その隣、アイドルにて



「えっ……『宵は儚し恋せよ乙女 in 武道館』のライブチケット……!?」


 家に帰ってからグラさんから貰った封筒を開けてみると、巷で噂のアイドル『ヨイハナ』のライブのチケットが入っていた。

 聞いた話じゃあまりの人気からライブチケットの入手が困難と、ネットではファンが嘆いていたが……。


「……てか、うちの学校のアイドル様のグループじゃん」


 しかしいつも俺を邪険にするグラさんがなぜ突然こんな物をくれたのだろうか?

 まあでも、ありがたく頂戴して、今度行ってみよう。


 しかし俺はこのとき、とんでもないことに気がついた。

 俺が先ほど終わらした課題は米国史。俺はてっきりこのレポートのみだと思い込んでいた。


「……レポートもう一個あった」


 それも日本語を駆使することの出来ない、ポルトガル語のレポートだ。

 しかもネット提出期限が残り三時間ほど。


 ……どうやら寝れない日のようだ。


 ***


(翌朝、大学にて)


「傑……目の下のクマやべえけど大丈夫か?」


「オーケー大丈夫俺はいつも通りだ続けてくれ……」


「なんだよそのハリウッド映画に出てくるようなお調子者口調は。全然大丈夫じゃないだろ〜」


 昨晩、実はレポートもう一個ありましたテヘペロ★事件のせいでバッチリ睡眠不足の疲労困憊だ。いつもなら夜勤は終わったのちすぐに寝て昼過ぎからの授業までにはそれなりに回復しているのだが、疲れが募ってからの徹夜なのでさすがに堪える。


「正直死ぬほど眠い。大学に保健室とかあったら間違いなく飛び込む」


「大学って高校みたいに保健室がないのが不便だよな〜。てか保健室とか懐いな」


 こちらの心情とは違って喜一は呑気なやつだ。まあ元々体力あってパワフルなやつだし、俺みたいに夜勤やって少し寝て学校行ってなどという不摂生な生活を送っていないのだから当然なのだが……。


「いや別に保健室に思い入れとかないからただ眠いだけだから……」


「察し察し。まあ授業頑張れや」


「お前もなー……」


 これから始まる授業はお互いかぶっていない。

 俺が大学で言葉を交わす人物はほぼ決まっていて、喜一や喜一の彼女くらいのものだ。

 故に、喜一と授業がかぶっていないイコールぼっち受講ということになる。……おかしいな、東京に出て友達百人作るぞ作戦は泡沫の夢だったようだ。まあそもそも元々そんなに友達が出来やすい人間ではなかったけれど。

 人見知りだからね! 人間やっぱ根付いた性格を変えるって難しいよね!


 そんなバカなことを心の中で自分に言い聞かしているうちに、教室に着いた。

 そこそこ広い教室なのだが、あたりを見回してみるといつものようにグループごとに固まっている。いやあ、こういうところって集団でギャーギャー騒いでいる方が目立たなくて、逆に一人座って黙々と授業を受けているやつのほうが実は目立っていたりする。ほんとやめて欲しいよねその珍しいもの見たさ。

 こら! 見せもんじゃねえぞ!


 授業が始まる時間が迫るとともに、だんだんと席が埋まってきた。ちなみに俺の席はもちろんのこと一番後ろの端。喜一と一緒に授業を受けるときもだいたいこの辺りの席だ。

 黒板に近い前列や中途半端な場所に座っていると教員から指されて大勢の前でポルトガル語の文章を読まなくてはならない。あ、ちなみにこの授業ポルトガル語の授業ね。


「あの、隣いいですか?」


「はい?」


「隣いいでしょうか?」


 あまりの眠たさで机にうつ伏せていたのだが、凛とした鈴の音のような声が背後から聞こえてきたのでつい振り向いた。


「あ、俺?」


「あなた以外に誰に喋ってるんですか」


 声をかけてきた彼女は俺の言動が面白かったのだろうか、クスクスと口を押さえて笑っている。なんだろうか、とても美しく可愛らしい。


 ……もしかして、あの宵川みやびか?


「あーごめんボーッとしててさ。いいよ、一緒に受ける人いないし」


「ありがとうございます。それじゃ、お言葉に甘えて」


 彼女が隣に座ると、ふわりとフローラルブーケのような優しい香りが鼻を掠める。女の子だなという印象を存分に醸し出している。たまに汗臭い喜一とは大違いだ。あ、これ喜一に言ったら絶対傷つくだろうな。今度優しくいじってやろう。


 彼女が隣に座ってから特段話すことはなかった。

 しばらくすると教授が教室に降臨なさったので、真面目に考えているフリをしながら俺は頬杖をつき、やがて意識が闇へ沈んだ。




 ***




 県大会決勝。この試合に勝てばいよいよ夢の甲子園だ……!


 高校一年生にして俺はチームのエースピッチャーだった。中学時代から関東ではそこそこ名が馳せていて、強豪校から引く手数多だった。

 高校に進学して、鳴り物入りで野球部に入部した俺は、まさかの一年生から背番号1をつけることが許された。周りから天才だの、将来は絶対にプロに行くだの、学校では女子からもそれなりにモテていた自覚があった。

 でもだからといって野球の練習は真剣に打ち込んだし、モテていても彼女を作ることもなくひたすらエースの名に恥じぬよう努力した。


 そして、一年生の夏の県大会決勝まで進んだ。……進んでしまった。


 今思えば、試合の組み合わせが良かったんだと思う。たまたま運良くうちの高校はエースが俺でも決勝まで駒を進めることが出来たのだ。


 迎えた決勝戦は、まさに地獄だった。


 決勝戦はコールド負けというシステムがないため、9回が終わるまで試合は続行する。

 結果、試合は32対0という前代未聞の大敗。

 高校にも、チームの先輩たちにも恥をかかせてしまった。


 普通であれば、これはチームの連帯責任だろう。


 しかし、この時は違った。


「恥かかせやがって……!」


「一年からエースになれたからって調子に乗ってたんだろ!」


「だっさ……チヤホヤされててうざかったから、正直気分いいかも」


「学校のみんなに言い触らそうぜ笑 天狗になった結果先輩に泥塗った使えなエース笑」


 酷いものだった。見事な掌返しだったと思う。

 野球の試合は八割ピッチャーによって決まると言われているとはいえ、この仕打ちはおかしいのではないか。それとも、俺がおかしいのか。


 その日を境に学校での居心地が悪くなり、ましてや野球など続けられるようなメンタルの強さを俺は持ち合わせていなかった。

 そして俺は、大好きだった野球をやめた。


 退部届を顧問の先生の机に置いたあと、俺は学校の屋上で、人生で最も泣いていたと思う。


 なんで、なんで、なんでやめないといけなかったんだ。


 なんで、なんで、なんで……


 野球推薦で高校に入学した俺は、野球をやめる=学校退学。


 親も俺の気持ちを汲んでくれたのか、特段何も言われることはなかった。

 ただ家が裕福ではないので、地元の県立高校に編入した。


 自信を消失してからというもの、人見知りが加速してしまったのか、残りの高校生活はボッチ生活となった。


 野球、続けたかったな……。




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