第4話

 ―――数週間前。



 氷峰駈瑠という一人の男子高校生が、を持ち出してきたという。彼は海外のとあるグループの一員だったという。


「グル?」

「なんかやばいのに首突っ込んじまったらしい……」

「先生なんで知っておきながら黙って彼を海外へ行かせたんだよ!」

「止めたけど、彼は足を止めなかったんだ。理由は話してくれなかった」


 ***


 彼は、同じクラスのある生徒に告白をされた。ある生徒の名は柊司秋。家柄が代々続く精神科医の家系で、彼も心理学の勉強をこの高校で専攻していた。


「おはよう」

 氷峰駈瑠という青年は声をかけてくる。後ろに振り返り柊司秋は挨拶をした。


 駈瑠は気づいていたのかもしれない。俺が駈瑠に惚れた理由なんて、今となってはもうどうでもいい。どうでもいいんだ。彼は俺と同じクラスで、席が隣同士だった事もあってか、よく話す仲だった。


「お前、教室で音楽聴くのやめたらどうなんだ?俺の声聞こえてた?」

「ああ、うん。全部聞こえてるよ。小さい音量で聴いてたから」

「あっそ……」

 俺はミュージックプレーヤーを机に掛けてあった鞄にしまうと、授業の準備を始めながら――

「今日さ、お前に話したい事があるんだ。放課後屋上に来てよ」

「え? あぁ、いいよ。でも何で屋上……――ふははっ」

「何が可笑しいんだ。笑うなよ」

「え、いやね。いいよ、わかった」

 軽く返事を交わすと彼は前を向いた。彼には柊の伝えたいことが読めてしまったようだ。


   ***


 昼食の時間は互いに教室で済ませた。清掃の時間が終わる。

 帰れると思ったら、先生の話が一言入る。聞き伝ならん事で退屈する。


「――以上。課題提出は期限を守る事」


 空返事からへんじで一斉に席から立ち上がり部活動を始める者や、すぐ帰路に就く者もいて、教室は騒がしくなる。俺は約束をした駈瑠に話しかける。


「それじゃ……」

「はいはーい――」

 と言った彼は、俺の腕を引いて教室を勢いよく飛び出そうと走り出した。

「――!? ちょっ……」

 俺は肩にかけていた鞄を腕に落とし、駈瑠に引っ張られるがまま階段を駆け上がった。



 屋上に辿り着いた。ここでは春の訪れを感じさせる穏やかな風が吹いていた。


「ふぅー着いた着いた。誰もいねぇな……。カギ当番の先生はまだ来てないみたいだし……」

「はぁ……はぁ……」

 俺は息を切らしていた。膝ががくがくする。

 ――体育の授業が一番苦手なのくらいコイツは知っていただろうに……。無理強いさせやがって……。

「お? 大丈夫? あははっ……お前の話ってさ……――」

 駈瑠は俺に歩み寄って来て――

「恋……だろ?」

 背中に手を添えて、下を向く俺を覗き込むように話しかけて来た。

「!……知っていたんだな……」

 少し汗ばんでいた顔に、その眼は熱を冷めさせる。瑠璃色の眼は冷静さを取り戻させてくれた。

「なぁに……俺はお前が俺に恋していた事なんて最初っから何となく気づいていたさ。どうしてか教えてやろうか?」

「そういう言い方されると、こっちも黙っていられないんだ」

「ふふッ……いいよ、わかったって……」

 駈瑠は微笑みながらそう返事をして――

「お前の言い方次第……だよ」

 と、真面目な顔にするりと入れ替わって俺に告げた。

「……」

 俺は一呼吸おいて告白をする。彼が好きだと言う気持ちを吐いた。

「今までお前を見る度に心がときめいていたんだ」

「へぇ……何処に惚れたの? 顔? 髪型?」

「眼だ。その瑠璃色の眼に惹かれた……。性格なんて二の次だったよ」

「お前わかってる? 俺は……」

 駈瑠は表情を曇らせてぼそぼそと言葉を紡ぐ。

「ああ……知ってる」

「よかった。じゃぁ一つ提案がある」

「提案?」

「俺の小指に黒い指輪を嵌めよう」

「黒い……指輪?」

「そう……どちらか片手に――」

 そう言いながら肘を曲げて両手を見せびらかす。両方とも小指を立てながら――

「黒い指輪を嵌めよう……」

「……お前は俺を受け入れてくれるのか? 返事はイエスなのか?」

「……白黒はっきりさせなきゃ駄目なのかい? そう言う意味合いも込めてだな」

「じゃあ……俺との付き合いは黒いと言いたいのか」


 ――哀し過ぎる。


「黒い……? 黒くしたくないから小指に黒を嵌めるんだ。理由ははっきりしている」

「理由だと?」

「……俺は愛弓子との付き合いは止められない。それにこの恋はきっと哀しいものになるってお前も思ったんだろ? だったら――」

 駈瑠は俺の手を両手で覆い包み込んだ。

「愛弓子に黙っていよう……。『秘密の恋だ』これは。俺はお前に愛を与えてやる事は出来ないよ……」

「駈瑠……それでも俺は――」

 包まれた片手の上から俺は駈瑠の冷えきった手を温めてあげた。

「俺はお前を……」


 ――愛したいんだ。


 駈瑠の冷めた手を握りしめて自分の額に優しく宛てがった。言葉にしなかったその言葉を駈瑠は受け止めてくれた。

「うん……ありがとう司秋。お前は俺をずっと好きでいてくれて構わない……ただし――」

 そう言うと駈瑠は俺の肩に手を回し、こう告げた。

「俺のお前への愛はフィジカルなものでしかない……多分な……きっと」

「……?」

 ――その関係で最後とでも言いたいのだろうか。

 俺は思い切って尋ねてみる。今なら本音を言える。

「その言い方じゃ……体の関係結んだら最後とでも言いたいのか?」

「そう言うわけじゃない……けど、ほら……性的なものへのゴールって目に見えてるじゃんか……あはははっ」

 駈瑠はそう返事をしながら自分の子恥ずかしさに笑い出す。笑顔の駈瑠に俺は思い切ってある事を話し出した。

「なぁ……お前、海外のある面子と知り合いなんだって? SNSで繋がってるとか……」

 その言葉に駈瑠の顔色は豹変する。雲行きが怪しくなっていった。

「あぁ、……うん」

 暗い声で返事をしている駈瑠に俺はまだしつこく問い詰めてみた。

「何か……奴らと手を組んで始める気なのか?」

「ん? 始める? どっから情報が、噂が漏れたのかは知らないが……――」

 駈瑠は額に手のひらを押し当てながらそのまま滑らすように前髪を掻き分けて――

は知らない方が今は気楽でいられるんじゃないか?」

 物悲しげな顔をして顎を引いて言い放った。そして俺の呼び名が変わったことにまた俺は心臓が胸騒ぎを起こした。感情が昂ぶっていった。背中がすうっと膠着こうちゃくした。

 俺はただ黙っていることしか出来なかった。駈瑠は続けてこう言った。

「俺たちの関係もさ……いずれ法が認めてくれて堂々としていられる。そんな世の中になること……それが俺の望みなんだ」

「……そうだったんだな……」

 俺は目を閉じ、静かに相槌を打った。


 今思えば駈瑠への恋はどちらからのアプローチが先であったのだろうか。気がつけば俺は駈瑠の虜になっていた。駈瑠が俺を一人の男として引き合わせてくれていたのかもしれないと思った。

 だから駈瑠は認めてくれていた。同性愛者の俺自身を受け入れてくれていた。

 俺は、「俺自身は男でありたい」と思いながら、駈瑠の様な中性的な男にいつの間にか惚れていた。惚れていくと同時に、それが恋から愛へ変わろうとしていることに気づかせてくれたのもきっと彼だ。

 物理的なものでしかないと言った彼の言葉に、まだ胸がドキドキしている自分もいた。

 俺は彼がまさか海外へ逃亡してしまった事実を聞かされて、心に風穴が空いてしまったような衝動に駆られた。



 ―――それが数週間前の出来事だった。


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