第1説
透明なる出会い
僕はこの場所に立っていた。ここで一番空に近い場所。すべてが見渡せる場所。すべてが見える場所。
そこには──先着がいた。
その姿を見たとき、幽霊かと思った。絵かと思った。それほどまでに既には透明だった。綺麗だった。感動した。右目からは無色の液がこぼれていた。
僕に対して横を向いていたソレは顔だけをこちらに向け、じっと。僕は見つめられた。
いや、睨まれたに近い視線。吹き荒れる風がフェンスにぶつかって揺れることだけが音だった。
「なに」
風などまるで無いかのように威圧のある声は僕の鼓膜に刺さってきた。
「べっべつにな、なにもない……けど……」
「へえ、そう」
見つめていた何もなくはない僕を知っていたソレは、問いかけ、なお答えなどいらない。とばかりな返事をした。
春の風は強かった。だから目元の水分は乾いていたし、問題はない。沈黙ではただ耳元で空気が忙しく通っていくのを感じていた。
問題があるとするなら、僕が硬直していること。ソレは、まだ見つめていたのだ。睨むとはまた違ったどこまでも一直線な視線。何が壁でも貫くほどの真っ直ぐさが痛い。
あいにく目が合ってしまっているので、ここから動けない。それが問題なのだ。
勇気を出し口を開かなければ多分このまま化石になるだろう僕は固い口を軽率な言葉の形に開いた。
「こ、ここで何を?」
ソレは表情も、何一つも変えずに答えた。
「あなたにそれを話す必要性があるの?」
……ごもっともだ。
特に現在の状況の場合、僕がソレ──彼女の空間に踏み入ってしまった。非は僕にあるし、彼女はそれに干渉する理由などどこにもない。
けれど、僕は興味を持ってしまったのだ。不幸なことに。この好奇心を止められる術を持ち合わせていないのだった。
後に気付いたことだが、彼女もまた、その時ばかりは同じだった。
こういう場合の興味とは、必ず後悔が来るものだ。後悔先に立たず。この言葉はいつも正しすぎて、嫌味すぎて、とても嫌いだ。
「君っは……」
まだ重々しい口を開いた刹那、彼女もまた言葉を発していた。
「“透明”ってなにかしらね。」
「あなたは、……あなたにとって“透明”って?」
真っ直ぐな、一直線の目をまだしていた彼女からは子供さが感じられた。
この質問は、まるで何も知らない子供が悪意、善意、関係なしにただただ疑問に思ったことを口に出す様だった。
「とう……めい?」
「そう。あなたはどう考えるのかしら。」
「透明って、見えない……とか、色が付いてない状態とか……」
僕のしどろもどろな解答に落胆したのか、彼女はそこで少し俯き視線を前に戻した。風になびく長い髪で顔は覆われ、僕からは表情が見えないけれど、ソレは確かに言い放った。
「透明はね、《なにもない》ことよ。」
「なにも……」
「《なにもない》……そう、全ては透明なのよ。
ここに吹いている風。私達が今放った言葉。
聴こえた音。ここから見える下の街、今立っている学校という場、屋上、足が接しているコンクリート。
全ての人の感情。想い。考え。見える表情。暖かいと思っているモノ。体温。全てのモノ。モノ。モノ。
全ては意味がないわ。そんな中に居なくてはいけないのは本当に残念。本当に」
彼女の連続した言葉に、僕は、憎しみを感じた。悲しみを感じた。……愛を感じた。
しばらくお互いに無言でいた。けれどその空気は先ほどの硬直するような重いものではなく、この場にずっと吹いていた花びらを季節へと運ぶ軽やかな風のようだった。
僕は、この先の彼女へかける言葉は持ちあわせていなかった。それは彼女も分かっていただろう。だから彼女は去って行こうとした。僕は去り行く彼女に焦り、聞いた。
「君にまた会うには、どうすれば?」
その時の彼女の声色は少し嬉しさを含んでいたかもしれない。僕の気のせいであってほしいが。
「あなたがちゃんと“考える”日が来れば、また会えるわ」
そう残して去る彼女との出会いは終わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます