第140話 式典②
「ふ〜ぅ……」
いかん、心臓の鼓動がバクバクとうるさい。
手にはじっとりとした温い汗が、背中からは冷たい汗が伝う。まさか、こんなに緊張するとは……。
「――大丈夫か?
しかしコムギでもこんなに緊張するんだな、安心したぞ」
「そりゃしますよ、こんなの経験ないんですから。こんな『出番』ならなおさら……」
ついさっき聞かされたオレの『出番』。
それがまさか『主役』だなんて。
聞いて耳を疑った内容を企んだ張本人は、オレのそわそわと落ち着かない様子を見て、カラカラと愉快そうに笑っている。
「そうなのか?それなら貴重な経験という訳だな。仕掛けたこちらとしては嬉しい限りだよ」
「まったく……心臓に悪い経験ですよ……」
快活に笑う皇帝を相手に肩を落としていると合図のラッパが鳴り響く。
すると、ゆっくりと眼前の大きなドアが開かれる。皇帝と並び立つオレは万雷の拍手に迎えられ、赤い絨毯を一歩、また一歩と進む。絨毯を踏み締める度に緊張が高まってゆく。
昔からこうゆう注目を浴びるのは苦手なんだよな……。
玉座の前まで進むとオレは立ち止まり、スッと立て膝になり臣下の礼をとる。
昨日メイド長さんに習った付け焼き刃だが上手く出来ている――はず。
皇帝はオレの横を進み続け、壇上にある玉座にバッ……!とマントを
「――面をあげよ」
「ははっ!」
「コムギよ。
……いやコムギ殿。
このカイザーゼンメル、未だに油断は出来ない状態であるが、ひとまず帝国の危機を救って頂いた事を改めて礼を申し上げる」
大勢の貴族が見守る中、皇帝が深く頭を下げる。どよめきと同時に貴族達、その場にいた誰もが一斉に頭を下げる。
帝国の危機を退けた、そしてそれに貢献した英雄への謝辞。その場にいる誰もが異論などあるはずもなく心からの感謝を込めての行動だった。
「ええっ!?
いや、そんな大したことした覚えは――」
(久しぶりにパンを、しかもあんな大量に作らせてもらって楽しかったな。
得るものが多かったし、むしろこっちがお礼を言いたいくらいだ。
能力を駆使した『理想の膨らみ』も試してモノに出来たしさ。
オレだけに出来るパン作りの可能性を広げてもらった事は本当に貴重な経験になったな)
彼の胸中とは裏腹に話は進む。
皇帝は威厳を出すためか、堅苦しい形式的な口調で言葉を継ぐ。
「オホン……此度は帝国の危機を救って頂き、この大恩になんとお礼をすれば良いのかわからず、悩みに悩み、此方から出来る最大の礼をもって今回の恩賞とさせて頂きたいのだが、よろしいだろうか?」
「皇帝陛下の御心のままに」
これもメイド長さんから事前に聞いていた返事の仕方だ。言い慣れない言葉だから噛みそうになる。
「ではまず、コムギ殿には我が国を救っていただいた英雄にふさわしく名誉貴族として叙勲し、『男爵位』を授ける。名誉貴族だから領地は無い、肩書きだけの貴族だが、安定した地位を約束しよう」
『男爵』!?
オレ、貴族になるの!?
パン職人だけどいいの!?
本当に大丈夫!?嘘じゃないよね!?
「次に我が国における、そなたの『自由行動権』を授ける。そなたの才覚や実力は誰しも認めるところだ、変に縛るより自由にさせた方が帝国にとって有益だろうからな。
形式的には皇帝直属実行部隊の一員としての位置付けが良いだろう」
皇帝直属部隊って、映画とかドラマだと怖い精鋭部隊みたいなイメージあるけど、オレパン屋だからそんな黒い事絶対やらないからね!
「――そして最後に。
そなたに『ブーランジュ王国駐在大使』の任を授ける。
つまり……そなたのいるべき場所、いたい場所へ帰って良いということだ。
もちろん、いつでも帝国はそなたを歓迎するぞ。我が国の英雄なのだからな!」
快活にハハハと上機嫌に笑いながら、しかしどこか少し名残惜しそうに皇帝が告げた恩賞の内容にコムギは信じられないでいた。
(まさか……本当に帰れる……?
嘘じゃないよな……。
――良かった……)
思わず感極まり、不意に涙が頬を伝う。
はっ!しまった!
今はまだ儀式の最中だ。しゃきっ、とせねば。
「皇帝陛下の温情、心より感謝致します。
謹んで、このコムギ・ブレッド、恩賞と駐在大使の任をお受け致します」
「うむ!」
祝福するかのように降り注ぐ拍手の雨の中。
玉座から立ち上がり、檀から下りた皇帝と見つめあうコムギ。互いに立場を越えた男同士、2人は感謝と尊敬の念を込めた笑みと握手を力強く交わした。
後の世に伝えられる稀代の統治者カイザーゼンメルの治世において、多大な影響を与えたコムギが帝国貴族として第一歩を踏み出した瞬間であった。
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