1


 買い物から帰宅し、自室の扉を開いて部屋に入った後に閉める。

 そのままベットに寝っ転がるだけ、のはずだった。


「やあ少年」


 そう言ったのは自分と年齢が大差ない少女だった。その見知らぬ少女はなぜ部屋にいるのか分からなかったが、そんなことが吹き飛ぶような容貌をしていた。まるで空の様な色の髪の毛は着色特有のノッペリとした質感はなく鮮やかで綺麗で、来ている服はフリルをあしらった赤いワンピース。その顔立ちは整っており、顔のパーツもキレが鋭く無駄がなく、その瞳は金色のように見える。

 なんだかギラギラした目に悪いようにも思える美少女がいたのだが、この時初めて僕は人に対して綺麗という感情が湧いた。

 もしかしたら初恋とか一目惚れとか言うのかもしれなかったが、そんな言葉は浮かんでこなかった。

 少女はベットの前に仁王立ちして何やら自信満々そうな笑みを浮かべている。


「どちら様でしょう?」


 僕は恐る恐る聞くが少女は聞こえていないのか無視したのか、おもむろに右手を上げ中指と親指を合わせて弾く。

 パチンという最近聞かない癖になる音が響くと風景が変わる。

 僕の部屋よりも何倍も大きい部屋に瞬きをするまでもなく変わり果てた。

 僕は急激な環境の変化に狼狽していると、少女が声高に叫ぶ。


「君は私が作った素晴らしい神器のテスターに選ばれた! 私が管理する世界に行き、神器と共に新たな人生を歩むがいい!

 あ、拒否権はないから」


 そんな意味不明なことを言われた僕は只々目を瞬いた。


「あ、あの、それはどういう事でしょうか?」


 疑問符が頭を侵食する。

 目の前の少女は一体? ここはどこ? 僕の部屋は? さっき言われたことは?

 グルグルする思考は止まらない。

 僕の様子を見た少女が何かを察したようにまあ座れ座れと諭してくる。

 言われるままにその場に座ると少女との間に四角いテーブルが出現する。その上にテーブルには湯気の立つ紅茶の様なものが入ったマグカップが置かれていた。

 目の前で起こる不可解な現象の数々に目を丸くしていると、少女は自分の頭をトントンと両手の人差し指で額を叩く。


「うん、そうだな、君の世界を基準に説明すると、あれだ。

 異世界転生? いや君は健在だから異世界召喚? 違うな、別にあっちの世界から呼び込むわけじゃないから単純に異世界転移だろうな。うん。

 喜べ少年。君は若者大好き異世界転移が出来るぞ」

「え」


 ほほが引きつるのが自分でも分かった。

 回る思考が止まり、一つの感情が浮かぶ。

 胡散臭い。というかこちらの質問に一向に答えてくれない。

 疑心たっぷりな僕と対照的に少女は興奮しているのか頬を赤らめて笑みを浮かべていた。

「ま、なんだ。詳しい話はお茶でも飲みながらしようか。

 あ、茶菓子も必要だな、甘いのがいい? 塩っ気の方がいい? 両方置けばいいか」


 そう少女が言うとテーブルには煎餅や柿の種、バームクーヘンや麩菓子といった色々なお菓子が積まれた木皿が出現した。

 いったいどういう原理だ? 僕は非常に戸惑っている。紅茶の様なものもそうだが、今自分の置かれている状況を正確に把握していない。

 僕は何が何やら分からずテーブルの下を覗いたり、テーブルの上を撫でたりして目の前の出来事だけでも知ろうと動いていると、少女はケタケタと笑う。


「何やら思う事もあるかもしれないが、茶や菓子は今作ったものだ。それも君が理解できる範疇でもないから探りは無駄だよ」


 そういわれた僕は自分のやっていることを見通されていることを理解した。

 恥ずかしい。とそう思ったのと同時に再度今について考える。今の出来事もそうだが不可解なことが多すぎる。と思考を始めようとして、

 ――いや、目の前の少女は詳しい話をすると言っていた。聞いた方が早いかも。

 ふと、そう思いつきワザとらしい咳ばらいをして少女に質問を投げかけることにした。


「あの、質問をしても?」


 少女はピタリと動きを止める。

 そしてわざとらしく何度か頷くとさっさと言ってみたまえと煽ってきた。

 僕は意を決して息を吸う。


「ここはどこですか?」

「質問の基本よな。簡単に言うと神様の住んでいる場所だな。高天原とか、天界とか、そんな場所と思ってくれて構わない」


 そんなことを言われて僕は更なる混乱が脳を掻き回す。

 神様が住んでいるところ? たかまなんちゃら? どういうこと? ドッキリ?

 絡まる思考は渦を巻く。只々困惑がひたすらに意識を揺らす。

 僕はこういう突然神を名乗る変な人物と出会う事なんて想定していなかった。というかそんな変態がこの世にいるなんて世も末だと思うし、何よりも小学生でも考えないようなことをやる馬鹿がいるなんて思いたくなかった。

 だから一しきり混乱の後に僕はこう言う他なかった。


「頭大丈夫ですか?」


 そういうと少女は一度、二度頷いて、ややあってこちらを見やると。


「その発想はなかったな!」


 と満面の笑みを見せつけてきた。

 少女は間髪入れずにまくし立てるように話し出した。


「いやあすまない。君の世界の電子機器をシミュレートするのが楽しくてそれに似た神器を作ってしまってね! 急ごしらえだが中々の出来に大分舞い上がって神器の適合者を因果を破って呼び寄せてしまった! ありていに言えばどうかしていたな! だが済まない少年! 因果から切り離された以上君はおいそれと元の世界に戻れないんだ! 何せ因果はその存在の在り方だからね! 君と一緒に根っこから無くなってしまっている! いやあ本当にすまないことをした! いやでも神器はデザインからして君のような若者に大人気なはずだよ! シンプルだがそれが良いと君は泣いて喜ぶはずだ! さあ! サア! ご覧あれ!」


 とてつもない早口で唾を飛ばしながら話した少女は背の方に右手を回したかと思うと素早く何かを掴んで僕の目の前に突き出した。

 それは1cmにも満たない厚さの薄い板、片面は非常に滑らかで艶やかな綺麗さを持つ表面を見せておりその光沢は指触りが心地よい事をアピールしている。もう片面は艶こそないものの灰色の配色は無骨さと頑丈さをアピールし、その中央に沿ったところにはレンズとスピーカーの様なものが見られる。その板は手のひらサイズに収まる大きさで、片手で持った時に親指や人差し指で操作できそうなボタンが左右についている。それはまるで手の中で完結することを目指したようなスタイルだった。

 ……っていうか。


「スマホだこれ」


 どこからどう見てもスマートフォン、通称スマホという誰でも知っている一般普及携帯機器だった。

 神器とか聞いていたからてっきり聖剣! 魔剣! 魔法のなんかすごい奴!

 そんな想像が過ったのだけれど、電子機器云々という事からも期待から大きく離れていた。


「なんだなんだ。しょぼくれた顔しちゃってまあ」

「だって、これ、スマホじゃん。スマホじゃん」


 僕は目の前に突きつけられているそれを見ながらぼそぼそと言う。

 それもそのはず、文字通りのただの携帯機器。パッと見は間違いなく変形とかビームが出そうだとかそういうもの部品が一切ない。どこからどう見てもスマホなのだ。

 恐る恐る受け取ってみても変な部分は見当たらない。

 それどころか触れば触るほどスマホだ。

 これを使って何をしようと言うのか。一つずつ確認せねばならない。


「あの……」

「お? なんだなんだ? また質問かい? いやしんぼめ。どうぞどうぞ!」


 スマホを机に起きつつ声を掛けた僕に意気揚々とした口調で少女は叫ぶ。少しは声を抑えて欲しい。


「えっと、神器やらなんやらで疑問なのですが貴女は何者ですか?」


 少し声が振るえたかもしれないがちゃんと言えた。

 その質問に少女は手のひらをワザとらしくポンと拳で叩く。

 いいねぇと言いながら指を指してくる様は本当に癪に障る。


「まあ色々省きすぎたね、一つ一つ質疑をしようか、で最初の答えとして私はあれだ、神様とかそういうものと思ってくれて構わない。その方がやり易いだろう? この身なりだから女神ちゃんって呼んでもいいよ」


 突拍子も無い事を言う。神様? 女神? そんな空想上の存在を提示されて納得できると思うのか?

 そう考えて、スッと頭が冷える。

 そういえば、目の前のテーブルはどこから来た? お菓子は? お茶は?

 それに彼女はこう言っていた。神様の住んでいる場所、と。つまり目の前にいる少女の正体は神であり目の前に色々出てくる現象は神様の力で、この場所は神様のいる世界という事になる。

 確かに信じがたいが、否定材料がないという事もまた確かだ、が。

 なぜ僕はここにいる。

 さっき早口であれこれ言っていたのだが、よく分からなかった。というより聞き取れなかった。


「え、えっと呼び方はさておいて、二つ目の質問です」

「女神ちゃんって呼んでほしいのに~」

「……いいですか?」

「どうぞ」


 咳ばらいを一つ。

 今度は出来るだけ少女、いや女神(自称)と正面を向かい合うように視線を合わせる。


「僕がここに来た理由を出来るだけ簡単に教えてください」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「言っているかどうかよりも理解できませんでした」


 それと早口で聞き取れなかった。

 それを聞いた女神は分かりやすくか~、と唸りながら首を傾げていく。

 女神の首が直角90度に傾くくらいでピタリと止まり、首の角度を戻す。

 というか人間の首って直角に曲がらないよな。こわい。


「分かりやすくは保証しないが人間の言語内であることは保証しよう。それでいいかい?」


 それに関しては頷くしかない。いきなり人間の言葉か疑わしい言葉で話されても困る。


「お願いします」

「このスマホは私が作った神器なんだけどね。試験運用がしたいのだけれど神器は人に与える神の現身。それを神様が使っちゃ意味かない、というよりも正常かどうかがわからないの。ここまではいい?」


 僕が頷くと、女神はスマホを指でつつきながら話を続ける。


「で、人間に渡して試してってなるんだけど神器って言うのは波長、まあ適正の様なものがあってね、でも誰でもいいわけじゃないの。そこで、色んな世界に検索を掛けたら、貴方がヒットしたの」


 女神はつついていた指で器用にスマホを引っ掛けて手に持ち、スマホを僕に突きつけた。女神は持てと言わんばかりにスマホを躍らせる。

 その目の前で踊るスマホを僕は返答しながら受け取る。


「僕じゃないと駄目だったんですか?」

「そうよ。色々わけはあるけど、あの時の、炭酸飲料を買った帰りの時の貴方じゃなきゃ駄目だった」


 妙な言い方だった。まるでその時よりも前や後では駄目だと言っているように聞こえる。いやそう言っている。

 それは一体――。


「――なぜ?」

「なぜ、とは?」

「なぜあの時の僕じゃないと駄目だったんですか?」


 女神はその言葉に不敵な笑みを浮かべる。


「……は?」


 何を言っているのか分からなかった。

 ただ、その女神、その少女の笑みは何かを、全てを知っていて黙っているとは分かった。

 でもそれは僕が知らない表情だった。似たような顔は見たことがある。

 他人を出し抜こうとしたり蹴落とそうとする為に黙っている表情に、似ている。でもそれとは似ても似つかないような気がした。笑みから見える色が、違う気がする。


「……えっと、女神、さま? それは一体、どういうことですか?」


 僕の言葉に笑みを絶やさない。答えは言わない、という意志だけは伝わってくる。

 しばらくにらめっこをしたのだが、埒が明かないので諦める。本当にこの人の言う通りならきっとわかるのかもしれないが、でも。


「……まあ、それはいいです。でも、僕はやめます辞退します。家も学校もありますし」

「あー、拒否権はないってことは大分最初の方に言ったと思うけど、一応の理由も一緒に」


 そう言っていた気がする。小難しい事も一緒に。

 でも。


「それでも僕は元の世界に――」

「帰ってどうするの?」


 言葉が止まる。遮られたからではない。単純にその先が出てこない。

 頭を回転させて言葉を絞る。


「両親がいるし」

「君はその両親に未練があるのかい?」


 恩義、はある。育ててくれた恩義は確かにある。

 それはきっと未練。


「本当に両親が未練?」

「……っ、み、未練です!」


 言葉につまる。

 あの仕事に生真面目で何をするにも口出しをしてくる両親。単なる指摘ならいいが、こうしろああしろと、今まで自分で何かをやることが出来ただろうか、あの灰色の両親に本当に対する恩義は未練になるのか?

 ならない、かもしれない。でも。


「姉もいます」

「最近、まともに会ってすらないのに?」


 逆にそれが気がかりだ、とは思う。でも、一度変わった姉を見ることはある。流行りなのかイマイチ分からないギンギラの頭のサバサバとは程遠い姿を。

 仲が良かったころの面影の無い、何を考えているか分からない姉を。

 あの見た目だけの灰色の姉への思いは、未練か?

 分からない。未だにわからない。


「ははっ」


 考える僕に女神は軽快な笑い声を放った。


「君は詐欺師に騙されそうだね。いや、悪徳新興宗教に入りそうと言った方が説得力あるかな」

「酷い言い方ですね」

「実際そうだろう? で、君は家族をどう思っているんだい? 問題から逃げる為の材料かい?」


 煽られている。でも答えは出ない。只々思考が回るだけ。

 僕が考え込んで俯きかけた時、女神は言う。さっきまでの明るい口調とは違う。

 内臓が凍るような声で。


「その程度ってことだよ」


 それに僕は反射的にでもと口にする。

 女神は変わらない。冷たいまま。

 僕は喉から腹が冷えるような感覚に襲われる。


「違わないんだよ。君のそれは決して天秤にかけている訳じゃない。そこで悩むのはただ単に判断材料がないってだけなんだよ。

 普通の人はね、家族で煽られた時に怒るものなんだよ?」


 違うとは言えなかった。それだけじゃあ足りない。

 頭を回す。反論を探す。足りない。なにが?


「君は知らない。。そして、それは決してあの家族と一緒じゃあ、あの世界じゃあ気付くことなく


 意味が分からない。何かが僕に引っかかる。

 女神はただ僕を見つめる。そして僕の手にあるスマホを指さす。


「君はそれに選ばれた。どの並行世界でもない。あの時の、今の君でなければならないと神器それは判断して、君を選んだ。偶然じゃない。だから君は戻るべきではない。もっともっと知るべきだ。君の知らない色鮮やかな世界というものをね」

「僕はなにも知らないということ?」


 女神はかぶりを振る。


「そうじゃない。そうじゃないんだよ少年。君はこれから様々なものを見ていくだろう体験するだろう。その最も足るものは君は知っている。でも、それをどう見るのかは君が答えを出さなければいけない。だから」


 女神は笑みを浮かべる。

 どこか胡散臭い優しそうな笑みを。


「君は今までできなかった答え探しをするべきだ。その為の神器だ」

「……それが僕である理由ですか」


 だいぶ仰々しい言い方だったが、神器が僕を選んで、その理由が僕が今まで出さなかったその答えとやらに行きつく事が一致している。

 そういうことだろうけど。


「やっぱりよくわかりません」

「ええ、カッコよく説得したのにぃ?」

「はい」


 僕は頷く。

 まだ納得はしていない。理解しているかも怪しい。

 だからこそ、

 目の前にいる女神を名乗る存在の言う答えがなんであるかを。

 ただの好奇心だけの不純な気持ちだけで決める。

 なんて適当な決断なんだろう。

 覚悟なんてない。いや覚悟というものを正しく理解できているのかも分からない。

 だから。


「行ってみます。異世界に」

「あれ? いくの?」

「はい」


 ややあって女神は肩をすくめる。


「さっきも言ったけど、君は色んなものを見るだろう。色んなものを体験するだろう。だからこそ君だけの物語を描かれる。それはきっと君の大切なものになるよ。

 保桝鏡太郎ほますきょうたろうくん」

「あ、名前知ってたんですね」

「当然!」


 女神はそう言うと手のひらをこちらにかざす。すると僕の体の周囲の光の粒がまるで飛沫のように現れる。


「さて、強引ではあれ了承したからね。無理やりでもやる予定ではあったけど」


 一言多い。でもさっきの女神の問いかけは意味はあったと思う。

 女神から言わせれば僕が答えを出すのだろうけれど。それでも意味はあっただろう。


「それじゃあ異世界に送るよ。あ、スマホはガイドが入ってるから安心してね。初心者に優しいのは開発者としての義務です。ってね」


 そう言ってウインクをする姿は確かに神様と言える美しさを持っていた。

 光が増していく。先ほど手に持ったスマホを見る。

 これからどうなるんだろうか。考える程に不安が募るが、だからこそ好奇心が出る。

 強く、強くスマホを握りしめる。

 光が僕を完全に包み込もうとする。

 そのとき、


「それじゃあ、君の人生に幸――あ、ヤベッ間違え」

「ん?」


 何か不穏な声を聞いて僕の意識はホワイトアウトした。

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