第5話『ブリュンヒルデ 父に詰め寄る・2』

漆黒のブリュンヒルデ・005

『ブリュンヒルデ 父に詰め寄る・2』 





 ビシャーーーン!


 オーディンの指から雷光が発せられ、ブリュンヒルデはカエルのように床に叩きつけられた。


「グエ」


「すまん、いきなり跳びかかって来るから手加減ができなかった」


「わ、わざとだろ……」


「一人娘に、わざとするわけがなかろう。だれか姫を!……人払いをしていたんだった(;^_^」


「大丈夫、こ、これしきのこと……」


「……変らんな、その強情なところは。人間、痛いときには痛いというものだぞ」


「い、痛くはない。それに、人間じゃないし」


 オリハルコンを杖に、やっと起き上がると、大胡座をかいて父を睨みつける。


「あ……その下から睨みつける顔は怖すぎるぞ」


「生まれつきだ!」


「仕方がない……」


 オーディンはユサユサと玉座を下りて姫の前に腰を下ろした。姫の言葉を待ってやるつもりが昔を思い出してしまう。


「な、なんだ?」


「この近さで向き合うのは将棋を教えてやって以来だなあ」


「あ、ああ」


「将棋でも覚えれば、少しは落ち着くと思ったのだが、将棋でも気性は直らなかった。負ければのたうち回って悔しがるし、勝ちを譲っても、直ぐに見破って暴れまわる。ハハ、あれはあれで可愛いものではあった」


「昔のことなんか言うな」


「すまんすまん、つい懐かしくてな」


「オヤジ、ヒルデは信じていたぞ……戦死した兵は直ちに彼岸に往生するものだと」


「ほんとうだ、だからこそ、戦死者の選抜をおまえに託したんだ。戦死予定者を見定めることで人を見る目が深くなる。戦死する者との絆も深くなる」


「嘘だ! 戦死した者はラグナロク(最終戦争)に再び召し出されるのだろうが!」


「あ……それか」


「わたしの顔を見ろ! クソオヤジ!」


「おまえも年頃になって、怒ると振い付きたくなるほど美しくなるなあ!」


「はぐらかすな!」


「おまえも自覚してるんだろ、兜をかぶって戻ったのも、その美しさで男どもをいたずらに惑わさないためだろう」


「起こった顔は醜い、醜い怒りを晒さないためだ」


「ちがうちがう、ヒルデは可愛いんだ、萌の極致なんだよ。あのな、一人娘だから、戦になんかは出したくないんだよ。お父さんの正直な気持ちだよ。でも、お父さんにも主神としての役目があるからな、そのお父さんの娘なんだから、盾乙女とか姫騎士とか呼ばれる任務にも着かさなければならないんだよ。お父さん、心では泣いてるんだぞ」


「茶化すな!」


「知り合いの息子に蘭陵王(らんりょうおう)というイケメンがおる。あまりのイケメンに、彼を目にしたものは戦意を喪失して戦にならん。そこで、蘭陵王は恐ろし気な魔王の面をつけて戦場に出ているんだ。いやな、蘭陵王の親父と呑んだ時にな、いつか平和な時代が訪れたら、二人を夫婦にしたらって話していたんだ。きっと、すんごく可愛い子が生まれる。世の中可愛い子だらけになったら、きっと、戦争をやろうなんて気はなくなるぞってな」


「オヤジ!」


「口がすべった、すべったが、本心だぞ」


「信じられるかあ!」


「しかし、ラグナロクなんてヨタをどこで聞いたんだ?」


「レイアが、わたしの傷を癒そうとエルベの水を体に注いでくれたんだ。ニンフが汲んだエルベの水は人の思念を写す」


「レイアとエルベの水……悪い組み合わせだ」


「トール元帥とオヤジの会話がインストールされていた。百戦百勝の元帥を起用しなかったのは、元帥の選定では戦死者はラグナロクに使えないからだ」


「そうか、トールとの話を聞いてしまったのか……」


「もういやだ。戦死しても誰一人救われない戦争などしたくない。今まで戦死させてきた者たちにも顔向けができないじゃないか」


「ヒルデ……」


「触るな!」


「可哀そうに……」


「他人事みたいに言うな」


「たしかにラグナロクは起こる、それに勝てば真の平和が訪れる。しかし、それを知ってしまえば選べないだろう。ヒルデは優しい子だから。そして、ヒルデの優しさで選んだ兵士でなければ、ラグナロクに勝利することは出来ないんだよ。勝てなければ、何度でもラグナロクは繰り返される。お父さんはな、一発でラグナロクを終わらせたいんだよ」


「それなら、勝てそう兵士を選べばいいだろ! なんで、戦死する者なんだ!」


「戦死を経験した者でなければ、ラグナロクには使えないんだ。ヒルデの苦渋の選択が戦死する者たちを霊的に強くするんだよ。その兵士たちは、ラグナロクの勝利の後に彼岸に往生するんだ。そこを一段省略したが、大きくは間違っていないだろ」


「詭弁だ!」


 再びオリハルコンが飛翔し、オーディンの首元に突き付けられる!


「切ってもいいぞ、オリハルコンなら神の首でも切り落とせる」


「グヌヌヌ……」


「俺を切ったら、ヒルデが代わりを務めなくてはならなくなる。ラグナロクの先陣に立たなくてはならなくなるぞ」


「……オヤジ」


「ヒルデ、少し休め」


「オヤジ、なぜ、わたしがカラスのように真っ黒な甲冑を身にまとっているか分かってるか?」


「喪服のつもりだろう」


「フン」


「は、鼻で笑うな」


「理解が浅い。この漆黒は何ものにも染まらぬ覚悟を示しているのだ。仮にも人の死を決めるんだぞ、なんの情実も利害も関りが無い、そのことを身をもって示しているんだ……今は、それも虚しいよ。休めるものなら休みたい、逃げていいものなら逃げ出したい。人を安息のためにではなく、より峻烈、過酷なラグナロクへ誘うために働いていたのだからな……まったく、わたしは黒の道化だ」


「だから、休めばいい」


「この戦ばかりの世界に休める場所などあるものか。この辺境の戦争が終わったら平和が来ると信じていた、だから、五十幾つもの深手を負っても戦えたんだ。たとえ辺境の魔王と刺し違えても、いや、刺し違えてこそ死んでいった者たちに顔向けができると思った。死んでいった者たちが、自分たちの墓穴の底が抜けて再びラグナロクの戦場に繋がっていると知ったら、どんなに絶望するだろう……せめて、わたしもラグナロクの先陣に立つしかない……!」


 ビュン


「やめろ!」


 絶望に感応したオリハルコンがヒルデの頸動脈一ミリに迫ったところで父は叩き落した。


「死なせてもくれないのか」


「ヒルデ、その心が癒えるまで、異世界においき」


「えと、ここも十分異世界だと思うんだけど」


「戦死者を選ばなくてもいい世界がある。むろん、問題が無いわけじゃないが、いまのお前のような苦しみは無い。お前の優しさが生きる異世界だ」


「……あるのか? そんな異世界が?」


「さあ、手をお出し。目をつぶってお父さんの手を握るんだ」


「う、うん……久しぶりに見る手だ。親父は主神だから容易に手の内を見せなかったからな……変わっていないなあ、オヤジの手は大きい」


「これでも神の手だからな」


「ん……もう一人分わたしの手を包む者が……」


「それは、お母さんの手だろう」


「お母さん、お母さんなのか……ずっと忘れていた……」




 とても懐かしい気持ちになってきた……幼いころ、まだオリハルコンの剣など手にしなくてもよかったころ、父に手を引かれ、母に見守られ。こけつまろびつしながら走った幼子のころの、時めきながらも穏やかだったころ気持ちに、ゆっくりと浮上していくブリュンヒルデであった。




 ここはどこだ……?

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