第10話
仕方なく家に帰ってきた。粘ってはみたものの、深琴は頑なだった。どうしてしまったのだろうか。どうして君が一番輝いていた世界から、埃っぽく薄暗い塔に戻ってしまったのか。
朧月を見ながら皿洗いをしていると、おじいちゃんが話しかけてきた。
「道流、来なさい」
「わかったよ、これ終わったら行くね」
だが、おじいちゃんは神妙な面持ちで今している事を中断しなさいと言った。
どうしてだろうか、まるで怒られにいくみたいで密かに溜息をついた。
テーブルに着くと、いつものおじいちゃんだった。椅子にもたれると、おじいちゃんは湯飲みに茶を淹れてくれる。それを最後まで見届けると、おじいちゃんは「昔話をしようか」と口を開いた。
おじいちゃんの視線は、僕の胸元に合わさる。ペンダントだ。
「それは道流の母親があげた形見だろう」
うん、と返事をする。
「道流は。母親、いや#友恵__ともえ__#との最後の記憶はいつじゃったか」
僕は両手を固く握った。そして天井を見上げる。お母さんとの記憶の限界を探す。
「僕は、青い海を見て無邪気に微笑んでいる。それから」
言い出して、少し呼吸が苦しくなった。
「それから、服の匂い。それから、体温。それから」
胸元のペンダントを、天井ランプに透かす。
「このペンダント」
断片的にいうことしかできなかった。おじいちゃんは、頷いた。
「道流が七歳くらいの時だった。友恵は、自分の死期がわかっていたのだろう。動物と同じで人間も自分が死ぬのを悟る生き物じゃ。友恵は、知らせもなくこの家に道流を連れてきてしばらくここで暮らした。今は遠い昔の話じゃがの」
それから、まもなく息を引き取った。おじいちゃんはその後の話を全て僕にしてくれた。懐かしそうに語るおじいちゃんの話を、遮ることはできなかった。
僕は毎日深琴の所へ通った。日々は流れ、夏も中旬に差し掛かっていた。
「深琴、おはよう」
トメ婆さんの店で買った、一枚の皮を塔のたもとに敷いて腰を下ろした。静かな音を立てて、波が砂を自らへと引き込んでいく。その余韻さえも心地よい。なぜだろうか、僕はなんとなくその答えをわかっている気がしていた。
「いい天気だな」
返事がないのは百も承知で、それでもいいやと僕はサンドウィッチを頬張る。美味しい美味しいと食べていると、空がより一層透き通ったように見える。
「ほんと、空って綺麗だな」
僕は自分の話をひたすらした。どうでもいい自分の主観的な発言はバカバカしいと鼻で笑いながらも、尚はなし続けた。
一時間は立っただろうか。我ながら居座り過ぎだと笑いがこみ上げてくるが、もう一度試みた。
「ねぇ、深琴。深琴は、こんな晴れた空と雨や曇りの日。どんな天気が好き? 」
なぜこんなにくだらない会話しかできないのだろう、と
「深琴? 深琴、さぁ! どの天気が好き? 」
ひょこり、と深琴は顔を出して大きな声で言った。
「あめ、雨!!!私は雨が好き!!!」
腹の底から、無邪気な笑いが溢れる。体の中が熱くなる。一方で胸は切なくなる。
「僕も、僕も雨が大好きだ!!! 僕は晴れなんて嫌いなんだ!」
「私も!私も晴れなんか大っ嫌い!!!」
僕たちは笑った。きっと目尻から流れたものは嬉しいものに違いない。
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