第6話『武笠ひるで・1』


漆黒のブリュンヒルデ・006


『武笠ひるで・1』 






 ゲホッ!!




 世界の縁から地獄に転がり落ちたのかと思った。


 したたかに背中を打って、呼吸が出来ない。瞬間に頭を庇ったのは長年の戦いで身に着いた脊髄反射。


 数十秒で呼吸が復活し感覚が戻ってきた。


 戦の中、草原や岩の上を褥(しとね)にすることには慣れている。背中に触れているのは、いくぶん暖かい。


 木の床か……立っていれば腰の高さほどのところをぐるりと窓が取り巻いている。馬ならば縦に二頭は入るか……と言って厩ではない。左右には布張りのベンチが伸びている。なにかを繋ぎ止めるためだろうか、背の高さほどのところ、窓に添ってたくさんの丸い輪がぶら下がっている。


 これは………………電車だ。 「宮の坂駅」の画像検索結果


 思い至ると同時に、仰臥した足許の向こうで声がした。


 白だ!




 コラアッ!




 反射的に怒って上体を起こす。ヤベエ! 一声残して前のドアから逃げるガキンチョたち。


 一瞬で記憶が蘇る。


 パソコンが再起動して、中断していたソフトが動き出したみたいだ。


 学校の帰り道、駅の脇に保存されてるデハの中で寝てしまったんだ。シートの上には半分開いた通学カバンからイヤホンが垂れ下がって、お気に入りのゲーム音楽がシャカシャカと漏れている。


 さ、帰るか。


 アイポッドの電源を切ってイヤホンでぐるぐる巻きにして通学カバンを肩に掛ける。


 まっぶしい。


 デハの外は晩秋の午後だというのに、眠りが深かったのか、いささか眩しく感じる。




 高校二年の武笠ひるでと姫騎士ブリュンヒルデの意識が同居している。


 ブリュンヒルデの意識が―― 穏やかな異世界だ ――と呟いている。




「せんぱ~い!」


 踏切の前に立ったところで声が掛かった。


 後ろの八幡神社の方からひるでと同じ制服が駆けてくる。


 えと……レイアじゃなくて後輩の福田芳子だ。


「デハの中で勉強ですか?」


「と、思ったら寝てしまった」


「だめですねえ、受験のために部活も生徒会も辞めたのに」


「ハハ、ついな。芳子こそ執行部会だったろう?」


「文化祭の総括だけだから、あっという間に終わりました」


「小栗は事務的だからなあ」


 小栗結衣は前期生徒会長を務めた自分の後任だ。有能だけど、余裕と言うか遊びに乏しい。しかし、自分は会長職を辞したばかりだ、批判めいたことは言うまい。




 カンカンカンカン




 遮断機が下りてきてしまった。


「すいません、わたしが声かけたから」


「いいさいいさ、ちょうど新発売が飲みたかったところさ。持ってろ」


 カバンを預けて、道路わきの自販機に向かう。この秋限定のココアとコーヒーを買う。


「飲み比べてみよう。ホレ」


 ココアの方を投げてやる。どっちにするなんて聞くと芳子は「どっちでも」と面白くない返事をする。決めてかかったほうがいい。


「あ、すみません」


 苦いとか甘いとか芳醇だとかコクだとか、いっぱしの御託を捻っているうちに遮断機が開く。


「あ、ネコがいる!」


 踏切の向こうに白猫が居る。二人で踏切を渡ると、踏切の真ん中ですれ違う。


 一瞬目が合う。


 こいつとは関りがあった気がするのだが……まあいい。


 帰ったら、祖母ちゃんの夕飯の手伝いだ。




 こっちのひるでは、気が回っているようで、どこかノンビリのようだ。


 左方向に豪徳寺の森が広がる。武笠ひるでの家は、あの森の向こうだ。


 




 

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