第78話 公爵令嬢

 『公麗騎士』


 それは自室の椅子から夜空を眺める彼女、アンジェリーナ・フォン・デューの二つ名だ。


 公爵家令嬢として王族に連なり、現国王のイストとは従妹いとこの関係、父オイルは宰相として経済や流通の管理をしている。


 そんな家柄に恵まれた彼女は幼少期より文武両道、容姿端麗ではあったが、思考と嗜好が通常の貴族の娘とは掛け離れ、好奇心と知識欲に貪欲だった。そして貴族の窮屈な世界より、広い世界や未知の者への憧れが人一倍強かった。


 幼少期は宰相である父の商談や仕事に連れて行かれる機会が多かった。最初は戸惑っていたものの、次第に騎士だけでなく商人や船乗りなど彼女から見れば身分は下の者ではあるが、一人の人間として彼らとの交流を心から楽しむ事に充実感を得ていた。

 そしていつしか、『知らない場所や物に触れ合う未知の世界へ飛び込んでみたい』と望むようになっていた。その想いは彼女の心に秘められつつも、小さく強い意志の炎を灯していた。

『もっと』

という情熱の炎は誰に求められない。


 彼女は憧れる未知のモノへの探究心といつか訪れるであろうその日のために、ドレスよりも鎧、お茶会より商談・武芸の稽古に熱を上げた。そんな彼女を奇異な目で見る周りの人間は「公爵の後継は大丈夫か?」と常に心配していたのも事実である。


 そして、その心配は現実のものになる。

彼女が15歳の成人を迎えるにあたり『騎士』の職業ジョブを授かり、衝撃の宣言をしたのだ。


「お父様。

 私は公爵の娘としてではなく、一人の人間として独立した生き方をしたいと思っております。まずは武芸を磨き、いつかは世界の広さを自分の目で見てみたいと存じます。

 さしあたって、『騎士』の職業ジョブを持つ身ではありますが、冒険者になろうと決めましたのでよろしくお願いします」


「……へっ⁉⁉」


 たくましく、強く育った彼女は貴族の令嬢としての魅力は普通くらいだ。正直、公爵令嬢なのにマナーや礼儀も最低限というレベル。

 だが、王族というバックボーンがあり、また学校を優秀な成績で卒業した彼女ならば

、嫁に迎え入る貴族達も引き手数多のはず。今後は安泰だろうと高を括り、好き勝手にさせていた公爵は心から猛省した。


(どうしてこうなった……⁉)


 度肝を抜かれ、こうなってしまった以上は仕方がない。公爵としてあらゆるコネを総動員し冒険者になることを阻止し、必死の説得と半ば強引に騎士団に入れる事でどうにか娘の能力と未来を活かす様に仕向けた。


(何年かすれば、娘もおとなしくなるだろう。公爵令嬢らしくなるような平穏な生活を望むだろう。その際には自分の仕事を手伝ってもらい、あわよくば有望な貴族と結婚して家に入ってもらおう……)


 あちこちに手を尽くし、全ては娘のためと未来に期待していた公爵。だが残念ながらそんな事には全くならなかった。


 ――むしろ事態は悪化したと言ってもいい。騎士団に入隊するなり、ごろつきや酔っ払いだけでなく強盗の検挙など危険な仕事をする中で、心身ともに想像以上に鍛えられてしまい、気付けば国一番の騎士と同格の強さになっていたのだから。


 その美貌と強さ。平民との距離の近さから鰻登りで人気が出てしまい、彼女が公爵令嬢として生まれたことを忘れてしまう程の高評価になった。『強く麗しい公爵令嬢の騎士』と冠する『公麗騎士』という二つ名も付く程に。



「まさかこうなるとは……」



 予想の斜め上をいく娘の成長ぶりに困った公爵は………諦めた。


「もう好きに生きさせよう……。

狭い貴族の世界で生きるよりも広い世界で生きる方が娘には幸せなのかもしれん……」


 親の願いは、子供の幸せ。

そう考えると、「ふっ」と自嘲気味に笑った公爵自身も慣習や前例に雁字搦めの狭い世界の考えに縛られていたのではないか、と考えを改めたのだった。


◇◇◇


 だが、ある日。

残酷にもアンジェリーナへ平穏を終わらせる知らせが届く。

 ベッカライ帝国皇帝からの縁談申し込みだ。幼少期から付き合いのある皇太子が若くして皇帝に即位し、今まで避けていた度重なる私的なアプローチが『国の代表としての縁談申し込み』という形を取られてはよほどのことが無ければ断ることができない。

 

 公爵令嬢として自分や家の立場はよく分かっている。それでもどうにか出来ないかと知恵を絞った彼女は公爵令嬢ではなく最低位でも爵位を個人で手に入れることにより自分の価値を貶め、それを理由に断ろうと屁理屈を捏ねる事にした。


 並の貴族令嬢なら喉から手が出るほど欲しい、誰もが羨む皇帝との縁談話にも関わらず、全くあり得ない真逆の行動。突飛な発想に、意外にも父は賛同した。

 『公爵家』とすればベッカライ皇帝との縁はこの上ない縁談話だが、イスト国王の互いをライバル視する感情と彼女の意思を考えると安易に賛同できないという『父』としての判断だ。


 そこからの公爵は娘が爵位を得るためにはどうすればいいかを懸命に考えた。過去の事例を探したり、聞き回ったりと。目に止まったのは平民がたまたま発見した魔石を陛下に献上して爵位を得た、という情報だ。「それだ!」と喜んだのは束の間。判明している魔石の所在は極寒の雪山の中。

 しかもドラゴンが住まうという危険地帯。

いくらなんでも難易度が高すぎる。

しかし、それ以外の手段は時間が掛かるであろう事業の成功などでしか爵位を得たという話がない。その魔石の確保という手段に時間の猶予がない彼女達はすがるしかなかった。


――そんな最中、彼女は「彼」と出会った。

街の空き地にいきなり出現した見たことのない、なんとも芳しく良い香りのする綺麗な店の主人と。

 そして、未知の味『あんぱん』と出会い、危険な雪山では命を助けられ、無事魔石を手に入れることが出来た。一緒にいる時間は短かったが、たくさんの初めての刺激が彼女には忘れられない程に衝撃的だった。


 そしてその後も間接的にではあるが彼女は父ともども、彼に助けられた。

 彼女はその度に彼に感謝と関心を抱くようになっていた。同時に彼の心身の強さと人柄に助けられたという、今まで誰にも芽生えることが無かった『女』としての想いもわずかに。――だがその想いに彼女はまだ名前があることを知らない。


◇◇◇


「このまま、ベッカライ帝国でお嫁さんになるのかしら……。彼、悪い人じゃないんだけど……」


 国や父の立場を考えると、自分が犠牲になることで解決するという非情な決断に彼女の心は揺れていた。その悩みをかき消すかのように思わず大きなため息をつきながら窓の外を眺める。


「外の世界にこんな形で出るなんて。

でもその外の世界に『先』はないんでしょうね………」


コン、コン……。


 夜空と同じ闇色のような暗い気持ちで星を眺め、意識も夜空に溶けていた最中。

不意にドアをノックする音が意識を現実に引き戻す。


(……誰かしら?)

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