第3話
「ちーっす」
大声と熱風が流れ込み、ガラス製の貝とイルカをチリンと鳴った。
色白で小柄な青年が、パソコン画面から清音を発したドアチャイムに目をやり、訪問者に笑顔を向けた。
「あっ、テリさん。こんにちは」
「よう、仕事中にすまんね」
テリと呼ばれたポロシャツにハーフパンツの男が、片目をつむって手をヒラヒラさせた。
「いやーそれにしても暑かった。今自転車メンテナンス中でさ。あぁ涼しい」
テリは首に残っている汗を拭き取りながら、ポロシャツの首元を前後させ、涼風を送り込んだ。
清潔感ある白い壁の店内は、エアコンが静かに快適を提供している。
「そうそう。昨日いいのが手に入ったから早速持ってきたわけよ」
テリがカバンの中から箱を取り出して見せる。
「テリさん、いつもありがとうございます! 」
「いやぁ~いつもの事よ。アデリー君」
テリは手をひらひらさせ、受付カウンター向かいにあるソファーにどかっと腰かける。アデリーと呼ばれた青年が、どうぞとアイスティーをテーブルに置いた。
サンキュと礼を言い、テリはアイスティーを半分飲み、ふぅと一息つく。
アデリーは、トレイを抱えながら、テリが出した箱の中身に期待を膨らませた。
テリさんは、このリラクゼーションサロン「ポール・シュッド」のオーナーであるカイザさんの同級生だ。僕が物心ついた頃から、いつも勉強やスポーツでトップを争っていた。
しかし、カイザさんが悔しがったり、得意げな顔は一度も見たことがない。つまり、テリさんが勝手にライバル視していると推測される。
しかし、そのライバル視はいい方向に行ってるようで、幅広い人脈を駆使して珍しい精油などを仕入れてきてくれる。きっとカイザさんの驚く顔みたさだと思う。
「珍しい精油が手に入ったんだよ」
テリはテーブルに置いた箱を指さした。
「おっ、どんなのかな? 」
店内奥から低音でやさしい声が響く。
声がした方向から、長身に全身黒のユニフォームに身を包み、長髪をひとつにまとめた男が現れた。
「あっ、カイザさん。ワクワクしますね」アデリーが目を輝かせて言った。
「そうだね。そろそろ来る頃かと思ってたよ。」カイザと呼ばれた男が、音もなくソファに座った。
「今回は二種類持ってきたぞ。ええと……何だっけ。そうそう。(エレミ)と(ブルーサイプレス)だ」
テリがポロシャツのポケットから取り出したメモを見ながら言った。
「……すまん、いつもながら精油素人でな」テリは、所々汗の模様を付けたメモをヒラヒラさせた。
「この二つを持ってくるとは……すごいな」カイザが目を細めながら言った。
「お、そうなの?」テリは鼻を膨らませた。
「エレミは樹脂に治癒機能があったり、スピリチュアルな部分も活性化してくれる働きも期待できるとして注目の精油だ。柑橘のような甘酸っぱさとグリーンノートが共存してるいい香りだ」
カイザがうっとりとした表情で精油を語りだした傍らで、また始まったとテリとアデリーは小さく両肩を上げ、片方の口角を上げた。
アデリーは、箱から瓶を取り出しキャップを開け、一滴ずつゆっくりアロマポットに落とす。とたんに爽やかな香りが広がった。蜂蜜みたいにトロッとしたオイルに目を奪われる。
「アデリー君、綺麗だろう」嬉しそうに芳香を吸い込み、カイザは言った。
「はい。色々な精油と相性よさそうですね」アデリーは目を瞑って顔を上げた。
「そうだね。ローズマリー、ラベンダー、バジル、ティートゥリー……ハーブ系やシナモン、フランキンセンス……スパイスウッド系にも合うね」満足げにカイザが頷く。
「なるほど。言われてみればフランキンセンスと似たような感じがしますね」名探偵の助手よろしくアデリーが返す。
「おお、いい勘だね。このエレミは、フランキンセンスと同じカンラン科の樹木から採取される樹脂を、水蒸気蒸留して抽出されたものなんだよ。この……」
カイザの精油知識は終わりを知らない。まぁ、いつものことだけど。
コイツは表情豊かじゃないから、分かりずらいかも知れないが、俺はわかる。カイザはとても喜んでいる。頑張った甲斐があった。
話の途中で遮っても怒られることはないので、遠慮なく片手を挙げよう。
「じゃ、俺はこれから仕事なんで」テリはメモをポケットにしまいながら、席を立つ。
「テリさん、ありがとうございました。お仕事頑張って下さいね」お辞儀をしながらアデリーが声をかける。
「テリ、ありがと。またよろしくな」カイザが大きな手のひらをテリに向ける。
「じゃ、次回もお楽しみに」テリは眉の上にかざした二本指を前に出した。
「お気をつけて」アデリーが同じ動作で返した。
ドアが閉まると同時に、テリの暑さに唸る声が消えた。
「さて、アデリー君。もうひとつのブルーサイプレスはね……」カイザが喜々としてアロマ講座を再開する。
「カイザさん、あと10分で予約入ってますよ」アデリーは、受付カウンターのパソコン画面に表示されているアラームを指さす。
「あぁ、そうだったね。じゃ、続きは後で。僕は準備してくるよ」カイザは恋人との別れ際のような視線を精油の瓶に送り、名残惜しそうに控室に向かった。
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