あと少しで海に沈む。しかしこの夕日は日中の暑さをまだ離してくれない。


 カイザとアデリーは店の外で見送る。これがサロンの流儀だ。ナウタの姿が見えなくなると、二人はドアを開け控え室に戻った。


「カイザさん、お疲れさまでした。部屋、片付けてきますね」

 アデリーはカイザの前にハーブティーの入ったカップを置き、その後ロッカーから洗濯カゴとふきんを取って奥の部屋へ向かう。

「アデリー君、いつもありがとう」カイザはアデリーの背中にお礼を言い、再び手元のカルテに視線を落とす。

 先程の施術の記録を付けようとペンを取る。パソコンを使う手もあるが、手書きするようにしている。

 体の部位など絵を描く事もあるし、自分しかわからない独特の記号も使う。他の人が見ても内容がわからないから、プライバシーの保護にもなっている。

「さて」カイザはハーブティーを一口飲み、ナウタの施術を振り返る。


 初めて触れた時、足裏の皮膚の固さ、特に親指周りに錆がこびりつくような印象を感じていた。

 言えずにいたことや、わだかまりがあったり、秘密をかかえている人に多い傾向だ。

 今回の足指の柔らかさで、そろそろ口を開くだろうという予感はあった。

 施術で体をほぐすのももちろんだが、心までほぐれることもある。

 はるか昔からツボや経絡など、今でも受け継がれているものとは別に、心をほぐすツボのようなものがある。

 心のトリガーポイントと私は呼んでいる。

 体の決まったところにあるのではなく、自分の感覚で見つけ出す。

 この「感覚」のことを知っているのは、アデリーだけだ。

 カイザはペンを止め、目を閉じた。



























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楽園のトリガーポイント 砂塔 琉埜(さとう るの) @tomithuki

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