第4話

 太陽とアスファルトが放射する熱に挟まれ、汗がしたたり落ちる。もうビーチサンダルの底が溶けてしまいそうだ。Tシャツがパックのように張り付いている。

「折角シャワーしてきたのになぁ……」

 無造作に伸ばした緑黒髪をかき上げ、男はため息を落とす。

 さっきから鼓膜を震わせるセミの大合唱に、君たちも暑い中大変だなぁと同情しながら歩みを進めると、見覚えのある顔が視界に入った。


「おっ、ナウタさん。お疲れさまっす。これからですか? 」

 ポロシャツにハーフパンツの男が片手を挙げながら近づいてきた。俺が通っているフィットネスジムのトレーナー、テリ先生だ。

「おう、テリ先生。これから行ってくるよ。もうトシだから定期的にメンテしないとね」

 ナウタと呼ばれた男は、腰や肩を叩きながらおどけたように返す。

「先生、明日ジム行くんでよろしくね。お手柔らかにね」

「ふふっ、期待していて下さいね……じゃ、失礼します」

 テリは右目をつむり口角を上げ、軽く頭を下げ立ち去った。

「ふぇ? 何だか悪い予感しかしない……」

 前にこの顔をされた時は、ハードなトレーニングメニューだった。まぁ、それはそれで楽しみにしておこう。とりあえず、この凝り固まったカラダをほぐしてもらわないと。予約の時間はもうすぐだ。

 ナウタは歩幅を大きくした。


「ども。よろしくお願いします」

 ドアチャイムの音と共に声が響く。

「ナウタさん、こんにちは。お待ちしてました」

 リラクゼーションサロン「ポール・シュッド」の受付担当、アデリーが爽やかな笑顔で出迎える。

「今日も暑いですね。どうぞお掛け下さい」

 アデリーは、受付カウンターの向かいにあるソファまで案内し、ナウタが座ると同時に冷たいハーブティーとおしぼりをテーブルに乗せた。

(いつもながら素早いなぁ・・・)ナウタは感心しながらおしぼりを顔に当てる。

 オジサンくさいなんで気にしない。だってオジサンだから。気にせず首まで拭いておこう。


「いらっしゃいませ。今日もお仕事帰りですか? 」

 店の奥から、耳触りのいい声が近づいてきた。セラピストのカイザだ。

「んー。今日の漁はイマイチだったよ。この暑さのせいかねぇ」

 ハーブティーの氷をストローで回し、カラカラ音をさせながらナウタが言った。

「今年は今までにない酷暑ですよね。さぞかし外でのお仕事大変でしょう」

 眉間に小さなシワを寄せ、暑さに当てられたような顔でカイザが言った。

「ほんとに。海の中のほうが冷たくて気持ちいいよ」

 ナウタが残りのハーブティーを飲み干した。

 

「さぁ、ナウタさん。こちらへどうぞ」

 カイザが店の奥へ、そろえた指先を向けた。

 「おう、アデリー君、ごちそうさま」ナウタはゆっくり立ち上がり、アデリーに礼を言い、施術室へと足を向けた。


「では、こちらへどうぞ」

 店内一番奥にある施術室の入り口で、カイザはカーテンを開け、ナウタを中へ促しながら言った。

 ナウタが入るとカーテンが閉じられ、カイザの気配が消えた。目の前にはシワ一つなくシーツが引かれたベッドがあり、紺色の着替えが置いてある。慣れた手つきで着替える。脱いだ服は足元のカゴに入れ、ベッドの下に入れる。

 ベッドに腰掛け、オッケーですとナウタが声を出す。

「失礼します」間髪入れずにカイザが入ってくる。いつも絶妙なタイミングだ。

 カイザの手には変わった形のバケツ。いつもこの形を上手く表現できないが、足湯に使うものだ。

「足元失礼します」カイザが素早くバケツをセットし、ナウタはゆっくりと足を入れていく。足が柔らかく包まれるような温度が最高だ。

「今日はラベンダーのバスソルトを入れてます」

「ほう、いい香りだね。この香り好きだなぁ」ナウタは目をつむり、立ち上る芳香を吸い込んだ。


「ナウタさん、最近食欲はいかがですか? 」カイザがカルテ片手に訪ねる。

「ここ最近は暑いから食欲はないね。メンドくさいから、簡単に済ませてるよ。夜はビールとツマミで終わっちゃうし」ナウタは左斜め上に目線をやりながら答えた。

「なるほど。では消化器系を重点的にやりましょう」

 カイザはフムフムと一人納得しながらカルテに記入している。今日のプランを練っているらしい。

 俺はいつも時間だけ設定して、あとはカイザに任せている。細かく言わなくても、分かってくれるのだ。

 いつの間にか眠ってしまい、帰る頃には、体重がキロ単位で減った気がするくらいだ。これがクセになる。

 この瞬間の為に、普段体を疲労させているのではないか、と思うと仕事も頑張れる気がする。

「そろそろ足拭きますね。失礼します」

 カイザはナウタの足元にひざまずき、立てた膝にタオルを乗せ、ナウタの右足だけバケツから出し、タオルで包む。

 足湯のおかげで皮膚が柔らかくなり、血行もよくなった。拭き終わるとタオルを裏返しにし、手早く巻き付ける。そして反対の足も同様に仕上げられた。

「お疲れさまでした。では仰向けになってください」


「ホットタオル失礼します」

 カイザはナウタの目の上に、適温のタオルを目の上に置いた。

 いつもなら、視界を遮られるのは不安だが、ここでは至福へのパスポートだ。

 漁での強い日差しで、目がダメージを受けているのだろう。目からくる疲労感が一番辛い。じわじわと目蓋が温められて、緊張感が解れていく。

「では始めますね」カイザが静かに告げる。ナウタは小さく頷き了解とする。

 これから起こる不可思議な出来事を除いては全くいつも通りの流れだった。













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