第150話 出発① 決意
「ふぅ〜……」
式典を終え解散したコムギは、自室として充てられている国賓室のベランダにいた。
朝から着続けていた堅苦しい儀礼服からようやく解き放たれ、まだ少し火照る身体を冷やすべく夜空を眺めている。首からはタイを、脚からはブーツを、身を締め付ける装飾品らを全て外した開放感に時折吹く夜風が心地よい。
「もうすぐ店に帰れる……店は無事だろうか?
みんな元気かな……」
いざ帰れるとなると、どうなっているのかわからない、と不安に陥るものだが、今のコムギからすれば帰れる喜びの方が勝っていた。
なぜなら晩餐会の準備やこれまで帝国で過ごしてきたパンを作る機会の度に不満があり、自ら建てた店ほど良い環境はないと再認識したからだ。
『もっと美味しいパンを、もっと多くの人に』
願いはすれど、設備や効率を考えると自分が思うよりも限界値が低い中での仕事に少なからず葛藤があった。もちろんその度に出来うる限りの最善は尽くしてきたのだが。
だからこそ、今は帰れる事に喜びと共に取り組むべき次の――いや、人生を掛けるに値する課題にコムギの心と視線は向いていた。
この世界には元いた世界ほど機械設備は無くとも魔法や不思議な
だが、まだ自分はこの世界を知らな過ぎる。
王国から帝国に来たは良いが、知らない事が次から次へと出てくる毎日。
思い起こせば新鮮で刺激的な日々だったが、それもあとわずか。この地で得られるだけの情報や知識を得よう。皇帝やマイスさん、リーン、中央研究所の皆に教えて貰えば色々掴めるはず。
「帰るまであと1週間。やるべき事は決まった。
明日から忙しくなるな、今日は疲れたし早く寝るか」
◇◇◇
「世界についての知識、でありますか?」
「そう、オレは知らない事が多すぎる。
だから学ばないといけないんだ、これからのために」
中央研究所、室長室。
マイスさん、リーン両名に助力を乞う。
国の叡智が集まるここなら色々な知識が学べるはずだ。
「コムギさんに教える事ですか……リーンと一緒にダンスのレッスンしますか?」
「違う、そうじゃない⁉」
確かに学ばなければならないレベルなのは事実だが、生真面目にボケられると困る。
「オレが知りたいのは世界や魔法、不思議な
帰るまでで構わないから出来る限りを修めたい」
「念のため聞いてもいいですか、どうしていきなり?」
「改めて店に帰ってやりたい事を考えた時。
今のままじゃダメだと思ったからだ」
「やりたい事……お伺いしても?」
マイスさんが興味津々な様子で訊ねる。
リーンもこれからの自分に関わる事だけあって真顔だ。
「帝国に来てたくさんの事を経験して感じたんだ。
もっと世界にはオレのパンを待っている人がいるかもしれない、もっと美味しいパンを食べたい人がいるかもしれない、って。
オレが店に帰って何をしたいかと考えたら、世界中の人に美味しいパンを届けたい。
そして食べている時だけでも笑顔になって欲しい。
傲慢な願いかもしれないけど、自分に出来る事からやってみたいと思ったんだ。
だが、そのためには知識がいる。
どこに、どんな人がいるのか。
どこに、どんな物があるのか。
美味しいパンを届けるために、知らなかった事をもっと、もっと知る必要がある。
だから学びたいんだ。
――ちょっと青臭いですけど、こんな理由じゃダメですかね?」
「はぁ……まさかコムギさんに先に言われてしまうとは」
「え、先に?」
「はい、皇帝陛下からコムギさんに世界や知らないであろう事について教えるよう指示があったんであります。帝国の大使として恥ずかしくない教養や知識を最低限見に付けるように、と」
理由は多少違うが、やるべき事は同じ。
ならば、あとはやるだけだ。
俄然やる気が出てくるというものだ。
「では、リーン。
あとは任せます、よろしく頼みますよ」
リーンにその場を任せ、マイスさんが退室しようとする。
「あれ、ちょ――マイスさんが教えてくれるんじゃ?」
「すみませんが、私も色々忙しくて。
それに皇帝陛下からリーンに補佐の仕事として任せる様にと言付けされてますので」
「いや、でも――」
「大丈夫ですよ、リーンは飛び級でこの国の最高教育期間を主席卒業してる程、座学でも優秀ですから。それくらいでなければ、クセ者揃いの
「そんなに優秀だった?の⁉」
「だった、ではなく、今もですよ。
ほとんどの研究に関われる程に豊富な知識がありますし、研究が行き詰まった際にはリーンの一言で進展や成功することが多く、今では困ったら彼女から意見を伺うのが研究員らの共通認識なんです」
「そ、そんなにすごいんだ……!!」
「たまたまでありますよ!皆があと一歩の所まで進めている所に思いつきを言っただけで――」
「まぁとにかく、リーンに任せれば大丈夫なのでコムギさん頑張ってください」
そう言ってマイスさんはオレの肩をぽんと叩き、ニコニコ笑いながら退室していく。
そして取り残されたオレに、リーン先生による授業が始まろうとしていた。
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