第80話 温もりと期待

 どれくらい、そうしていただろうか。


 拙いながらも何か出来ないかと心配し、アンの部屋を訪れていたコムギは、彼女を抱きしめたまま固まっていた。


〜コムギ〜


やっ、やっちまったああぁぁ……‼

 勢いでキザなことを言って、つい抱き締めてしまった!

 しかもアンさんのこの反応……雰囲気に流されてしまいそうだ、彼女の自室でこれはまずい……。


 でも彼女のこの様子から察するに思ったより印象悪くないのか?

となると次は……。


い、いや!ダメだ、だめだ、ダメだ‼‼


 オレは男の煩悩と大人の理性の狭間で揺れ動く。


『そのままいってしまえ!

こんな美女が相手の据え膳だろう? 』


『いや、彼女にはそんな気はないだろう。

勘違いして嫌われたらどうするんだ?』


 ぐぬぬぬ……この後オレはど、どうしたらいいんだああぁぁ⁉⁉


〜アン〜


あわわわわ‼‼⁉


……つい、身を預けてしまいました。


抱き締められるのはこれで2回目。


 コムギさんの……温かくて大きくてホッとします。いつの間にか不安がどこかに行ってしまいました。

 そう……この間も。

雪山で寒さと不安で震えていた私を抱き締めてくれた。あの時と同じ、包まれるような優しいぬくもり。


 今まで感じたことの無い、この感覚はなんでしょう……?彼の事を考える時よりずっと胸が騒がしくて、でも心地よい、この感覚は……。


……わからない。

だからわかるまでこのまま……。

もう少しこのまま彼の腕の中に……。



コンコン‼‼


 不意のノックが2人の時間に終わりを告げる。


「「ビクゥッ‼‼」」

不意に驚いた2人は同時にパッと距離を取る。


「「あはは……」」


 乾いた愛想笑いでお互いに照れを誤魔化す。 ドアを開け、メープルが恭しく礼をしながら入室する。

 その2人の微妙な感じに気付いてるのか気付いてないのかメープルは淡々と要件を告げる。


「失礼いたします。

お嬢様、お加減はいかがですか……?

コムギ様と一緒に旦那様がお呼びですが……」


 何か言われるのではないかとハラハラしていた2人だがほっ、と胸をなでおろす。


「じ、じゃあ行きましょうか、ねっ⁉」


「そっ、そうですね⁉」


 明らかに挙動不審な態度で返事をする。

メープルは何かを怪しむ素振りを見せるも、すぐに平静になり、2人を公爵が待つ応接間まで案内した。そのわずかな様子の変化を当事者たちに悟らせない、その切り替えの早さはさすがプロであった。


◇◇◇


「旦那様、お待たせしました」とメープルが声をかけ、アンと共に公爵の待つ応接間に入る。

 上座に公爵が座り、オレとアンが向かい合う形で席につく。メープルは公爵の後ろに控える形で立っている。


「もう大丈夫なのか?」


「はい、ご心配お掛けしました。もう大丈夫です!」


「そうか、それなら良かった……コムギ殿、ありがとうございます」


「い、いえ……オレハナニモ……」

(言えない、つい雰囲気に流されそうになり彼女に手を出そうとしたなんて……‼)


 背徳心からコムギは背中一杯に冷や汗をかき、傍目にもわかるほど明らかに動揺してしまっていた。

 公爵は「ふむ……」とアゴに手をやりながら何かを察したように1人で納得していた。


 アンはそんな男連中を見て、先ほどまでの行動を反芻するとともに反省せざるを得なかった。

 思い出すだけでまた顔が赤くなる。

対面している彼の顔が見れない……。


 そんな様子を見ている部屋の入口付近、下座に控えている使用人たちはニマニマと彼らを眺め、事態が『どうか好転するように』と願わずにいられなかった。

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