第79話 再会の味

 ノックされたドアを開けると、思わぬ人物が目の前にいた。


「彼」だ。

(なんで?

どうして……?)


「こんばんわ。アンさん」


「こんばんは……えっ。どうしてここに?」


「公爵様からいろいろ聞きまして……」


 突然の再会にしどろもどろになりながら2人は言葉を交わす。彼女の胸に心地良い温かい物がこみ上げてくる。 

 安心、驚き、期待……様々な感情が入り混じるも、コムギの顔を見るなりどこか安堵している自分がそこにいた。


「ごめんなさい。

驚いてしまって……。

立ち話ではなく、部屋の中へどうぞ?」


「すいません、お邪魔します」


 彼は小さな紙袋を手に、部屋の中へ入った。アンはその紙袋に何が入っているのか、という疑問よりも、彼が自室に入って来た事実に思考を奪われていた。


(なぜかしら、緊張する……)


 高鳴る鼓動が彼に聞こえてしまうのではないかというほどだ。部屋の中に父以外の異性と2人きりなど初めてだからだ。顔も紅潮する事がわかるほど熱い。

 

「えっと……今日はどんなご用件で?」


「……え、えっと公爵様にその……貴方を連れて行くようにと……?なんだかお願いされてしまいまして……」


「「…………」」


 対面式のソファに掛け、しどろもどろになりながら話す2人は、にわかに信じがたい内容に無言になってしまう。

 何がどうなってそんな話になるのか。当事者である2人もよくわからないと混乱しているからだ。端から見れば滑稽なその空気に思わず――


「「ぷっ……あはははっ‼‼‼」」


 2人して思わず噴き出してしまう。

腹の底から彼と笑い合うアン。――作り笑いや愛想笑いではなく、久々に素直な感情のまま笑った気がする。


(なんでだろう、さっきまで闇色だった心がすぅっと晴れるよう……)


 アンの表情と空気が軽くなったのを察してか、彼がゆっくりと切り出す。


「話や事情はいろいろ伺いました。

……単刀直入に聞きます。

オレに出来ることはありませんか?


 アンさんにオレは感謝しているんです。

いきなりこの世界に来て、わけもわからないオレにショーニさんを紹介してくれたり、雪山で命がけで助けてくれたり、くじけそうな時に励ましてくれたり……。


 一緒にいた時間は短かったけれど、心強くて、安心したんです。だからアンさんが何かしたいというなら今度はオレが恩返しします。いや、させてください。


 アンさんの笑顔にも……助けられたので」


 まっすぐな想いを吐露する彼の感謝の気持ちに思わず照れてしまう。……同時に自分の都合に彼を利用したという後ろめたさが彼女の胸に強く刺さる。


 こんな真っ直ぐな善意を受け取る資格が自分に本当にあるのか?そう考えるだけで

彼女は改めて自分が最低な人間だと認識するのだった。


「感謝なんて……私の都合に貴方を巻き込んだんです。受け取る資格……私にはありませんよ……」


 どうにか正直な気持ちを声にして絞り出す。真っ直ぐな彼に正面から向き合えない自分が情けない。


 すると彼が持っていた袋からカサカサと何かを取り出す。彼が手にしていたのは以前見た『あれ』だ。


「……アンさんに食べて欲しくて作りました。もし良かったら食べてもらえませんか?」


 そっと手渡され、受け取ったパンは気落ちして力が入らないからか前より少し重たく感じた。


「いただきます……」


 ふわっ……とした口溶けが良くほのかに甘みのある生地。そして前とは違う、『甘くとろける軽い食感』と共に小倉餡の味が口の中いっぱいに広がる。互いに味を高め合う、見事な調和。


「ふわぁ……これ前食べた時より美味しいです……‼軽くて甘い、初めての食感。

この白いものはなんなんですか⁉」


「それは生クリームです。

バターを作る前に出てくるんですよ。

小倉餡との相性バッチリでしょ?」


 詳細を明かした彼はイタズラを成功させた子供が自慢するような「へへへ」という微笑みを浮かべる。

 

 再びゆっくりと味わう。

ほどよい甘さとなめらかな口溶けに、抱えついたモヤモヤとした陰鬱な気持ちも溶けていくよう……。

 彼が手掛けた未知の味にまたも簡単に気持ちを軽くされるなんて、なんて単純な女なんだと自嘲してしまう。


 (でも……おかげで、この『生クリームあんぱん』のおかげで心が軽くなった気がする。本当に感謝しかないわ、……ちゃんと伝えなきゃ)


「ありがとうございます……あれ?」


――涙が不意に頬を伝う。

 ホッとしたからか、気が緩んだのか、とめどなく涙が溢れていた。


「あれ……こんな……」


 どうしよう、涙が止まらない。

こんなに弱い無力な自分を感じるなんて初めてだ。自分で自分をコントロールできないなんて、未熟な証。

 彼の気持ちに応えられない弱さ、やるせなさが、彼女の不安な思考を加速させていた。


「っ……‼‼」


――不意に彼がそっと私を抱きしめる。


「えっ⁉……え⁉⁉」


「オレはこういうの慣れてないから、うまく言えないけど……。

 もしアンさんが不安とか悲しいなら、安心してもらえるようオレが側にいますし、必要なら胸を貸して抱きしめます。

……安心してもらえればいいんですけど。

だから悲しい顔をしないでください。


「……はい。ごめんなさい……。

じゃ……今だけ、あと少し。


あと少し、このまま……」


 照れながらも懸命に気持ちを伝えようとする彼の言葉に、照れと恥ずかしさでいつのまにか涙は止まっていた。


 そして徐々に高鳴る、心臓が破裂するのではないかと言うほど大きな鼓動は互いにだけ、温かく伝わっていた。

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