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 町に着いた僕は足が痛くて悲鳴を上げそうだった。理由は簡単だ。色々ありすぎて忘れていたし気付かなかったのだが草原の中を不安な気を紛らわせように話しながら歩いていた時に多少安心したせいか思い出したかのように足の裏が傷んだ。なんと僕の脚には靴なんてものは履いてなかったのだ。それもそのはず、女神の所に拉致されたときは室内だったのだから都合よく靴なんて履いているわけがない。森の中では茂みや柔らかい草を踏んでいたことを含めて考えても気付くのが遅れてしまった僕は相当混乱していたらしい。

 僕の足は植物の湿り気を含んだ靴下は千切れるように穴が開いており、足の裏の皮が切れていて血がポタポタと垂れていた。三人はその様子に顔をしかめた後に仕方がないと使わない布をくれ、それを靴代わりに足にまいた。しかし丘には草に隠れた石がゴロゴロあってそれを踏むたびに叫び声を上げそうになったりと非常に苦難することになったのだ。

 その状態で丘を登っては下ってを繰り返してかなりきつかった。コンクリートの道がいかに道として仕上がっているかがよくわかる経験だったと言えるが、こんな形で体験したくはなかった。

 そんなこんなで僕は死ぬような思いをしながら三人の拠点にしている町に着いたのだった。

 僕の脚のせいもあり予定よりも遅くなったせいで既に太陽は地平線に沈みゆく姿となっており街並みも赤い。


「足が、足が」


 そう声を漏らす僕にヴィリスはもう少しだよー、と背中を押す。

 町の地面はレンガを敷き詰められており、思ったよりは整備されていると分かる。少なくとも草原よりはいい。

 町に入ってから右側四軒ほど先にやや大きい建物があり、三人はその前で止まる。出入口の扉の横には立て看板でこの世界の文字が書かれていて翻訳では「総合調査組合」と表示されていた。


「総合調査組合?」

「ああ、アタシらの拠点、勤め先ってやつだ」


 ガルガの言葉を背に扉を開きイドリスらと共に入って行く。

 出入口正面に受付があり、その左手側にいくつかの机やベンチが置いてあり何人かの人たちが何かを話し合ったりしている。

 その姿を横目にイドリスは一目散に受付に向かった。


「あ、イドリスさ――」

「おい、奥の部屋を使わせろ。あと書品51番を出せ」

「ええ!? いきなり困りますよ!」


 受付にいた受付嬢であろう女性は唐突なイドリスの申し出に飛び上がりそうな様子で言い返す。

 イドリスは低い声で受付嬢を威嚇する。


「はぁ!? ここのオーナーの尻ぬぐいをしたのは誰だと思ってるんだ? それとも会議室も書品も貸出中か?」

「い、いえ! ですがいきなり殴り込みの様な事をされましても、せめて理由ぐらい言って下さらないと」


 受付嬢の言葉にイドリスは後方にいる僕らに向かって指をさす。

 それを見て受付嬢はまあ、と口を抑える。


「イドリスさん。いくらお相手がいないと言ってもいたいけな少年の身ぐるみを剥がそうとしなくても」

「違うわ! そんな理由なら書品なんか頼まんわ!」


 イドリスは受付嬢に唾を飛ばすように言った後に懐から丸めた紙を取り出して受付の上に投げるように置く。

 受付嬢はそれを受け取ると慣れた手つきで開く。

 すると受付嬢は息を深く吸い、降参とでもいうように手を仰ぐ。


「ああもう。分かりましたよ。待っててくださいよ」


 そういうと受付嬢は受付の奥へと消えていった。

 ヴィリスはイドリスに横に近づいて問う。


「なにしたのよ」

「貸しの分を一つ出しただけだ」


 それだけ聞くとヴィリスはあー、とだけ声を漏らして後方の僕らの方へ戻ってきた。

 ヴィリスはなんだか気まずそうな様子だ。


「イドリスさんって怖いんですか?」


 そう聞いてみれば、ヴィリスは答えにくそうに何かをぼそぼそ言うのみで要領を得ない。

 それにガルガは耳打ちするように顔を近づけてきて言う。


「ここの奴らは大概はヘマやらかしててな、うちのリーダーに世話になってるんだよ」


 そうだとしたらあの受付嬢はどんなことをやったのだろうか、と考えるとこの二人もやらかしたのでは? 疑問に思って尋ねると、ガルガもから笑いをして誤魔化そうとした辺りから事実だろうことが分かった。

 するとイドリスが後ろ目にこちらを睨み付けていた。それを見たヴィリスとガルガはそっぽを向き知らん顔している。

 よく見れば僕のことを見ているようだ。それもそうだ。僕だって現在進行形で彼女のお世話になっているのだ。一応彼女たちではあるが、イドリスにあれこれ言える立場じゃない。

 そのようなやり取りの後ややあって受付嬢が戻ってきた。


「書品は部屋の方に。ではご案内致します」

「ああ、ほら行くぞ」


 イドリスは受付嬢の後に続くようにこちらに諭し、僕らはそれに従いついて行く。

 進むのは受付の右側の受付奥とは別の扉だった。

 扉の先は通路で、奥に三つの扉があり、右から1から3までの番号が振り分けられていて、受付嬢は1の部屋の前に止まり扉を開く。

 イドリスに続いて僕らは部屋に入って行き、全員入ると受付嬢は部屋の前で一礼する。


「荒したりしないでくださいよ」


 釘をさすように言った受付嬢は扉を閉めた。

 室内を軽く見渡すと部屋の真ん中に向けて設置されている四つのソファの間に一つの机があるだけの簡単な部屋だった。

 ただ、ちゃんと電球の様な照明が部屋の角にあったり、清掃が行き届いているのか清潔感のある部屋だった。

 机の上にはこげ茶の薄汚れた本の様なものが置いてあった。

 皆は思い思いの場所に座っていく中、僕がどこに座ろうかと悩んでいるとイドリスが隣に来いと手招きをした。


「いいんですか?」

「というよりもその方がやり易い」


 それに対して何が? と聞くと、イドリスはしかめっ面を見せ、机の上にある本を指先で叩く。


「お前が翻訳だなんだと言ったことがだ。この本は古代語で書かれた古書の元本なんだ。一応は解読されている。これを使ってお前の言う事の真偽を図る」


 そう言われて納得する。というよりも助かったというべきかもしれない。翻訳に関しては僕は少しも証拠を出せていなかったのだから、照明になる手段を用意してくれるのはとてもありがたい。


「はい。分かりました。で、どこから読んだらいいのですか?」

「は? 何言ってるんだ? 書け」


 イドリスがそういうと腰元から少し皺や汚れのある紙と、万年筆の様なペンを出した。


「この紙に指定した部分を解読して書け」


 そういってイドリスは紙とペンを僕の前に置いたあと本をめくり始めた。

 それに対して僕は焦ったように声を出すほかなかった。


「あの!」

「なんだ、やっぱり法螺か?」

「というよりも、僕、ここら辺の文字、書けないのですが」

「は? はぁ?」


 イドリスは信じられないようなものを見た目で僕を非難する。

 そんなやり取りを見ていたガルガがそうか、と声を漏らす。


「キョウタロウのいう翻訳っていうのはあれか、自分に向けての出力は出来るが自分から外への入力は出来ないって感じなのか?」

「変な言い回しですが、多分そうです」

「そんなわけないだろ」


 僕の言葉にイドリスが割り込む。


「そうならどうして私たちはコイツの言うことが分かるんだ。ガルガのいうことがそうならコイツの言った言葉が意味不明じゃなきゃ理屈が合わない。おい、お前、何かしらお前の知っている文字を書いてみろ」


 イドリスは意見を言った後に紙を強く叩いた。

 僕はカタカナでイドリスと書いてみる。

 その途端にイドリスに拳骨をもらってしまった。

 結構痛い。足ほどではないけど。

 僕が頭を撫でていると、イドリスが声を低くした。


「落書きはやめろ紙の無駄だ」

「いや、これ、僕の故郷の文字です」

「……え、このカックカクのへんな落書きが?」


 ハイ、というとイドリスが悩ましそうに眉間を摘まむ。

 ガルガとヴィリスは興味深そうにカタカナを見やる。


「ねえ、これってなんて書いてあるの?」

「イドリスって書きました」


 ヴィリスが聞いてきたので答えるとイドリスがあからさまな舌打ちをした。

 ヴィリスはそれを見て、もしかしてと人差し指を立てた。


「その翻訳って間接なものは駄目ってことなんじゃない?」

「間接?」

「うん。例えばこうして会話したり、キョウタロウが文字を読んだりとか、そういう形でキョウタロウを中心にして直接的なものじゃないと駄目ってことなんじゃない?

 キョウタロウの故郷の文字は紙とかに書いちゃうから間接になるし、キョウタロウがここら辺の文字を書けないのはキョウタロウが分かる文字になっているから、そこから翻訳するにしても間接的になるんじゃないかな?」


 そういったヴィリスの考えは多少はあっているのだろうけれど、多分違う。

 イドリスというカタカナを見てみると分かるのだが、日本語からこの世界の文字に翻訳されてはいないので違うと思われる。

 するとイドリスは眉間に皺をよせ目を瞑り酷く悪夢でも見ているような低い唸り声を出している。

 ややあってイドリスは机を強く掌で叩いて叫ぶ。


「クソが! 五月蠅い! もう音読でいい! ホラここだここ!」


 イドリスが本の適当なページを開いて適当な文を指で紙を破かんばかりに突く。

 古い本っぽいのだからもっと大切にしたほうが良いと思うのだが、血が上っている彼女に何を言っても無駄だろう。

 指定された場所を大人しく読むことにした。

 指定された場所を視線でなぞる様に見るとふわりと日本語のルビが浮かび上がる。


「……えっと、

 “見知らぬ怪しい少女を追っていた私はその光景を見てついに理解した。あの五対の翼は天の梯子より女神に付き従う天使なのだと。あの少女はこの世界を見定める為に女神が遣わした化身だったのだ。”

 次はどこですか?」

「むっ。次はここだ」

「“船に乗った私は光の塔を目指した。神の御業はこの世から失われたが、その証を失う事はあってはならない。この手記はまだ半分だが息子のアダマースが手記を10の証と共に受け継ぎ、後の世に御業を語り継ぐことだろう。”

 次をお願いします」

「……」


 黙るイドリスに視線を送ると多くページをめくった。


「……。

 “僕が船が着いた島の集落デーヴァは古くより黒き女神を進行していた。僕らが進行している女神さまとその語り継がれる特徴は同じだ。その上に我らの聖女様がその身に卸した女神より授けられし信託と同じ信託を受けていた。こんな辺境の小島の巫女がだ。ありえるのだろうか? いったいこの島は、女神さまは、信託とはなんなのだろうか。僕はこれから巫女に会いに行く。その身がなんであるのかを。”

 ……あの――」

「なんだ?」

「その、こう言っちゃなんですが、ちゃんと読みたいです。内容がめっちゃ気になる」


 僕がそういうとイドリスはため息をつきながらかぶりを振った。

 ヴィリスは身を乗り出して、確かに気になる。と呟いき、ちらりとイドリスはガルガを見ると興味気に頷いていた。

 イドリスは一段と落ち込むように肩を落とした後に、本を掴んで勢いよく立ち上がり僕に指をさした。


「ああ分かった分かった。本当にお前が持つ板の力かどうかは置いておいて、こういったものを読むことが出来るのは分かった。でも文字が書けないとあっては宝の持ち腐れだ。意味がない! ああもう、飯だ! 飯にする! 文字に関しても仕事も明日だ! 今回は寝床はこっちが用意する。明日から自分で稼いでもらうぞ。足はともかく手は使える。こき使うからな!」

「あ、そういえば靴は?」


 ヴィリスの声にイドリスは鼻で笑い、釘をさすようにキツく言う。


「知るか。コイツが自分で稼いで買わせろ。いいか今の世は自分で何とかするのが普通だ。第一、私たちは調査隊であって慈善万歳の教会委員じゃない」

「一応探検家でもある」


 割り込んできたガルガの言葉にイドリスは黙れと言った後に部屋の扉を乱暴に開く。


「今は色々考える時間が欲しいんだ。飯だ。飯に行くぞ、早くいくぞ」


 痛む足を抱えて立ち上がると隣に来たヴィリスが、何かあるといつもあんな感じなの、と言って部屋を出ていく。

 それに続くようにガルガも出ていこうとするのを見て僕は慌てて部屋を後にした。


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