第20話 躍進


「今秋の参院選は、大物現役閣僚の失言に始まり、政治資金規正法違反などの不祥事も明るみとなって、与党、野党連合の勢力が拮抗しており、予断を許さない展開となっております。」


 テレビでは、ニュースレポーターが無駄に世論を煽り、評論家もどきが無責任なコメントを繰り返していた。


 この国は、貧富の差が拡大する一方で、膨れ上がる借金の前に、弱者を切り捨てるしか選択肢がなくなった。国のてっぺんに暗雲が立ち込め、誰もが真のリーダーを求めていた。




 あの日以来、妻からの連絡は一切なくなった。


 妻にも言い分はあるのだろうが、何一つ心に届かなかった。本当のことは言わずに、育児のせいにするとは、数日間、腹が立ってしょうがなかった。そのうち、判をついた離婚届が送りつけられるかもしれない。それはそれでいいと思った。


 私に残されたものは、仕事しかなくなってしまった。私はすべての邪念を振り払うかのように、寝る間を惜しんで働いた。



 定例の役員会が終わったあと、金川社長は、私だけを部屋に呼んだ。


 金川社長は、役員会で各部門の業績報告が始まった頃から、普段にも増して険しい顔へと変わったが、その表情は社長室の中でも全く変わってなかった。


「いま、この会社は、負のスパイラルに陥っている。業績もどん底だ。お前は、自分が置かれている立場を分かっているか? そして、何をすべきかを。」


「社長の仰りたいことは、十分わかっています……」


 常日頃から、金川社長は再来年には上場指定替えを目指すと公言している。つまりは、会社を次のステージに押し上げるということだ。


 雨池元専務が退任後、私は営業部門の膿を出しきり、抜本的な改革を行った。


 雨池が手を染めたキックバックのような行為はもちろんのこと、協力会社への押し付け販売など、この会社全体に蔓延っていた体育会系体質を徹底的に排除した。当たり前のことをし、元に戻した。


 一方で、実力以上に背伸びをしていたものを剥ぎ落とした結果、売上も株価も右肩下がりに落ち続けていた。



 雨池問題をすべて知っているものならば、私がやろうとしていることが、時間をかけての改革であると理解を得られるのだろう。


 だが、雨池問題は根が深く、真相の大半は闇に葬った。業績不振の原因は、営業責任者である私のツメが弱い、甘いとの話が出ているのも事実だ。ひどい話になると、雨池復帰待望論もあるらしい。


 前回の取締役会のあと、私は社長の子飼いとしてのイメージがつき、誰も私には直接意見をいう者もいなくなった。


 私としては、背伸びした業績を上げるよりは、継続的かつ安定的な収益を積み上げる方が正しいと思っていた。


「お前が言いたいことはわかる。ただ、この時代に生き残るためには、そんな悠長なことを言っている時間はない。この業績ではダメだ。使えるものは何でも使え。お前は仕事が綺麗すぎる。泥にまみれろ。結果をとにかく残せ!!」


 社長の言っていることも十分に分かるし、ここまで引き上げてくれた社長には恩を返したい。それにしても、あるゆるものが行き渡っているこの成熟した世の中で、どうやってものを売るのか。どうやって、数字を作ればいいのだろうか?どのポジションでも、数字をコミットする苦しみはある。ただ、役員になってからの数字の重みは比べ物にならないほど辛いものだった。



 突然、畦地から夜の誘いがあった。


 気持ち悪さもあり用件を聞いたが、二人っきりで折り入って話があるとの一点張りで、お茶を濁された。また、無理難題を言われそうだが、前回の恩もあり無下にもできない。


 畦地が予約したという料亭は、まさにドラマの政治家が密会するに相応しいようなところだった。美人の女将に誘導されるまま、立派な奥の部屋を通されると、畦地が下座ですでに待っていた。


「急に呼んで悪かったな。ま、とりあえず一杯! 」


 日本酒をすすめられ、お互いが様子を伺いながら、どこか居心地の悪い時間だけが過ぎていく。


「それにしても、この前の総会は、本当に素晴らしかった。花城くんには、人の上に立つという天性の才を持っているのかもしれないな。最初にあった時に、花城くんのことを品性がないとか、理事長を辞退しろとか言ってしまって、これまでの非礼を詫びなければならないなぁ。」


「畦地先生、いきなり、どうしたのですか? そんなこと仰るなんて、逆に気持ち悪いですよ。総会の時は、自分でもよく分からないんです。急に感情が高まってしまって。今となって冷静に思い返すと、原稿にないことまで言う始末で。何故、あんなことを言ったのか恥ずかしい限りです。後悔をしているんです。」


 畦地が酒を注ぐペースが早いからか、褒められ過ぎたのか、酔いがまわるのが早いような気がする。濡れタオルで乾いた唇と恥じらいを隠した。


「そんなことはないさ!!大物政治家でも、あれほど、人の心を打つ演説はできないさ。あんな原稿は誰も書けん。花城くんは、もっと自信を持つべきだ。」


 このようなやり取りを小一時間やっただろうか。


 さすが、畦地は腹黒い政治家だ。今日の本題をなかなか切り出さない。堪え性のない私の方が我慢することができなかった。


「いやいや。先生、そんなことよりも今日はどのようなご用件ですか? なにか、目的があって、私を呼び出したんでしょう。」


「さすが、察しがいいな。悪い悪い。今日、誘ったのはな。折り入って、花城くんにお願いがあるんだ…」


 嫌な予感がした。


「花城くん。急な申し出で悪いんだが、政治の世界には興味はあるか? 単刀直入にいう。うちの党から出馬をしてくれないか……?」


 畦地も酒に飲まれたか。それとも、なんの冗談だろうか。畦地が何を言っているのか、理解するまで時間がかかった。


「えっ、笑えない冗談はやめてください。私は政治には全く興味がありません。恥ずかしながら、この歳になるまで一度も選挙にも行ったこともないのですから……」


「笑い事ではない。俺は本気でお願いをしてるのだ。今度の参院選がどうなっているのかを知っているか? 巷で報道されているとおり、状況はまさに五分五分だ。どちらが勝つのか全く読めない。うちの党は、野党の連合軍に乗るが、票集めもそうだが、候補者擁立もなかなか難しいんだ。そこで、君の力が必要なんだ。」


 畦地の眼差しは、いつになく本気だ。


 実際、畦地がどんな政策を掲げているのかどころか、どこの政党に所属しているのかさえ知らない。そこまで、私は政治にも畦地にも興味がないのだ。


「そうですか。新聞ぐらいは読んでいますが。政治家も大変ですね。落選したらそれこそ大変だ。収入もなくなりますしね。」


 そもそも、なぜ私が出馬しなきゃいけないんだ。



「なんだよ。その他人事のような反応は。俺たちは本気なんだぞ!!これはもう生きるか死ぬかの負けられない戦なんだぞ!!」


 まずい。畦地のボルテージが上がっている。こりゃ、取集がつかない。


「先生、お気持ちはわかりますが……さすがに私のようなものが、政治家など務まる訳がありません。タレント議員でもあるまいし。それに、今の仕事をやめるわけにもいけません。残念ですが、お受けすることはできません。」


 悪い冗談だとはわかっているが、あまりに も畦地の表情が真剣なのでキッパリ断った。これで、諦めてくれるだろう。



「そうか。本気で君のような若者に政治の道を歩んで欲しいと思ったのだがな。残念だ。さすがにいきなり立候補しろというのは無理があるかぁ。じゃあ、これならどうだ。財団法人の会員達へわが党に投票するように、理事長として宣言してくれないか? な、それならいいだろう。頼むよ。」


 なるほど、これが本題か。絶対に無理な要求の後に、この本題を持ってきたのだろう。よく使われる交渉術だ。


「さすがに、財団法人をあげて、特定の政党に肩入れするというのは、公職選挙法とかに引っかかるのではないでしょうか? 」


「それは、こっちで上手いことやるから安心しろ!!」


 私のような無名が、選挙に立候補するよりは現実的ではある。だが、私の本能が、政治絡みには足を突っ込むなと言っている。実際のところ、政治活動についてはよく分からないが、それらしい理由をつけて断ろうとした。本当は公職選挙法なんて、全く知らない。それでも、畦地は諦める様子もなく、なかなかしぶとい。


「財団法人の会員って、確か2,500人くらいですよね。仮に、私たちが会員に畦地先生の党に投票してくれと呼びかけたとしても、たかが知れていると思うのですが。とても国政選挙の勝敗を左右する数とは思えない。そんなこと、無駄ですよ。やめましょうよ。」


 畦地はニヤリと笑った。しまった。畦地が求めている質問をしてしまったようだ。



「いま、うちの財団法人の会員は、どれだけいるか分かっているかね。先月末で4,000人を超えたと報告を受けている。この前の総会からこの半年で1,500人も増えたという計算になる。なぜ、そこまで会員数が増えたか分かるか? 」


 確か、私が初めて総会に参加した時は1,000人くらいだったはずだ。そもそも、Uタイプの遺伝子は少数民族なのにもかかわらず。


「この前のお前の演説が、みんなの民族魂に火をつけたんだ。あのとき、会場にいた会員達が、親族や自分の周りの人達に、遺伝子検査サービスを勧誘しまわっているらしいぞ!!だから、自然と会員数が爆発的に増えているんだ。」


「えっ! それで、こんな短期間でそこまで増えているのですか? 」


「そうだ!! お前が我々一族で結集しようと呼びかけたのを忘れたのか? いま、民族の王である花城理事長が、我が党に投票すると宣言する。なぜならば、庄の国の国造りと我が党の公約が一致するからだと。お前の声かけに会員達は必ず動く!! うちらの政党を勝たせようと、自らはもちろん、家族、周りの人達に投票を勧めるだろう。それが10人となったら、何票になるとおもう? それも、SNSで拡散したらどうだ。その積み重ねは、馬鹿にできんよ。」


 総会のときに沸き起こった熱狂を想い出した。確かに、派手なデジタル演出と会場の雰囲気に乗せられてしまった。私の発する言葉で、一族を結集させようと高らかに宣言してしまった。


 私自身になにか目的があった訳ではない。自然と口から出てきたというのが正しい。


 総会後、財団法人の懇親会があった。会場の盛り上がりをみて、花城理事長がくると大変なことになると言われて、参加を取りやめた。あとから聞いた話によると、懇親会でも、会員達の熱は冷めなかったという。民族結集のために、彼らが自主的に動いたのだろう。


「そんなに、うまくいくもんですかね。で、私になにをしろと言うんですか? 」


 まだ、畦地の言うことには、半信半疑だ。


「会員向けに配る文書をこちらで用意をさせてもらった。これに理事長として直筆でサインをしてくれれば、それでいい。あとは、俺が責任をとる!」


 手渡された文書をさらっと目を通した。


 庄の国が目指した国造りと畦地の政党が掲げる公約は一致しているという内容だ。先ほど、畦地が説明した通りだ。


 畦地の党が掲げる公約は、『戦争はやめよう! 武器を放棄しろ! 景気を良くして我々の生活を守れ! 』と具現性のないものが並んでいる。


 小学生の標語か!?


 それができれば、政治なんてものはいらないだろうとツッコミを入れたくなる。


 きっと、善良な市民ならば、畦地の党には絶対に投票しないだろう。ましてや、こんな党で立候補したら、落選確実だ。ただ、会員に対して、直接に投票を促すような記載はどこにもない。あくまで、理事長の私見にとどまっている。文章最後には、私の署名を書くスペースもできており、用意周到なことだ。


 投票を強制するものでなくても、こんな党に投票を表明すること自体が、恥ずかしい………



「私の署名に、そこまでの力があるとは思えませんけど。失礼ですが、先生の政党のことは、あまり知らないのですが、本当にまともな政党なのですか? 」


「バカ言うんじゃない!! 真面目にやっているさ。だが、政治家なんてものは、所属している器が違うだけで、考えていることとかやっている中身は大体同じもんだ。結局は、お国よりも自分のことを考える人種さ。細かいことは気にすんな。時間がないんだ。この場でなんとか頼む。この通りだ!!」


 畦地が禿げ上がった頭を下げる。


 とてもじゃないが、こんな子供騙しの紙一枚で、財団法人の会員たちが動くとは到底思えない。この前の総会にしても、エンターテイメントの延長線上にしか過ぎないのだ。いわゆるお遊びだ。


 そういえば、雨池を追い詰める武器をもらうために、畦地に頭を下げた。あの時の私も追い詰められて、このように必死だった。あの時は交換条件として、黙って財団法人の理事長になれ!と脅されたっけ。


 人は追い詰められると、どんな毒でも飲む。


 ふと、「金川社長の険しい顔」と「業績速報値」と「追い詰められた畦地の汗ばんだ額」が交錯した。私は泥にまみれることにした。


「頭をあげてください。どれだけ効果があるかは分かりませんが、引き受けます。ですが、その書類に署名するかわりに、私にもお願いしたい交換条件があります。」


「お、そうか。やっと、引き受けてくれるか気になったのか。ありがとう。この恩はなんでも返すぞ。なんでも言ってくれ!!」


 畦地は安堵の表情を浮かべた。この交渉の主導権は私にある。


「実は、うちの会社の業績が伸び悩んでおり、とても困っているんです。次世代水処理プラントを、畦地先生の力でもっと行政に捌いて貰えませんか? 」


 さぁ、どうだ。畦地。餌をやるから犬のように、私のために働くか?



「なんだ、そんなことか。金をくれとか言うと思ったら、真面目な奴だなぁ。そういえば、花城くんも会社では営業責任担当役員だもんな。でもな。もっと頭使えよ。次世代水処理プラントだけでなく、色んな事業をお前のところは手がけているだろ。俺なんかに頼まず、財団法人の会員達に頼めばいい話じゃないか? 会員のなかには、社会的地位の高い奴らも仰山おる。君の頼みならば、採算度外視でも聞いてくれると思う。よっしゃ、俺の方から頼んでやるよ!」


 なるほど、この男と同じように財団法人の会員たちを利用すると言うことか。そこまで、頭がまわらなかった。


 この紙一枚で、会員達に選挙協力をお願いする、そして、会員達に私の会社の商品を買わせる。どちらもありえない話だ。交換条件としては悪くない。利害が見事に一致し、われわれの商談は成立した。


 畦地が持ってきた書類に署名をした。酒も入っているせいで、いつもよりも筆先は軽快だった。



 参院選は、予想に反して、与党が圧倒的多数で圧勝し、野党連合は惨敗した。


 ただ、野党の中でも、畦地が所属する政党だけは、予想に反して議席数を僅かながらに伸ばした。ただ、政局を揺るがすものではなく、新聞の隅っこに「健闘」とだけ書かれていた。


 営業第一部の部長が、業績速報値を私にみせて、興奮しながら説明を始めた。


 どの商品どの部門においても、軒並み数字をあげているのだ。それも、見慣れない新規顧客からの注文が相次いでいるとのことだった。


 今月、我が社は月別最高売上高を更新した。その伸び率は、低迷していたこともあり、創業30年の歴史で快挙の伸びといっても過言ではなかった。

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