第27話 破産
人生とは落ちるときは、坂道を転がるように早い。
止まっていた仕掛かり工事が、正式に取りやめが決まった。大手取引先たちが、我が社を虫けらのように見捨てたのだ。工場の従業員のほとんどを解雇をせざるを得なかった。税務署から税金滞納の差押えの通知が届き、取引のある銀行は、すべて預金を相殺し、期限の利益を喪失させた。会社での死刑宣告を受けた。
そして、風見が失踪した。
頼るものも金もなくなった私は、昔馴染みの弁護士である磯山に相談するしかなくなった。
「赤海さん、残念だが、もう手遅れだ。破産するしかないよ。これだけ大掛かりな粉飾決算をやっちゃってるから、借入金も膨らんでいる。銀行だけでなく、闇金まがりのものからも借りている。やつらは何をするかわからんよ。それも、粉飾においての悪質性が高いから、経営責任を追及される可能性もある。借入の保証人にも入っているから、ご自身も自己破産を覚悟しなきゃいけないよ。」
「そうですか。たくさんの人に迷惑をかけますが、さすがにもう無理です。知らないうちに、ここまで経営がひどくなってるとは。」
「なんで、ここまでひどくなる前に、相談しなかったんだ。昔からの付き合いじゃないか。水臭いぞ。通帳をみたけど、会社の預金の動きがどうもおかしい。赤海さん、あなたは気づいてたのか?」
「いえ、経理の風見にすべてを任せていたので。実際の金の動きは、よくわからないんです。」
「その風見さんとやらは?」
「それが、風見は急に出社しなくなりまして……連絡もつかない状況なのです。」
「社長、言いにくいことなんだが、その風見という男に騙されたようだね。」
「えっ!?」
「ここと、ここを見てみろよ。これ、完全にやられているよ。」
磯山の話では、会社の通帳を精査した結果、5億以上の金が不正に引き出されていた。しかも、私の知らないところで、あちこちから法人名義で借入をしていることも分かった。確かに、本業における私の失敗も大きいが、風見の横領がとどめとなった。
H社は倒産した。華々しくベンチャー大賞をとった会社が、これほどまでに大型の粉飾に手を染めた。そのため、話題の倒産事件としてマスコミに面白おかしく取り上げられた。磯山からの勧めもあり、風見を横領として告訴した。風見は全国を逃げまわったようだが、ついに逮捕された。いくつもの会社に粉飾をさせては、銀行から金を騙し取り、横領を繰り返ししたようだった。捕まった風見は、なにに使ったのかはわからないが、一文なしだった。私は完全に騙された。
そんな私も、自己破産をしたため、すべてを失った。周りからは、粉飾した犯罪者としてみられた。嫌がらせとして、動物の死骸を投げ込まれた。自宅も競売となり、今の場所には住んでいられなくなった。長年、苦労をともにしてきた妻も、私に愛想を尽かし、逃げていった。
この国は、破産者には厳しい。世間からの目を避けてのその日暮らし。なにが悪かったのかと頭の中で繰り返す余生。何度、死のうと思ったかは分からない。暗闇で、目を閉じると、「お前は落伍者だ」と罵る声、笑い声が入り混じる。悔しくて、悔しくて死に切れない。私は世界を救うために、それこそすべてを犠牲にしてきたんだ。なにが悪い。それよりも、受け入れなかったこの世の中が悪いのではないか?大手会社も利益だけを追求して手のひら返し。政治家も自分の損得しか考えない馬鹿ばかり。このまま野垂れ死ぬのはまっぴらだ。
私の人生の結晶であった「高性能水処理プラント」の特許も二足三文で、売却されることが決まった。換金性のあるものは、すべて清算し債権者に還元するためだ。特許の売却先は、新興市場に上場したばかりのR社という会社だった。R社の社長である金川という男は、利益至上主義で、金になりそうな会社や特許を買い集めていることで、業界ではハイエナと呼ばれていた。そんな金の亡者ともいうべき奴に、私の人生の結晶を奪われたのだ。絶対に、金をかき集めて、取り返さなければならない。どんな手を使っても。生きることを諦めかけた私にも、生きる理由と目標ができた。金が欲しい。それも、中途半端な小金ではなく、誰もが平伏す圧倒的な金だ。
破産手続きも最終局面に差し掛かり、磯山の事務所を訪れた。こじんまりとした事務所に置かれたテレビでは、三流芸能人の実子騒動だとかで騒いでいる。その三流が言うには、生まれた時から自分の顔に似てなかったとか、法廷や遺伝子検査ではっきりさせてやるとか言っている。マスコミもそこまで興味がないくせに、この話題を面白おかしく煽っている。
「それにしても、真昼間からくだらねえな。これは、女が完全に嘘をついているね。遺伝子検査をしなくても、おれには分かる。弁護士を舐めんなって。」
「そういうものですかね。それにしても、遺伝子検査ってものが一般的になれば、もう、嘘はつけない時代になりますね。」
「そんなわけないだろう。遺伝子なんて、実際に目に見えないものをなぜ信じるんだ。検査をするのは人間だろう。人間がやるんなら、間違いは起きるだろうし、意図して悪いことする奴は必ずいるって。世の中の隙間をみて、上手くやる悪い奴らはいっぱいいるんだ。この商売をしていると、性根が腐った悪党を何人もみてきたよ。」
「なるほど、たしかに、遺伝子なんて誰もこの目で見たことありませんしね。それを、信じてしまう。やはり、人間はやっぱり愚かな生き物なのかもしれないですね。」
「赤海さんも、今回の件で痛い目を味わったからな。世の中、いい奴ばかりではない。どうしようもない奴がたくさんいるってことだ。だから、私の仕事がある。そうだ。あんた、当分定職に就けないだろう。うちで少し手伝いをしてくれないか?この事務所なんて、実質、俺一人でやってるだろ。もう歳だし大変なんだわ。ちゃんと、給料も払うから頼む。」
今の私を受け入れてくれるところなど、どこにもないだろう。まずは、人並みに食っていける収入源がいる。それに、何度かこの事務所に通ったが、弁護士の周りにはどことなく金の匂いがする。磯山とは昔からの付き合いだが、人を信じ過ぎて、甘いところがある。ここにいれば、そのうちこの腐った人生から浮上する機会がくるかも知れない。いまは、この流れに大人しく従うことにした。
与えられた仕事は、なんの面白みのない雑務だった。弁護士資格がないので、法律相談には当然乗れず、用務員のおっさんとして働いた。たまに、磯山が忙しい時は、法律相談の前さばきとして雑談程度はやった。思ったよりも、この世の中はくだらないことで、悩んでいる奴が多い。それはそれで滑稽で面白い。いかにも、親身なったような顔で相談を聞いてやった。
「お待たせしました。先生の先客が長引いておりまして、よろしければ、ご相談の内容を、この紙に書いてもらえないでしょうか?」
そういって、見るからにケツの軽そうな女に、法律相談シートを手渡した。
「これで、いいかしら。」
相談シートを見ると、知能指数の低そうなアニメ文字、しかも、ひらがなで、『ふりん』と書かれている。懸命に若作りをして誤魔化してはいるが、30歳を超えていた。
「慰謝料と養育費のご相談ですね。」
「そうそう。あの男、絶対に許さない。奥さんと別れると言ったくせに。わたし、あの人の子供を産んだのよ。あとで、迎えにいくとか、都合の良いことを言って。あれは冗談だ。迎えには行けないだなんて、無責任にすぎるわよ。絶対に慰謝料と養育費をいっぱい分捕ってやる。だから、あんた頼むわよ。」
自分が不倫をしといて、慰謝料はないだろう。むしろ、向こうの奥さんから訴えられるほうだ。
「それは、大変ですね。先ほど、テレビでも不倫問題についてやっていましたよ。その芸能人は、遺伝子検査をやるって言ってました。」
「遺伝子検査?なにそれ。」
「わたしもよく分からないのですが、本当の親子かどうかで揉めていて、遺伝子検査で白黒つけるっていうことらしいですよ。いわゆるDNA判定ですね。科学的なもので証明されると確実なんで、言い訳できないですもんね。」
「なるほど。それはいいことを聞いたわ。あの人、本当にこの子はわたしの子かと言うのよ。その遺伝子検査の結果とかで突きつけてやればいいのよね。これが動かぬ証拠だ。もう逃げられないわよと。ついでに、それを奥さんにも送ってやる。」
「それは、面白い。その男の人はもう逃げられなくなる。養育費は払わざるを得ないですもんね。遺伝子検査はそんなに高くないみたいだし、やってみてくださいよ。あなたのご武運をお祈りしてます。」
「ありがとう。それにしても、おたくの先生は、まだ時間がかかるのかしら。遅いわね。まぁ、いいわ。もう、仕事に行かなくちゃ。また、あたらめてくることにするわ。あなた、赤海さんというのね。また、動きがあった、相談にくるから、そんときはよろしく。」
そういうと、せっかちな女は、事務所を出て行った。これから、夜の仕事にでも、行くのだろう。とにかく、人に嫌悪感を与えるくらいのどきつい香水が臭かった。不倫した男がどんなやつかは知らないが、こんな女のどこがいいのだろうと思った。
女が帰ってから約1時間後に、磯山が疲れた顔をして、応接室から出てきた。
「赤海さん、先客が長引いて悪かったね。あそこの社長は話が長くて、ほんと疲れるわ。どうでもいいことを何度も何度も。あ、電話で受けた法律相談の人は、もう帰ったのかな?で、どんな相談内容だった。」
「もう、帰りました。少し話を聞きましたが、不倫の相談らしいです。詳しくは、この相談シートに書かれています。また、来ると言ってました。」
疲れきった磯山の顔が、一層疲れた顔になった。
「なんだ。不倫か。無理無理。悪いけど、上手いことを言って断ってくれないかな。弁護士にも、得意、不得意分野があってね。僕は企業法務なんだよ。離婚なんて、僕の性分には合わなくてね。そんなくだらない話を聞くだけでうんざりするから、最初からやらないんだわ。もし、どうしてもというならば、離婚に強い知り合いの弁護士を紹介するとでも言っておいて。な、頼むよ。」
「弁護士にも、専門があるんですね。わかりました。もし、私の方に連絡ありましたら、断っておきます。ご心配なく。」
磯山は、昔から格好をつけるところがある。社会的に弱いものの味方だと信念を曲げないとか。この事務所に入ってわかったが、金のならない仕事ばかりをやりたがる。そんなものが何になるっていうんだ。実にくだらない。もっと稼げる立場にもかかわらず、それが歯がゆい。
数ヶ月、忘れた頃に、あの女がやってきた。
「あの、この前相談したものですが。磯山先生に至急相談があって。」
「あ、先生はあいにく不在で。」
「あら、この前、話を聞いてくれた赤海さんかしら。ちょうどよかったわ。ちょっと聞いてよ。あなたの言う通り、遺伝子検査というものをしてみたのよ。それがさ、困ったことにあの人の子供じゃなかったのよ。」
「え、じゃあ、誰の子供なんですか?」
「それが、私も全然わかんないのよ。あん時のあいつかなぁ。」
「あん時のと言われましても。でも、それでは、前に言っていた男性には、慰謝料も養育費とか請求できませんね。」
「それじゃあ、困るのよ。あの人は、社会的地位もあるし、金も持ってる。あいつから、お金を踏んだくれると計算したから、子供を産んで育てることを決めたの。これじゃあ、私の人生めちゃくちゃだわ。あなたが遺伝子検査を受けろっていったんじゃない。先生に頼んでなんとかしてよ。」
「なんとかと言われても。そりゃ、無茶苦茶ですよ。それも、磯山先生は離婚専門ではないので、この手の相談は断るように言われてるしね。第一、その人の子供じゃないんでしょ。そんなんで、その男の人に養育費を請求したら、あなた自身が詐欺になりますよ。」
「あはは、詐欺ですって。笑わせてくれるわね。いいわよ。どうせ、これからの生活費もほとんどないし。あの子を施設にやって、私は一人寂しく刑務所でもいくわ。でも、あの男にはどうしても復讐してやりたいのよ。赤海さん、なんとかしてよ。」
面白くなってきた。この退屈な毎日にも飽きてきたところだ。面白そうなおもちゃが、転がり込んできた。まずは、人を人生をぐちゃぐちゃにするのも楽しいのかもしれない。
この女のために考えるのではない。金をどうやって、むしり取れるかを考えるのだ。遺伝子は、実際に目に見えるものではない。その遺伝子検査が、本当は正しいのかどうかもわからないはずだ。ならば、私の思う通りに、相手をどうやって信じさせるかだ。
「そうですね。頭の固い磯山弁護士に相談しても、なにも出てこないですよ。私にいい考えがあります。だけど、ただではできない。その男から奪ったお金の30%を私にバックするのはどうでしょうか?いわゆる成功報酬としての見返りです。」
「なによ。いい考えって。あなたも、見かけによらず、相当お金に困ってるみたいね。いいわよ。その条件で。ただし、成功してからの後払いよ。いまは、本当に金がないから。」
女は乗ってきた。この女もどうしようもないところまで、追い詰められているのだろう。いいだろう。この女を使って、実験してみよう。
「わかりました。私もあなたと同じように失うものがないんです。だから、あなたのような素敵な女性を応援したくなる。それに、あなたも私もこんなところで終わる人間ではない。私事ですが、金をかき集めて、どうしても取り戻したいものがあるんです。だから、あなたが約束通り、金さえくれれば、あなたを救ってやる。」
「あなた、普段は大人しそうなおじいちゃんって感じだけど。なんか狂ってるわね。何者なの?でも、私は嫌いじゃないわ。あなたのいい考えとやらを、教えてちょうだい。」
「あなたは、相手の男性から唾液をもらって、遺伝子検査で親子判定をした。その遺伝子検査の結果では、その人とあなたの子供は、本当の親子ではないと判定されたのですね。その結果は、その人には伝えたのですか?」
「まだよ。彼から唾液をもらって、検査に出すとは言ってある。向こうも、科学的なものではっきりさせたいと言ったから。だけど、結果はまだ言ってない。私が直接申し込んだから、私宛に結果がきたのよ。それで、結果を見たら親子でないと書いてあるから、こうした困って来てるのよ。」
「そうですか。もう一つ質問です。向こうの相手さんは、社会的に地位も高いんでしたっけ?あなたとの関係については、彼の奥さんには知られているんですか?」
「そうよ。大手の会社の役員らしいわよ。彼の話だと、会社もすごく儲かっていて、羽振りは良さそうだった。私が勤めていたお客さんだったの。一番最初にお店にきた時にもらった名刺もあるわ。たぶん、奥さんには私の関係はバレていないと思う。」
やはり、夜の女か。向こうはただの遊びだったのだろう。そのちょっとした遊びで、人生を破滅させるなんて、ほんとばかな奴だ。
「それは、よかった。それならば、その遺伝子検査の結果を、親子が認められましたに変えればいいのです。私が細工してあげますよ。」
「え、あんた何言ってのよ。そんなのすぐにバレるに決まっているじゃない。絶対に無理。わたし、そんなに上手く言えないわよ。」
「大丈夫です。遺伝子なんて、ほんとにこの世の中にあるのかどうかも分からないじゃないですか?あなたは、遺伝子というものを、自分の目で見たことがありますか。堂々と作り替えた鑑定書をもって、養育費を請求すればいいのです。ただし、あなたが直接交渉したとしても、その紙だけでは信用しないかもしれないですね。向こうも社会的地位のある方、必ず抵抗してくるでしょう。」
「じゃあ、どうすればいいのよ。」
「そこで、私の出番です。あなたに依頼された弁護士として、私が交渉に行きましょう。あなたは、あえて来なくてもよい。弁護士の名刺とバッチも用意して、見事に役目を果たして見せますよ。彼は社会的地位もあって、家族もいる。守るものがある人間は弱いですよ。そこを攻めれば、きっと、私達は勝てる。あなたは、子供が成長するまで、養育費をもらうことができる。」
「あなたは、弁護士ではないよね。ほんとに、そんな事して大丈夫なの。それこそ、詐欺じゃない。バレたら、私たち二人ともまずいわよ。」
「先ほど言ったでしょ。私はすべてを失った人間ですから。今更、捕まったとしてもなにも怖くない。あなたはどうだ?あなたも、私と同じように失うものはないはずだ。なにを怖がる必要がある。それを超えられるかの覚悟だけが必要だ。家にはあんたの子供が、腹をすかせて待ってんだろ。その子を見殺しにするのか?私は気分屋なんでね。やるか、やらないか、今すぐ決めてくれ。」
「そうね。あなたが言う通り。このままじゃ、あの子を殺してしまうかもね。なんで、こんなことになったのかしら。私も、普通に結婚して、人並みに幸せになりたかったわ。」
「なに、言ってんだ。私はあなたに同情するつもりは一切ない。私が知りたいのは、私に金を払うかどうかってことだ。」
「あなた、本当に怖い人ね。分かったわ。あなたの賭けに乗るわ。絶対に、あの人から金を取ってきて。」
「了解しました。では、商談成立ということで。」
これが、私が手がけた第二の商売の始まりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます