第14話 天秤
決戦の取締役会まで、残り1ヶ月を切った。
接待交際費の私的流用は、かなりの精度で確認できた。もともと、金に汚い男だ。経費の支出を詳しく調べれば、架空請求や不自然なものが山ほど出てきた。役員報酬を何千万も貰っているのに、何千円くらいの少額なものまで流用しているものもあり、セコくて笑える。これらは、雨池を追求する動かぬ証拠になるだろう。
ただ、告発状にあるキックバックの決定的な証拠はまだ掴めなかった。これが、一番重要なのにもかかわらずだ。
うちの会社は公開会社であることから、監査法人を通しており、厳格に運用されている。それは、総務部を管轄するようになり、よく分かったことだ。キックバックなど、コンプライアンスにうるさいこのご時世あってはならないものだし、そもそも簡単にはできない。
その厳格な網をすり抜けたキックバックとなれば、個人口座一つ一つを洗い出し、緻密な精査が必要になってくる。この個人情報の取り扱いに厳しい世の中では、一般人が入手をすることは絶望的であり、ここが内部調査の限界でもあろう。
雨池を解任までに追い込むには、パワハラ、セクハラでは、上手いことを言われて、きっと逃げられてしまう。交際費の私的流用など、個人で穴埋めをして終わりだろう。
それらでは、追い詰める武器としては弱すぎる。
やはり、キックバックをしていたという物的証拠をおさえなければならない。
さすがに、焦りが出てきた……
この案件は、社内の誰にも相談できない。作業をするとしても、自分の役員室にこもらなけらばならない。部屋の外に一歩でもでると、雨池派閥が蠢く、敵だらけの世界なのだから。
雨池の個人資産を、出来る範囲で洗い出してもみた。調べれば調べるほど、彼の性格とは真逆で、資産形成のやり方が実に巧妙だ。
彼が保有している不動産は、個人名義のものはほとんどなく、合同会社という資産管理会社を有してることがわかった。それも、1物件毎に1合同会社を作っているほどの念の入れ方であり、全体像がなかなか見えない。調査の結果、分かったことは、相当の資産を溜め込んでいることだ。
なかなか不正の尻尾さえも見つけられないことから、雨池にはプロの指南役がついているのかもしれないとも思った。雨池個人では到底無理であり、そうなると益々厄介だ。
ついに、八方塞がりとなり、時間だけが過ぎて行く。それどころか、やることもなくなってしまった。何度も見尽くした会社の経費支出データを、最初から見直そうとしたときに、内線がなった。
受付から、私宛てに来客がきているので、役員室に通してもよいかという電話だった。来客が誰だと聞くと、議員の畦地と言う人が会いたいという。これまた、めんどくさいとも思ったが、この閉塞感に押しつぶされそうで、誰かと話したいとも思った。
「それにしても、貧相な役員室だな。花城役員さま、調子はどうだ? 」
ノックもせずに、畦地が私の部屋に乗り込んできた。彼のその強引な性格にも、少しずつ慣れてきたので、別に驚きはない。
「見てのとおり。あいかわらず、バタバタしております。今日は、次世代水処理システムでの打ち合わせですか?それでは、その担当は、雨池専務のところだと思いますが…」
「あの男には、そこまで興味はない。今日は、お前がちゃんと仕事をやってるのか様子を見にきたんだ」
畦地の笑い声が、部屋中に響き渡った。
「ちゃんと、やってますよ」
まるで、口うるさい母親のようだ。議員様は、暇なんだろうか……。「今日は学校で何があった? 」と言わんばかりのウザさだ。
「ところで、そんな難しい顔をして、なにをセコセコやっているんだ。せっかく、次世代水処理プラントを、俺のコネのある役所に無理やり押し込んでやっているのに。お前は興味を示さないし、喜びもしない。俺はあの商品の詳しいことはしらないが、なかなかあのプラントは値段がはるから、役人達もブーブーうるさいんだぞ。それを、俺がなんとかしてだな……。」
「いまは、営業とは違う部署にいるのでなんとも。でも、あのプラントが売れれば、うちの会社は結果として儲かりますので、これからもよろしくお願いします。」
こういう輩を敵にまわさない方が良いと本能が言っている。このプラントビジネスでも、汚いことをやっているのかも知れないが、上辺ではお礼を言った。
「相変わらず、そっけないやつだな。ここまで、応援してやっているのに。だから、お前はなんの仕事をやってるんだ。顔から悲壮感がでているぞ。困っているんなら、助けてやるぞ!!」
顔にもでていたか。さすが、小汚い政治家には見透かされるかもしれない。たしかに、今の私は、これ以上ないくらいに困っている。
ここまであらゆる可能性を潰して、正攻法で調査してきた。真っ当な道を歩くだけでは限界がきた。つまり、これが私の限界だ。
右脳がこの男に全てを話して助けてもらえ!という。
左脳がこの男には気をつけろ! 近づくなという。
「いま、私にはどうすることもできず、困っている事案があります。しかも、この会社の誰にも相談できないのです。」
どうやら、右脳が勝ったようだ。はやく、この男に、助けてもらえ!この男ならば、君を助けてくれるかもよ。
「ん、なんだ? 話してみろ。絶対に他には漏らすことはないから。安心しろ。」
「いま、極秘で調査していることがあるのですが、なかなかうまく進まず困っています。……ある個人の預金口座の移動明細って調べる方法ってありますかね? 」
「ん、他人の口座だと。誰のだ? 」
「そ、それは、教えることはできません」
左脳が、そんなやつに全てを託すのは、やめとけ!という。いままで、こいつらに受けた屈辱を思い返せと、大声で叫ぶ。遅くないから引き返せと。
「誰の口座か、わからんもんまで調べようがないだろ。さすがに、わしも超能力じゃない。しかしながら、調べる方法がないかというと、そうではないぞ。一体、誰のなんだ?」
そういうと、畦地が、なんとも言えないキモち悪い笑みを浮かべた。なんという顔をするんだ。
この畦地という男に頼ること、弱みを見せることは、リスクしかないことを、右脳も理解している。左脳も、ただこれ以外に私に残された選択肢がないのも分かっている。
決めた。これに賭けてみる。
「絶対に口外しないで下さい。うちの雨池専務です………」
「おお、あいつか。飛ばされた復讐か。花城、いいぞ。やっと、その気になったのか? あんなやつ、捻り潰してやるぞ!!」
「ち、ちがいますよ。私の個人的な恨みを果たすためではありません。これも、会社を守るためです。」
社長からの特命で、雨池への内部告発を調査していることを端的に伝えた。いや、これまでの溜めた鬱憤を晴らすかのように、熱く語った。
「話はわかった。それは、面白い。俺に任せろ!! このような汚い仕事は、俺の得意分野だ。それで、そのブツはいつまで必要なんだ。期限はいつまでだ? 」
畦地は、最新のおもちゃを与えられた子供の目のような顔を見せた。
「来月の取締役会です……それ以外の書類は、だいたいそろっているのですが」
「なんだって。時間がないじゃないか。分かった。なんとか動いてみる!!」
「でも、どうやって? 他人の預金の入出金を調べるなんて、個人情報がうるさい世の中で、絶対に入手するのは無理ですよ。私もあらゆる手を尽くしたのですが……」
「そんなもの、さすがの俺でもそんなことはできんよ。特捜部でも税務署でもないからな。だけどな。花城、よく覚えとけ。どんなに、機械やITが発展しようが、それを扱っているのは、人間なんだ。しかも、人間は欲というものをもっていて、この上なく弱い存在なんだ。そのちっぽけな人間たちの繋がりが人脈だ。結局、この世は人脈なんだよ。うちの財団法人の会員は、何人になったと思う。あの遺伝子検査サーピスを使って、2,000人を超えた。この前の総会で、楪葉がでかい声で言っていたが、財団の会員達は知能指数も高ければ、社会的な地位も高い。弁護士もいれば、調査機関のやつもいたはずだ。彼らの力があれば、なんとかなるかもしれないだろう。」
「なるほど、彼らの力を借りるわけですね。よろしくお願いします。私には何もできません。ほかに残された方法はなさそうです……」
社内で相談できる者は、もともといないし、このまま手をこまねいてるわけにもいかない。どんな茨の道がこの先待っていようが、畦地の毒を飲むしかないと思った。
「なんとか、証拠を手に入れてください。よろしくお願いします。」
「わかったよ。すぐに動いてみる。」
畦地は、膝を叩いて一旦立ち上がったが、なにかを言い直すために座り直した。
「花城。お前に一つだけ忠告しておく。今回の件で、改めて財団法人の力を感じることになるだろう。はじめは、ほんとに小さな財団法人だった。俺も最初は半信半疑だったが、よくこれだけの集まりができたと思うよ。楪葉に言わせれば、この財団法人で、お前が一番偉いらしい。その組織の頂点に立つ自分の価値をあたらめて確認することだな。もしかすると、財団の本当の力と怖さを感じるかもな」
「本当の力?」
「あぁ、俺自身も財団の本当の恐ろしさは、分かっていないのかもしれんがな。」
そう言うと、畦地は徐に立ち上がり、スマホで誰かの番号を探しながら、部屋を出ていった。その電話番号は、間違いなく、赤海なんだろうと思った。
私の焦る気持ちとは裏腹に、無情にも時間だけが経過した。
取締役会まで、あと1週間まで迫ってきた。雨池の解任動議の書類自体は、すでに完成している。ただ、肝心のキックバックの証拠書類を添付すればの話だが。
金川社長からも、調査の進捗度の確認が毎日くるようになった。かなり苦戦している状況を説明しても、なんとかしろとの一点張りである。社長は社長で焦っているのだろう。
社長の話だと、今回の取締役会で雨池を解任しないと、あの『告発状』が対外的に公表される可能性が高いとのことだった。もし、公表された場合は、金川社長への経営責任は避けられないだろう。会社も、社長も、私も、崖の淵間際まで、追い詰められた。
さすがにこのままだと、雨池個人の預金通帳の移動明細は、現実的に手に入れることはできない。ということは、キックバックでの追及はできなくなる。キックバック以外の事由で、解任動議をさせてほしいと金川社長に進言しようと考えてみる。それでは解任するまでにはいかず、動議が弱すぎることは、私自身が一番分かっている。ある意味、我々の敗北宣言だ。
そのとき、待ち焦がれた相手からの電話が、ついに鳴った。
「花城、喜べ。ついに、雨池の尻尾を掴んだぞ!!」
電話の相手は、畦地だった。普段は受け付けない男であるが、まさに彼が最後の頼みの綱であり、私にとって待ちに待った電話だった。
「ほ、ほんとですか。どんな内容がわかりましたか? まさか、次世代水処理システムの案件で、畦地先生と雨池専務との間にリベートがあったとかでしょうか……」
「阿呆、そんなアホなことするかい。もし、そうだとしてて、わざわざ、自分を売る奴がどこにいる? 」
多少なりとも、畦地と雨池の間にもグレーな金は動いているだろう。実際に、それを調査したこともあった。まったくの空振りに終わったが。
「是非、その資料を私に頂けませんか?このままでは、私たちの負けです。この通りです。なんとかお願いします」
「花城。この資料は、もちろんお前のために手に入れた書類だ。だが、この書類を手に入れるために、我々もかなり際どい道を渡ることになった。お前も大人なんだから、わかってるだろ。この資料は、ただでやるわけにはいかん!!」
電話の向こうで、不敵に笑っている顔が浮かぶ。畦地のような汚い政治家が、このようなボランティアのような真似をするわけがない。見返りを求めてくるのは、それこそ当然だ。わたしには、毒を飲む覚悟は、すでにできているのだから。
「わかりました。お金ですね。それなら、ある程度ならお支払いできると思います。ご希望の金額を教えて頂ければご用意しますので。」
私は、畦地からなにを要求されるか分からず、怯えた。だが、この畦地が持っている資料は、なにがなにでも欲しい。
「バカタレ。金なんているか!!わしはクリーンな政治家で有名なんだぞ。」
予想外の答えが返ってきた。この手の裏取引には金で処理するのが、一番早いと考えていたが。金さえ払ってしまえば、この男の関係も切れる。
「えっ、お金ではないのですか?では、私に何をしろというのですか?」
「この取引のたった一つの交換条件をいう。今度の4月に財団の定期総会がある。その場で、黙って財団法人の新理事長になってくれ。大丈夫だ。君には迷惑もかけないし、ただ座ってくれるだけでいいんだ。あとはこっちに任せて欲しい。」
「ち、ちょっと待ってください。それとこれとは、関係ないじゃないですか? 私は財団法人もあなた達も信用していないし、関わり合いたくもないと思っています。そもそも、あなたが私は理事長には相応しくないと言ったではありませんか?」
そうだ。昨年の幹部会で、財団法人の理事長にはあんなにふさわしくないと罵倒してきたのは、この畦地の本人だ。一体、どういう心変わりなのだろうか。それにしても、一族の遺伝子かなにか知らないが、私を理事長にするのを諦めていなかったのか。
「財団法人の定期総会はもう来月だ。時間もない。我々もあんた達と同様、あの組織を守るために必死なんだ。それほど重要なことなのだ。そのためなら、汚いこともなんでもやる。新理事長は、お前しかいないんだ。頼む。この通りだ。」
息子との一件であそこまで強引な真似をした財団法人は、信用できるわけがない。理事長なんか引き受けてしまったら、それこそ、なにを要求されるかわからない。
畦地が持っている証拠は喉から手が出るほどほしい。だが、すぐに回答することはできそうもない。
「まってください。さすがに、その理事長に就任するというのはすぐに答えは出せません。なんとか、お金が解決することでなんとかできませんか?」
「最初に言っただろ。この書類を渡す条件は、君の理事長就任だけだ。もう、君達にはごちゃごちゃ考えている時間はないのではないか?俺は気まぐれだ。いま、返事をしないと、書類を渡さないかもしれないぞ!いや、今すぐに回答をしないとこの書類を全部破いてやる。いいのか、それで!!」
畦地は、ドスの効いた声で最後の切り札を出した。交渉においては、畦地の方が一枚も二枚も上手だ。
「ま、待ってください。分かりました。私には時間がないのです。その条件をのみます。証拠書類を頂けますか。」
私は完落ちした。いまは、流れに従うしかないような気がした。後のことは、後に考えしかない。もう、どうにでもなれという気分だった。
「交渉成立だな。今すぐ送ってやる。お前はこの財団のことを毛嫌いしているようだが、この書類を手に入れることができたのは、財団の人たちの力を借りたからだ。だから、財団に感謝することだな。とにかく、理事長の件は頼んだぞ。悪いようにはしないから、安心しろ!!」
「とにかく、届いた書類を確認してから、理事長の件は正式にお受けしますので…」
左脳が、理事長の就任にささやかな抵抗をしたが、畦地の耳には届かなかった。電話もすでに切れていた。
それから、数時間後、私宛にバイク便が届いた。その書類の内容は、雨池の首を取るには十分すぎるものだった。畦地から、健闘を祈るとの手紙も入っていた。
なぜ、財団はこのようなものを手に入れることができたのだろうか?とても、正規のルートではとても無理だ。これが、畦地が言っていた財団の本当の力、怖さなのかもしれない。だが、その時は、証拠書類を手に入れた喜びが勝り、そこまでは、頭が回らなかった。
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