第9話
「結局、ついてこられたのですね」
言葉を、落とすような口ぶりで深琴は言った。その調子は、初めて出会ったそれに似ていた。
「なぜ、なぜ。なぜ今なんだ」
そんなことを言っても、仕方ないではないか。僕はわかっていた。なぜ今なんだなんて言われても、深琴には関連もない話なのだから。
でも諦めがつかなかった。否。諦めというより、執着心だろう。
彼女の言葉は、あどけなかった。
「道流さんと、あの海を見た時。私、思ったんです」
あの透き通った青のことだ。あの色を見せては、いけなかったのだろうか。
「あぁ、帰らなくてはと。この海が、そう言っているのだと」
勘づきのいい僕は気付いてしまった。あの強い眼差しは、その意思は、遠い記憶に残るはずだったあの塔への想いだったのだ。
「なぜ、そこまで塔に帰りたがる? 」
「・・・・・・帰らなくてはいけないのです」
彼女が中に入るのを、僕は見届けるしかなかった。木の板は閉じた。そこにあるのは、冷たい余韻だった。最後に目に焼き付けた君の後ろ姿を僕は忘れたことがない。
そして夏がきた。開けた窓からは、青臭い新緑が繁っているのが見える。一応、この家は海辺の近い郊外なのだから冷たい風が入ってくるのは有難いがそれでも汗は滴るものだ。
外はずいぶん盛っている。感謝祭の前支度というやつだ。天の恵みに感謝、農作に感謝、水の潤いに感謝。
太鼓の音がかなり遠くに聞こえる。彼らはそこに居るはずなのに。
胸のペンダントはくすんだ青になっている。僕はそれを撫でて、少し胸を痛める。
今まで感じたことのない人恋しさだ。胸が熱鉄に伏されたように熱い。おまけに縄で締め付けられているかのような息苦しささえ感じる。
あの後、塔を何度か通ったが深琴は一向にこちらに戻る気配を失くしていた。
まるで冷え切った湖のような色をしていた。
「元気、で暮らしてるの?深琴」
窓際に肘をついて僕は呟いた。
「元気ではなかろうに」
少ししわがれた声が耳元に聞こえて、ようやく現実に返る。しゃべる猫だ、珍しい。柄は、黒一色。
「君は一体だれなの? 」
深いため息を吐いて、クロは青と赤のオッドアイを細めた。
「名前を先に述べるのは、お前さんではないか? 」
ふてぶてしいのに憎めないのは、猫特有のご愛嬌かもしれないが、色々とおかしくはないだろうか。
「それは、失礼したね。ごめん、僕の名前は道流だよ」
「道流だぁ? まぁ、中性顔のお前さんには似合うかもしれんわい」
中性顔、とはよく言われる言葉ではあるがこんなにも明らかに言い放たれたのははじめてかもしれない。クロは口を開いた。
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