第28話 破滅

「あなた、非常識でしょう。いきなり、勤務先に電話してくるなんて。」


 小声でそういうと、40歳前半の男は、顔を真っ赤にしながら席に着いた。身なりを見ると、エリート階段を駆け上がってきましたと言わんばかりの育ちの良さが垣間見える。


 日中にもかかわらず、この男を呼び出したホテルのラウンジには、人がごった返している。さてと、この男をじわじわと締め上げましょう。


「今日はご足労を頂きまして、ありがとうございます。私は彼女から依頼を受けました弁護士の磯山と言います。」


 そう言って、磯山と書かれた名刺を差し出した。昨日、磯山がいないのを見計らって、名刺を数枚拝借してきたものだ。磯山事務所は、商売っ気がないので、ホームページも何もない。絶対にバレるはずがない。


「それで。急に呼び出して、今日は何の用ですか?時間がないので、手短にお願いします。」


「わかりました。依頼人からの要望は、慰謝料と養育費です。具体的には、彼女はこの金額を求めています。ご了承を頂けますでしょうか?」


 この金額交渉で、私への報酬が変わってくる。当然ながら、世間一般の相場よりもだいぶふっかけてある。その金額をみて、明らかに男の表情が変わった。感情をむき出しにして、ぞんざいに書類を投げつけた。


「ぶさけるな。慰謝料も養育費も、1円も払うつもりはない。たしかに、彼女とは遊びでそういう関係になった。だが、子供までは知らんよ。あいつは、そこらへんに転がっているお水の女だ。あんな尻の軽い女、あたりかまわず、金のありそうな男とやってたんだろ。それを、いきなり子供ができました。勝手に産みました。それも、俺の子供だと言う。養育費を払えだって?そんなおかしいことはあるはずがない。同じ男ならば、その気持ちわかるだろう。」


「あなた方の色恋沙汰の興味はありません。私が聞きたいのは一つです。あなたは、彼女の子を自分の子供として、お認めにならないと言うことですね。」


「そうだ。絶対に認めない。」


 そりゃそうだ。逆に私がその立場になったら、そういうだろう。なぜ、身に覚えのない子供の金を出さなくてはいけないのかと。


 カバンから一枚の書類を、目の前の男に差し出した。私が事前に検査結果を書き換えておいた鑑定書だ。さぁ、あなたを追い詰めるとっておきの玩具だ。


「そうですか。お認めにならないですか。残念です。彼女は、あなたの態度に、深く傷つけられたと言っておりました。ここに、あなたとそのお子さんの遺伝子検査結果の鑑定書があります。あなたが唾液を採取して、彼女に渡したものの結果ですよ。じっくり、ご覧ください。」


 男の余裕のあった顔が、一瞬にして曇っていく。冷静に考えれば、この鑑定書が正しいかどうかを疑うべきなのに。今の彼に、冷静な判断を求める方が無理だ。社会的には成功者なんだろうが、人間なんて脆いものなんだろう。私は込み上げてくる笑いを必死にこらえた。


「う、嘘だろ。なんだ。この結果は。あ、あり得ない。あの女とやったのは、数えるくらいだぞ。」


「その数回で、彼女とあなたの間で、子供ができたということではないでしょうか。この鑑定書が物語っております。なにせ、遺伝子は嘘をつきませんから。それでも、あなたがお認めにならないならば、こちらにも考えがあります。」


「なんだ。考えとは?私も弁護士をつけるからな。徹底的に戦ってやる。」


 男は強がっているが、額には汗がびっしょりで、足が震えている。私は冷めたコーヒーを一口含んだ。


「それならばそれで結構です。しかし、あなたも不幸な方ですね。彼女が依頼した私は、この狭い業界ではそこそこ有名なのです。離婚関係の揉め事では、必ず勝つのでね。しかも、私は勝つためにはなんでもやる主義だ。手始めに何をしましょうか。そうですね。あなたのご自宅に、この遺伝子検査の結果をつけて内容証明を送りつけてやる。あと、同じ書類をあなたの会社にも送ってやる。ネットでもあなたの悪事を広げてあげますよ。もう書類は、出来上がってますので、明日には届くでしょう。楽しみにしていてください。」


「卑怯だろう。妻はなにも知らないんだぞ。それも、会社にも送るなんて。こんなの脅迫じゃないか。そんなことされたら、私の人生は、めちゃくちゃだ。と、とりあえず待ってくれ。」


 さすがに、男は感情を隠すことができなくなった。我を忘れて、机を叩いて怒りを見せたかと思ったら、目に涙を浮かべた。この人間が理性を失い狂っていく姿をみるのが、なんとも最高に楽しい。


「あんた、物事を頼む態度ではないな。何度も言うが、わたしは勝つためにはなんでもするんだよ。」


「も、申し訳ない。急にお金を要求されても、すぐには。す、数日間、私に時間をください。そ、それまでにご返答を。」


 男は先ほどの勢いが嘘かのように、必死に、机に頭を擦り付けている。私の顔をまともに見れないのか、そのままうずくまってしまった。


「あなたは、誤解してますね。私は今この場で返答をしろと言っているのだ。つまり、我々の要求している金を払うのか払わないのかを。あなたの返答次第で、私はこの場でうちの事務所に電話を入れる。そしたら、うちの事務員が内容証明を持って、今すぐ郵便局へ行くだろう。あなたが、弁護士をたてて私たちと争おうが、どちらでも良い。なぜならば、我々には絶対に負けない証拠を持っているからだ。それが、この鑑定書だ。この鑑定書はあなたと子供の血が繋がっていることを証明している。子供は成長が早い。どんどん、お前の顔に似てくるぞ。遺伝子がそうさせるのだ。では、内容証明が届くと思うので、楽しみにしていてください。それでは。」


 私はそう捨て台詞を残して、机の伝票をとり、席を立とうとした。男が、必死に私の腕を掴んだ。


「ま、まってください。そんなことされたら、私の人生はめちゃくちゃだ。頼む。」


「往生際が悪いな。さっきまでの勢いはどうした。私と徹底的に戦うんだろう。いいか。話を続けてやろうか。内容証明が、あなたの職場と家庭に届く。仮の話だが、あなたは無実だと証明し、私たちに勝ったとしよう。だが、それには相当の時間と金がかかる。それも、あなたの上司、会社、奥さんは、なにもありませんでしたと許してくれるかな。奥さんも、会社もそんなに優しくないさ。内容証明が届いた時点で、あなたのこれまでの生活は、一瞬にして終わる。それで、本当にいいのか?あなたの懐事情は知らない。金がないのならば、どっか闇金に行ってでも、さっさと借りてこい。」


「わ、わかりました。金を払う。だから、それだけは勘弁してください。なんとか、お願いします。」


 やはり落ちた。守るべきもの、大切なものを持っている奴ほど、人は逆に弱くなってしまう。


「そうですよ。その答えが正解です。あなたのことを、事前にお調べしました。幸せを絵に描いた家庭、会社でも成功をおさめていらっしゃる。来年には、常務にあがるかもしれないとの声もあるようじゃありませんか。私が言うのはなんですが、あんなクソみたいな女のために、人生を棒に振る必要はない。たしかに、私はあの女の代理人ではありますが、あなたをも救ってあげたいと考えているのです。」


 私の腕を掴んでいる手を解いて、男の肩を優しく叩く。男の顔が、どんどん緊張が解けて柔らかくなっていく。


「えっ、私を助ける?」


「そうですよ。先ほど言った通り、自宅や職場に内容証明を送られたら、その瞬間にあなたの人生は詰みますよ。あなたが思うよりも、残された時間はないのです。もう、逃げられない。もし、あなたがこの書類に署名し、金を払うと約束してくれば、あなたの輝かしい人生を守ってあげよう。あの女は金に相当汚いので、これからもあなたを脅して、要求をエスカレートさせるに違いない。これから、あの女に怯える人生。そんなの嫌でしょう。その恐怖からも、あなたを守ってあげよう。これ以上の要求をしないように念書も書かせてあげます。」


「ほ、ほんとですか。磯山先生のおっしゃる通りです。いま、金ですべてを解決できるのであれば、これ以上のことはない。先生に、すべてを従うことにします。そのかわり、この件については、表に出ないようにしてください。なんとか、お願いします。わたしは、今の生活を壊したくない。た、助けてください。」


「わかりました。内容証明も送りませんから、安心して下さい。交渉成立ですね。大丈夫。あなたを救ってあげよう。しかし、こんなに簡単に親子判定ができる時代がくるなんて。あなたは運が悪かっただけです。それこそ、遺伝子は嘘をつきませんから。」


 男は涙を流して喜び、書類に署名した。私の全面勝利だった。数日後、約束どおり、彼女から、私の口座にお金が振り込まれた。あの男から奪い取った3割をバックさせた。あの男は、誰の子か分からない子供の養育費を10年以上も払うのだろう。それも、全然顔が似てない嘘の子供のために。あの女には、これ以上要求するなと一応言っておいたが、その約束はいつかは反故にするだろう。だが、そんなの知ったことではないが。


 それにしても、なんて金を稼ぐことは簡単なことなんだろう。あんな、リスクの高い高額な高性能水処理プラントを売らなくても、工場を作らなくても、銀行から金を借りなくても、人の弱みにつけこめば、金がすぐに手が入る。


 その後も、磯山の事務所に舞い込んだ案件で、同様の手口を使って小銭を稼いだ。どいつもこいつも、私のいう通りに金を払った。しばらくしてから、磯山の事務所を辞めた。


 なぜ、そんなに、金の情報源であるところを簡単に辞めたってか?それは、いつかバレたときのリスク回避もあったが、もっと、金になりそうなカモを見つけたからだ。


 磯山の事務所にいるときに、たまたま金に困っている弁護士と知り合った。彼は弁護士のくせに、ギャンブルと女にはまり込み、金を借りまくっていた。そいつを脅して、私の手駒として使うことにした。また、遺伝子検査の技術者も蓄えた金で雇った。


 これで、私は本物の弁護士と遺伝子検査を手に入れたのだ。この二人を使い、人の弱みに漬つけこみながらカネを稼ぎまくった。世の中には、金をもった経営者や政治家、芸能人に至るまで沢山いる。金を持っているほど、欲にまみれている。守るべきものがあるやつほど脆い。だけども、私の要求を満たすのには、金だけでは物足りなくなってきた。もっと、圧倒的な力が欲しい。そう、個人の力ではなく、オカルト教団のようなものだ。そのためには、マインドコントロールできるような道具か、血の結束を謳えるものが欲しい。


 ある日、新聞を読んでいると気になる広告があった。そのなかに、「古文書の読み方講習」となるものが書かれていた。市民団体が開催したものらしく、無料だった。昔から歴史が好きだったこともあり、暇を弄んでいたため、出てみることにした。思いがけない面白いネタが隠されているかもしれない。


 さすがに無料だけあって、参加者もまばらだった。講師もどこかのバイトなんだろう。話が下手くそで、つまらない。途中で退席する者もいた。その真面目だけが取り柄の講師は、古文書の読み方講習から脱線して、自分の研究テーマの話をし始めた。すると、先ほどまでのトーンが嘘かのように、生き生きと夢中になって話し始めた。彼がいうには、この国ができる前に、庄の民という古代国家があったとのことだった。


 誰も彼の話をまともに聞いてるものはいなかった。大きなあくびをしているもの、外をぼんやり見ているもの。暇人ばかりの集まりなのどから。


 だが、私にとっては興味深く面白かった。その話が、ほんとかどうかは良かった。私の夢に利用できる道具かどうかだった。そういう意味では、まさに私が求めているものだった。


「こんにちは。あなたの話を興味深く聞かせてもらいました。楪葉くんの研究は、素晴らしいものを秘めています。ですが、残念なことに科学的な根拠と実績がまるでない。だから、信憑性もなければ、リアリティもない。まるでファンタジーか推理小説を聞かされているようだ。あなたの研究、そして夢を叶えるために、手伝ってあげよう。遺伝子検査というものを君は知っているか?」


 それが、楪葉との出会いだった。

 

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