俺は意外にチョロインなのかもしれん。
「それじゃ、僕は上がるからね。後は頼むよ尾崎くん」
「はい、お疲れ様です」
さてさて、今日はなんだか長い1日だな……。
喜一の一件や学校の課題を終わらせないといけなかったため、バイト前に少しの睡眠も取ることが出来なかった。
流石に眠い。
まあ、仕事をしているうちにだんだん醒めてくることだろう。
「今日も日向さんいないのか……」
もしかして、やっぱりこの間の打ち上げの時のこと気にしてるのかな?
俺とシフトが被るのを避けているのかもしれない……。
LINEでは気にしてないみたいなこと言ってたけれど、気を遣っているのかもな……。
「はぁ……俺の黒歴史に新たな1ページが刻まれた事件だったなあの日は……」
しかし、相変わらずこの時間帯は人が少ない。
店内を見渡す限り、常連である物書きっぽい中年の男の人が一人と、仕事帰りの一人飯を楽しんでいるサラリーマンの人が一人くらいだ。
これくらいの人数しか来ないのに店を開けているのは、正直勿体無いのでは? と思ったりもする。
俺としては嬉しいけれど。
もし俺がランチのピーク時に出勤しようものなら、間違いなくこなせない自信がある。
カランカラン、と入り口の入店ベルが鳴る。
「いらっしゃいませ〜……」
来店したお客さんの元へ向かうと、そこには
「ふん、相変わらず寂れているわねこのお店は」
グラさんのお出ましだ。
なんだか久しぶりな感じがするせいか、ちょっと嬉しい気持ちにもなる。
まさか前までウザい客だと思っていたグラさんにこんな感情を抱く日が来ようとは……。
「あ、お久しぶりです。では、席までご案内します」
「あ、あら? 今日はやけに親切じゃない。どういう風の吹き回しかしら?」
「いえ、いつも通りのつもりですが?」
「いつもは気だるそうに接客しているイメージだけれど?」
「え? ほんとですか?」
「ええ、ほんとよ」
多分その時はグラさんに対して苦手意識があったからだろう。
俺はすぐ顔に出るタイプだし。
でも、今はそんなに苦手だなという気持ちはない。
ライブのチケットくれたりしたし……って、あ、そうだ。
グラさんを席に案内した後、前々から言いたかったお礼を述べた。
「あ、お客様。この間はライブのチケット、ありがとうございました。おかげで楽しめました!」
前々からグラさんにはお礼が言いたかった。
ヨイハナのライブチケットってなかなか手に入らないものらしいし、そんなレアなチケットをどこの馬の骨かもわからんバイト店員にくれたんだ。
なかなか店に来なくなったものだから、やっとお礼を言えてよかった。
「そう……楽しめたのならよかったわ」
「はい! あ、本当はダメなんですけれど、今日は僕が奢ります。なんでも好きなもの頼んでくださいね」
口先だけのお礼はなんだか嫌だったので、次来店した時の会計は俺が持とうと決めていた。
「……なんでも?」
ギラリ! と、なにか閃いた表情をした気がした。
グラサン掛けてるからわからんけど、なんだか悪寒がする。
「ま、まあ僕が自腹で払える限りは……」
流石に店のメニュー全部注文したりしないよな?
そんなYouTuberがやるような企画チックなのは勘弁願いたい。
……余談だが、企画で頼むだけ頼んで残して帰る奴は出禁にしたほうがいいと思う。
さて、そんなことはさておき。
おそらく、いつも通りグラさんはワインとささみのステーキはまず頼むだろう。
「なら……今度私のショッピングに付き合ってもらおうかしら」
「ショッピングですね! かしこまり……え? ショッピング?」
あれ?
うちのメニューにショッピングなんていうのは置いてないのだが……なんていう混乱系主人公を演じるつもりはない。
しかしショッピングなんて、俺と行ってどうするつもりだ?
「わ、私は買い物が多いから、良い荷物持ちを探していたのよ。あなた、制服の上ではわかりづらいけれど、ガッチリしているようだし、荷物持ちには最適でしょう?」
「な、なるほど……?」
「今度の日曜日、予定はあるかしら?」
「いえ、特にないですけど……ほんとにそんなことでいいんですか?」
「私がそうしたいのだから、それでいいのよ」
「そうですか……わかりました、いきましょう!」
グラさんからもらったヨイハナのライブチケットは、転売すれば数万円で売れる。特にこの間の席なんて一階の最前列という一番良い席だった。
ヨイハナガチ勢の日向先輩曰く、アリーナ席よりも一階席の方が見やすくて、かつなんだかんだ一番メンバーから
そんな神チケットをタダでくれたのだから、ショッピングで荷物持ちになるくらいなんてことはない。
それぐらい、お安い御用だ。
するとグラさんは、髪を弄りながら言った。
「だからその……あなたの連絡先を、注文できるかしら……」
「っ! か、かしこまりました」
グラサン越しだったから、彼女の表情はわからない。
けれども、いつもは高慢な態度の彼女がしおらしく、また恥ずかしそうにしている様は、不覚にもドキっときてしまった。
思えば、前にも不審者から絡まれている時にお礼を言われた際も、こんな風に胸が高鳴った記憶がある。
俺は緩んでしまった表情を隠すかのように、連絡先を記すための紙を取りにその場を離れた。
お客さんは全然いないから、他の誰かに見られてはいないと思う。
なんなんだろう。なんというか、もしかして俺はグラさんのことがーー……
「……いやいや、ないだろ」
パンっ! と頬を叩き、表情を引き締める。
「俺もちょろいもんだな……喜一よ、お前って結構すごいな」
後輩ちゃんからのアタックにも気づかない鈍感系主人公属性のある喜一に、初めてすごいと感じた。
ここにはいない喜一に「はは! 傑、お前ってチョロいのな!」と嘲笑される情景が目に浮かんだ。
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