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「ここどこ?」


 思わず零れた言葉は僕の口を閉めるための力を奪っていた。

 右を見れば木。左を向けば木。前も後ろも木。

 それらの木の向こう側も木、木、木。少し視線を下げれば茂みなどの草が生い茂っている。

 明らかに森だ。そうでなくても林だろう。

 見知らぬ場所に明確な目的を持たずにいる僕は呆けるばかり。

 どうしようかと思ったときにそういえばとスマホを思い出し、そのスマホは女神の所にいた時と同じように手に持っていた。

 スマホの電源ボタンをカチカチ押してみるが反応しないのを見て電源が入っていないと分かる。てっきり異世界に来たら自動で起動する物だろう思っていたが、絶妙に現実的だ。そういえば電子機器にはまって作ったみたいなことを言っていた気もするが、もう少し融通を聞かせて欲しかった気もする。

 そんなこんなで電源ボタンを長押ししてスマホを起動すると、唐突に女性の音声が響く。


≪こんにちは。神器サポートシステムです。≫


 耳が貫かれるような音量にうるさいという感想は浮かんだと同時に吹き飛ぶ。

 その場に右足を強く踏みしめ、左足で踏み込み、スマホを持つ右腕を大きく振るう。ほぼ反射的にスマホをぶん投げスマホは勢いよく真っ直ぐ茂みの向こう側に消えていった。

 一種の生命線かもしれないものを投げたことに気付き直ぐに平静を取り戻し、急いでスマホを探しに行く。

 ガサガサと探しているとまたしても大音量で音声が流れる。


≪基本機能として、念じる、発言と言った非手動操作が可能です。紛失した場合は戻ってくるように操作を行うことによって転移して手元に戻ります。その他のサポートは非手動操作でガイドを起動するか、手動でアプリを起動してください。≫


 そんな便利機能は女神さま辺りが教えてくれたらよかったのにとそう思いながら大音量で音声を垂れ流しているスマホを茂みの中から発見し手に取る。

 うるさいと思いつつ、音量を下げるボタンを連打して、小さくなったところから聞きやすい音量に調整する。

 一息つくと僕はその場で胡坐をかいて少しづつスマホを操作していく。

 起動したホーム画面は一見普通に見える。違うとすれば見慣れないアプリが入っているところだろうか。試しに音声の非手動を使ってみる。


「えっと、入っているアプリをリスト化……とかできる?」


 思わず聞く形になってしまったが何の問題もなくズラッと表示された。

 なになに? 【ガイド:神器サポートシステム】【どこでも通信電話】【記録とアルバム♡】【あなたの素敵なボックス】【神の目(マップ)】【だいたいわかるナントカ図鑑】【学習装置(脳みそミキサー)】【あなたの隅々まで健康診断】【せいぶつ博士アプリ】【なんでも鑑定し隊】【自動翻訳(メビウス版)】【魔法ガイドアプリ総編】etc……。

 使えそうなのはこのくらい。というか総数が121個もある。どれだけ詰めているのか、それ以前にネーミングがだいたい変だし。しかも【あの娘の服の中を覗いちゃお】なんていう倫理から大きく外れたものまで入っている。これ全部あの女神が仕込んだのだろうか。

 とまあ、そんなくだらない&使えないアプリは放置して、今すぐ使いたいアプリがある。

【自動翻訳(メビウス版)】これだ。これがあるという事はたぶん異世界は言語が全然違うんだと思う。地球上では外国でさえチンプンカンプンなのだから異世界ならなおさらだろう。すぐにタップして起動すると丁度良い音量で音声が流れる。


≪起動後、音声は全て翻訳され、文字はルビを付ける形で翻訳されます。翻訳をやめたい場合はアプリをオフにするか電源を落としてください。よろしいですか?≫

「あ、はい」


 反射的に僕は返事をする。この音声はなんだか合成音声という感じがせず、妙に生生しいので少しびっくりしてしまう。

 するとアプリが自動で閉じて上部にアイコンが表示されていた。アプリが起動している証拠だ。

 とはいえ森の中であり言葉を交わす存在なんていないので次に興味を移した。

 次は【魔法ガイドアプリ総編】だ。これの存在は間違いなくこの異世界に魔法があるという事だ。それなりにゲームはやっていたので好奇心が強く刺激される。

 意気揚々とタップしようとしたところで、後ろから声を掛けられた。


「おい。そこで何をしている」


 女性のそれも大人の声だ。澄んだようなサバサバした印象を受けるよく通る声。

 ぎこちなくゆっくり振り向いてみれば聞いた声の想像よりもずっと小柄だった。

 僕の身長は161くらい。目の前にいるのはずっと小柄で、多分110とかそのぐらいなのではないか。

 そのような小柄の身長の存在は濃い緑のローブを身にまとっており、頭から眉間まで包む緑の布地とマスクのように口元を隠すような黒い布を巻いていて、わずかに目のようなものが見えるだけでどんな顔をしているのか見えない。少女なのか小柄なだけの女性なのかが判断できない。

 そんな怪しさが人の形をしている人物を目の当たりにして何かを言おうとしても言葉にならずに言い淀んでしまう。

 すると銀色の何かが視界の上からゆっくりとおりてきた。

 それは銀色というには曇っており鉛色にも見えるそれは長い棒のようで、先端が鋭くその身を絞られていることから、それが切っ先であり銀色のそれが何かの刃だと分かった。

 刃を目で辿っていくと黄色い着色の鍔が見えたのでそれが剣と分かり、その奥に白い手が視界に入る。

 そこから剣の持ち主を見やるとそこにいたのは金髪碧眼の美女であったのだが、それ以上に特徴として興味が引かれたのは耳だった。

 長い、正確に言えば耳の頭長部分が左右に伸びているのだ。

 その容姿からしてよく創作物であるようなエルフだと予想でき、あまりにも特徴的なそれに思わずあ、と声が漏れてしまった。

 そのような声を出したせいか、小柄な方が声を上げた。


「おい、こいつは知り合いか?」


 小柄の人物がそういったのに対してエルフの様な女性はかぶりを振るう。


「知らないわよ、知っていたらそもそも剣を抜かないし」


 そういうとエルフの様な女性は剣の切っ先をこちらに向けてきた。

 思わぬ来襲に思考が混濁していたが、僕は切っ先を認めて一気に思考が噴き出す。


「待って! 待ってください! 僕なんかしました!? 何かしたなら謝ります! ここに居ちゃいけないならどこかに行きます!」


 情けない声が出た気がするが、目の前の剣が本物ならすぐに退かなければならない。

 必死に敵意は無いと手を挙げてアピールしながら相手の反応を伺う。

 僕の様子にエルフの様な女性は顔をしかめる。


「ねえ、こいつは違うんじゃない? てっきり斥候かと思ったんだけど」

「確かに、だがさっき女の大声の様なものも聞こえたからな、奴らがここいらにいるのは確かでこの付近にいるそいつは怪しい。だいぶ怪しい。縛っとけ」

「確かにそうなのだけれど、ね」


 疑問に対しての望んだ答えが返ってこなかったのか、小柄な方に命令を言われたエルフの様な女性は不服そうに僕に向けている剣を揺らす。


「あんた、悪いけど後ろ向いてくれる?」


 僕はぎこちなく頷き女性から背を向ける。

 すると近くでザザッという草を擦るような音がした途端に後ろから僕の両手首が掴まれて後ろに回され、その拍子にスマホを落としてしまう。

 そしてあれよあれよの間に両腕が交差した形で何かで固定されてしまった。疑問符を浮かべながら後ろを見ようとしても背中で固定してしまっているので見えない。


「あ、あれ? これ、縛られてます?」

「まだ容疑段階で悪いと思ってるけどさ、仕事だし我慢してね」


 エルフの様な女性はそれだけ言うと剣を腰にある鞘に仕舞い傍に落ちているスマホを拾い上げる。


「……これなに?」


 綺麗な顔を一段としかめたエルフの様な女性は僕を一瞥したあとに僕の横に視線を向ける。その視線を追ってみると僕のすぐ横に小柄の方がいつの間にか来ていることに気付いた。

 足音らしい音は何もしなかった為か僕は存外驚いたが、エルフの様な女性は特に反応はしていないのを見るともしかしたらよくあることなのかもしれない。

 小柄の方はジッとスマホを見るが首を傾げる。


「知らんな。見た目は石板ではないな。石というよりも鉄に近いが片面は随分と磨かれているが、ガラスか? いや、最近の職人の腕が上がっているとはいえここまでの物は無かったな。うーむ」


 小柄の方は興味深そうにスマホを手に取って品定めをするように見て唸っていると、エルフの様な女性が身を屈めて耳打ちしてくる。


「あれ、なんなの?」


 そう聞かれたのだが、どう説明すればいいか分からない、いきなり「これは神器で、僕は神様に選ばれました」みたいな頭が伽藍洞な言葉を発したら絶対に良い事なんて起きない。白い目をされて縛られたまま放置、最悪その場で介錯されてしまうかもしれない。

 ただ黙ったままもそれはそれで危ういかもしれない。少なくとも小柄の方はこちらを怪しんでいるしエルフの様な女性は小柄の方の方針を優先しているようだった。沈黙を貫いた末に「喋らないならいいや」となって介錯もあり得るかもしれない。口は災いの元として黙るか、雄弁は銀として話すか、いいや、どちらが正解か分からないのでおかしくならない範囲で言葉を濁す方のがいいかもしれない。

 意を決してエルフの様な女性に耳打ちする。


「あ、あれはちょっとした便利アイテムなんですよ」

「へぇ」


 エルフの様な女性はきらりと目を光らせる。

 これは口は災いの元だった。もう少し当たり障りのない事を言えばよかった。例えばどこかの誰かとお話ができるとか、いやこれももしかしたらやばいかもしれない。

 そこであれ? と思う。ここに居る二人の言葉が分かるのだ。正確には日本語で聞こえるのだ。もしかしたらあのヘンテコネームの翻訳アプリはちゃんと機能しているのかもしれなかったが、何かで縛られているせいで確かめようもない。例え手に転移させられるとしても見えないのだから意味が……あ、あった。

 そうだ、非手動操作だ。これを使えば翻訳アプリのオンオフを確認できる。

 音声認証以外にも念じることでもとか、試してみよう。

 そう決めたところで嫌な笑みを浮かべたエルフの様な女性は顔を鼻が付かんばかりに近づけてきた。


「で、どんなアイテムなのよ? ホラホラお姉さんに言ってみ?」


 僕は反射的に顔を引いた。金髪と年上っぽい女性ということで何処か姉を連想させるのだ。こっちの方が美人だけれど。

 ニマニマしながらズイズイ寄ってくるエルフの様な女性に未だに品定めをするようにスマホを見回しているがいさめるような低い声を出した。


「何がお姉さんだ。今50以下だろ、今の年齢はモート族換算だと15歳くらいのはずだ。まだまだガキンチョだ」

「……それでも実際の年齢は貴方よりは年上よ~。リーダーとはいえ年上に敬意を見せなさいよ」


 小柄の方の言葉に地雷があったのか、エルフの様な女性は青筋を立てて喧嘩口調になる。

 そこから年齢についての言い争いが始まってしまった。

 そうだ、今のうちに念じよう。隙と思い翻訳オフと念じるが言い争いの言葉に一向に変化が見られない。

 念じるってただ単に思考するだけではダメらしい。どうすれば念じるという判定になるのだろうか。

 しばらく思案しても分からなかったので仕方ないと声で言うことにした。


「翻訳オフ」


 その言葉に二人の口論はピタリと止まる。

 すると。


「□□□、□□□□□□?」


 小柄の方が何か言ったが、分からない。聞きなれない言葉を言ったのだ。そこで気づいたのだが、口の動きが明らかに日本語ではない。もう少し早く気付けばよかったが気を落としている時間はないし、翻訳を停止していると会話ができないので翻訳を再起動させる。


「翻訳オン」

「……? なに言ってるのよ?」


 音声が届いたのかエルフの様な女性の困惑した声がちゃんと翻訳されていた。

 恐らく翻訳されていない言葉を聞いて二人とも困惑しているような表情をしている。

 そして最初に動いたのは小柄の方だった。


「やっぱり怪しいな、役所に突き出すか、殺すか」


 いきなり物騒な提案が出されたが、エルフの様な女性はいやと否定する。


「さっきの女性の大声も気になるし、こいつも滅茶苦茶怪しいけども、でもこの格好からして奴らっぽくないし、もしかしたら遭難者かも」

「怪しさが足生やした上に自分が怪しいですっていう看板ぶら下げて歩いているようなこいつが?」


 そう言葉を交わした二人はこちらを見る。

 酷い言われようだが、実際に自分の恰好を見てみると元の世界で出かけたシャツにジーパンというラフな姿で、よくよく考えてみると森に入る格好じゃない。確かに怪しいし、多分立場が逆だったら確かに縛っていたかもしれない。

 しかし、二人は会話をやめてこちらを見たという事は多少言葉を交わせるかもしれない。

 ここから会話をして好感的な興味を引けばもしかしたらちゃんと意見交換くらいはできるかもしれない。


「あの――」


 僕が話しかけようとしたところ、キリンキリーン、という音が響いた。

 その音は鈴の音のようにも聞こえたが、何かと言えば風鈴に近い音色だった。

 そうすると小柄の方が懐から何かを出した。

 それは一見すると勾玉のような形状をした半透明の虹色をした綺麗な装飾品だった。ガラスというよりも宝石と言った方が正しいような気さえする。


「ああ、集合ね。で、こいつどうするの?」


 エルフの様な女性はその勾玉を見ながらそう言った。

 小柄の方はしょうがないという風に肩をすくめて、スマホをまるでカードのようにひらひらと仰ぐ。


「関与の可能性もある、それと同時にお前の意見から遭難者の可能性もある。放ってはおけまい。連れて帰るぞ」

「はいはい。はいはい立って立って」


 エルフの様な女性に諭されて僕はなんとか立ち上がると背中を強く押される。

 小柄の方が先頭に立って茂みを掻き分けていっているのをエルフの様な女性に背中を押されながらついて行く。

 ……そういえば、会話に一回か二回ほど出てきた女性の大声ってもしかしてガイド音声なのでは、あの音声が無ければ縛られて連行されることもなかったのでは。

 そもそも、ここに来る際の女神の「ヤベッ」はもしかして本当は森に来るはずではなかったのでは。

 僕は現在の原因を考えれば考える程落ち込んでいく。

 そんな僕の様子にエルフの様な女性は何を思ったのか後ろから「取って食ったりしないから」と肩を優しく叩いた。

 それならこの縛っている物を外してほしいものである。

 それから僕は何事もなく森を出たのだった。

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