第97話 突進

 コマッタートルの動きは緩慢で鈍重極まりない、だが頑丈でビルほどもある巨大な魔物だ。中々攻略出来ず、皆の疲労と消耗が想像以上に早い。――このままではジリ貧か……、そう考える最中、皇帝が心配からか馬上から話しかけてくる。


「コムギ、大丈夫か?」


「正直、そろそろちょっとキツイですね……」


「やはりそうか……すまない、これほどの事態になるとは思わなんだ。……許してくれ」


「気にしないでください。誰もここまでになるとは予想出来ないですし、オレは自分の意思で手伝うと決めたんですから」


「本当にすまない、必ずや無事に皆で帰ろう。民達に食わせてやるための大量の食料と共にな」


「はい、そうですね……!」


 そうだ、弱音は吐いていられない。

踏ん張り時だ、気を引き締めないと……。



「――きゃああああっ‼‼⁉⁉」



……その時だった、恐れていた最悪の事態が起きたのは。悲鳴の先、リーンや親衛隊を含む部隊に2体のコマッタートルが襲いかかろうとしていた。

 

「まずい……このままではリーン達が危ない!皇帝陛下、アイツらはオレが何とか食い止めるんでリーン達を!」


「くっ……すまん!頼んだぞ‼」


オレは亀達に、皇帝はリーン達へ馬を走らせる。後悔したが振り返ることはしない――コムギに死ねと言った様なものなのに。

(くっ……神よ、もしいるのならコムギを守ってやってくれっ!)


 さて……格好を付けてどうにかするとは言ったものの、どうするか?オレ1人でビルほどもある大亀を倒すなんてムリだ。

…………まてよ?


◇◇◇


皇帝は颯爽と親衛隊達に駆け寄り、安否確認をする。


「大丈夫かっ⁉⁉」


「大丈夫であります。

ですが体表の硬さ、こいつらの巨体、このままでは……」


「――わかっている、だがここで何とかせねばならん!悪いがもう少し頑張ってもらうぞ!」


「っ……はいっ!」


 我ながらひどい男だと皇帝は自嘲する。

リーンは今回の作戦参加者の中で最年少、まだ14歳の少女だ。若くして才能に目覚め、魔法と剣術の両方で帝国屈指の実力者、そして二つ名持ちの親衛隊隊長に上り詰めた。

間違いなく、これからの帝国を担う期待の逸材。

――だが剣を握らなければ、なんら普通の少女達と変わらない、明るい笑顔を振りまく小柄で可憐な少女なのだ。


 この戦場には他にも多くの信頼出来る部下、義勇軍など国に欠かせない『大切な財産である人達』と国の命運を賭け、共に戦っている。


 いくら緊急事態とはいえ、国の未来を担うかもしれない少女や国民達に命を掛けた無理難題を命令することに激しく良心が痛む。

 そしてこんな自分にはいつかとんでもないバチが当たるだろう、と命を懸けた覚悟を皇帝は決めていた。



「「「「うわあああああ‼‼‼‼」」」」



――恐れていた事が起きた。

の方向からコマッタートルが突進してきたのだ。

巨体による重く激しい突進で兵士達が軽々と吹っ飛ばされる。ビルがぶつかってきたような突進だ、無事であるはずがない。


「くっ……!

ここまでか…………⁉」


「っ⁉陛下、危ない‼‼」


「――――⁉」


 リーン達の呼びかけはむなしく、声が届く頃にはリーンだけでなく皇帝も馬ごと吹っ飛ばされていた。それは同時に皇帝がコムギの無事を諦めた瞬間でもあった……。


 万事休す、まさに破滅への足音がすぐそこまで聞こえていた。


「きゃっ‼‼」

「ぐっ、ふっ……」


 まるで木の葉のように宙を舞い、そして地面にたたきつけられた2人を含む親衛隊は死を覚悟した。

 全身に走る激しい痛み。

地に伏しながら見上げ、視界を支配するほど巨大な魔物に恐怖する。


 ズシン、ズシンと重く響き踏みしめる足音、守るべき穀倉地帯を巨大な亀が蹂躙するのをただ眺めるしかなかった。

 ダメージや肉体的な疲労だけじゃない、絶望という精神的な疲労が彼らの身体の自由を奪っていたのだ。あと少しで亀達が未収穫地帯に到達してしまう。


 そうなれば全て終わりだ。

自分達はこの帝国が終わる瞬間を目の当たりにしている。そう思うと自分達の無力さを悔やみ、自然と涙があふれてくる。



「うっ、うっ――――。

くそっ……もう……だめだ……神よ………」



 誰もが祈り、沈痛な表情を浮かべ、茫然自失していると、ふっ……と急に空が暗くなった。


(――雨か?もう、とことん天は我々を見放したようだな……)

 皇帝を含む、その場にいる者達が全てを諦めかけたその時。



ドッゴオオオオオオオオン‼‼‼‼‼‼‼



 すさまじい衝撃音と地響きと共にコマッタートル達も動きを止めた。土煙を巻き上げ、『蠢く黒い何か』がそこにあった。


 土煙が晴れ、刮目する者らが見つけたそれは巨大な亀。

驚くべきことにその亀はひっくり返っているのだ。亀は唸りながらジタバタするが一向に起き上がれる気配はない。

そして空は先程までと同じく明るく晴れている。


 一体何が起きたのか。

目の前で何がどうなっているのか。

ポカーンと呆けた顔で皆がその光景を凝視していると、聞き覚えのある声があった。


「ひどいな、こりゃ……間に合わなかったか……?

皇帝陛下、大丈夫ですか?」


「コムギ‼‼⁉」


 うっすら立ち昇る土煙から射し込む逆光の中に、五体満足な姿のコムギがそこにいた。後光が指すかのように佇む彼に、そこにいた者達はその神々しさに思わず見惚れてしまった。


「……良かった、本当に良かった!

無事だったのか。

……だが一体どうゆうことだ?

1人でコマッタートルを倒したのか?それにさっきのは何なんだ⁉」



「あー、それなんですが……っ⁉」



ギィエエエエェェ‼‼‼‼‼‼‼


――しまった、後続のコマッタートルが迫ってきている!未だダメージから身動きが取れないリーン達を今にも踏み潰しそうだ。

 そして自分達めがけて振り下ろされる巨大な脚を前にリーンは目を瞑り、死を覚悟した。



「っ……‼‼


………………あれ?」


 自分はもう死んだのか、と思っていると何かおかしい。その違和感の正体はまだ彼女が生きているからこそ、すぐにわかった。

 コムギが両腕で亀の脚を支え、自分を守ってくれていたからだ。


 驚きのあまり全身の痛みを忘れ、目を丸くし疑問を抱く。なぜ彼にはこんな事が出来るのか、あまりに非常識な目の前の光景を信じられずにいた。


「――大丈夫か?

リーン。

ちょっと待ってろよ?」


「――っ⁉⁉

―――――はい」


 何とか絞り出した小さな返事。

振り向き様のコムギの優しく、凛々しい自信に満ちた笑みにリーンは今までに感じた事のない、トクン、トクンと温かな胸のざわめきを感じていた。

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