第13話 告発

「花城、お前の仕事だ。お前にやってもらいたいことがある」


 金川社長は、うちに溜め込んだ怒りに任せて、机に書類を思いっきり投げつけた。書類の何枚かが、ヒラヒラと床に落ちる。


 先ほど、今すぐに社長室に来るようにと、社長自らの電話があった。なにか重大な事案が生じたに違いない。急いで走ってきたため、まだ息が上がっている。


 落ちた書類を拾い上げて、急いで目を通してみる。その書類の表題には、大きく『告発状』と書かれていた。



 『我々、会社の明るい未来を考える有志一同は、雨池専務取締役を糾弾する。


 もし、会社が対応を見誤ることがあれば、マスコミに全てを公開し、恥部を晒すことになるだろう。


 経営陣が道を踏み外さず、真っ当な道を歩むこと、悪の権化である雨池を浄化することを期待する』


①  特定の企業から、キックバック(金銭の私的不正受給)を受けている。


②  私利私欲を肥やした経費支出を繰り返し、会社から横領を重ねている。


③ 日常的に行い、過度なセクハラ、パワハラを繰り返し、社員を精神的に苦しめている。


 そのような文章を始まりとして、告発者の私情と恨みを絡みながら、赤裸々に強い口調で述べられていた。今にも、マスコミに叩きつけるぞという強い意思を含んだナイフのようだった。


 一瞬、これは現実かと目を疑った。


「こ、これって。なんなんですか?信じられません。さすがに、この書類が外に漏れると、我が社の信用が一気に失墜してしまいます」


 事の重大性に、書類を持つ手が震えた。


「そうだ。これが表に出たら、どうなるだろうな。なにせ、マスコミが好きそうな格好のネタだ。我が社の信用問題に発展し、株価も下がるだろう。最悪、会社が傾く可能性もある。幸いにも、まだ世の中には公表されてないようだが。これを書いた奴は、どこの誰かは分からんが、この様子だと本気だ。表に出るのも、時間の問題だろう」


「では、社長はどのように対応されるおつもりですか? 告発者を逆撫ですると、なにをされるかわかりません。本当にまずい事態になります!」


 私は答えを急かしたが、金川社長は何も言わない。目をつむって、腕を組みながら、事の重大さに悩んでいる。私も下手な事を言えない空気があり、社長からの答えを待つまでの時間の長さと重さがつらい。


「あいつを切る」


 金川社長は、私にも聞き取れないくらいに、小さな声で呟いた。


「え、あいつって。専務をですか?しかし、どうやって?」


「そうだ。それには、この書かれている告発文の裏付けが必要だ。再来月の取締役会までに、これらの完全な証拠を持って、お前が解任動議の議案をだせ!!」


「しかし、雨池専務は、社長の縁戚にあたる方。そのような方を解任してもよろしいのでしょうか? 創業メンバーとして、対外的な信用面、営業力にも非常に貢献がある方だと思います。社内でも動揺がおこるのではないですか? 」


 私は咄嗟に嘘をついた。雨池にはそんな人望も実力もない。自分でもよく分からないが、社長の縁戚だから気をつかったのだろうか。だが、金川社長は、私の嘘を見透かすように、芝居がかった笑みを浮かべた。


「いや、あいつがいなくなっても、会社はなにもかわらんよ。本当はお前も気づいているはずだ。あいつの本性を。お前が開発した次世代水処理システムだっけか。いま、ありがたいことに、地公体から注文がたくさん来てるらしいな。あいつは、全ては自分が一から企画し、自分の力によるものだと報告してきよった。昔からそうだ。他人がコツコツ積み上げてきたものを、そして手柄を、横取りするのがうまいんだ」


 私を本社に呼び戻してやったというのは、あの男の嘘だと分かっていた。専務になっても人の手柄を横取りするなんて、なんて見苦しいやつだ。私のように、雨池の犠牲になった人間は数多くいるのだろう。


 社長の話ぶりは、冷静な素振りを見せているが、たまに苦悩の表情が見え隠れする。社内で暴走する雨池のことで、永年、社長なりに悩んでいたのかもしれない。


「この告発文に書かれていることはすべて正しい。そんなことは前から知っていたさ。俺も見て見ぬふりをしてきた。昔ならば、笑い話として無視してもよかったのかもしれない。だが、今の時代では、このような形で会社の恥を曝け出すにはいかない。会社を守るためだ。会社をつぶすわけにはいかない」


「社長、しかし………」


「本当にお前は甘い男だな。だから、お前はダメなんだ。去年、俺が出向を命じて、お前を切ろうとした理由がわかるか? 」


「…………」


「お前が責任を取ったとして飛ばされた案件。我が社が騙されて、大きな損失をうけたあの案件。あれも、あいつが絡んでいたことはすべて知っていたさ。だが、その時お前はどうした? すべて、自分の責任ですとか格好をつけて、あいつと戦わずに逃げただろう。なぜ、自分の潔白を晴らそうとしない。そんな弱い奴は、我が社には要らない。その時に、お前はいらないと判断したのだ。あの時、お前はどんなに醜くても、かっこ悪くても、会社にもあの男にも戦いを挑むべきだったんだ。だが、もう一度、戦うチャンスをお前に与える。今度は、決して逃げるな!! 花城、戦え!! 」



 社長から押し寄せてくる圧倒的な迫力に、身震いが隠せないようになってきた。社長は、社内の問題点も、あの案件の真相も、私の弱さまでをも見抜いていたのだ。私の完敗だった。


「社長、一つ質問があります。何故、一旦いらないと切った私を本社に連れ戻してくれたのですか?それも役員にまでも昇進されて頂いて。しかも、いまこのようなチャンスを与えようとしてくれるですか? 」


「どうしてだろうな。社長という職業は、合理的には説明できないものだ。お前を選んだのは、俺のただの気まぐれだろうな。とにかく、時間はないぞ。もう失敗は許されないからな!」


「社長のお考えはよくわかりました。こんどは、決して逃げません。この仕事は、完璧にやり遂げます!! 」


 私の覚悟は決まった。やるからにはやりきる。あの雨池と真っ正面から戦ってやる。私の隠された闘争心が湧き出でくる。


「あと、これも切ることにした。清算案を同時に上げてくれ。話は以上だ」


 社長から手渡された書類には、この前まで出向していた会社の名前が書かれていた。社長は、私をどん底から助けてくれた愛する会社を潰せと言っているのだ。


 餞別でもらった赤のネクタイが、ジワリジワリと私の首を絞めつけてきたような気がした。


 不退転の決意を決めて、本格的に「雨池専務への告発状』の調査に入った。これは、雨池を糾弾する仕事であると同時に、今までの自分と決別する意味もある。なにを始めればよいかわからず、社内でそのような話がないか聞き回った。


 案の定、雨池がやったと思われるセクハラ、パワハラについては、多数の噂があった。この件が持ち上がる前からも、私の耳にも入っていた。


 社内でここまで話がでているにもかかわらず表に出ないのは、専務の力に怯えた人事部が隠蔽した懸念もある。我が社にはコンプラ委員会もあるが、組織全体として機能しなかったと考えられる。


 総務担当役員である私が、秘密裏に人事部に具体的な調査を依頼したら、変な噂がすぐに広がってしまう。それも、人事と雨池が繋がっていたら、それこそこの仕事も詰んでしまう。


 金川社長は、この件は私にしか知らせてないという。それほど、秘密性が強いのである。誰にも相談できない孤独な戦いが始まった。


 思いつくことを手当たり次第、やってみる。総務部にある給与管理データと、産業医に協力を仰ぎ、鬱病が原因で出社できない社員を特定することができた。産業医には、この会社の福利厚生を高める施策を検討したいと言ったところ、快く情報を出してくれた。


 この数年で鬱病を発症して、出勤できなくなった社員は思った以上に多かった。その大半は、すでに会社を退職している。今まで、運よく自分の部下にはいなかったため、そのような認識はなかったが、これがうちの会社の闇なのであろう。


 このリストの中の人物から、雨池からのパワハラとの因果関係を証明しなければならない。考えたくはないが、そのなかに告発者がいるかもしれない。いや、その可能性は十分あるのだから。



 リストを眺めてみると、その中に信じられない名前があった。


 彼は3ヶ月前から出社していない。


 営業第一部 秋谷 (欠勤 3ヶ月 鬱病)


 嘘だろ、なぜ? 秋谷が……。たしか、彼にはうちと同じくらいの子供がいたはずだぞ。


 秋谷は、私が出向してからまもなく、うちのエース級が集まる営業第一部へ異動となっていた。営業第一部は、雨池専務の直轄部署である。そこで、なにかが起きてもおかしくはない。とにかく、彼に話を聞かなくていけないと思った。


 何度も秋谷の携帯に電話するが出ないので、自宅に電話してみる。


「主人は、会社の誰とも会いたくない、話したくないと申しております……彼も苦しんでいるんです。どうかそっとしていただけませんか? なんとかお願いします……」


 秋谷の妻が、申し訳なさそうに電話を切ろうとした。彼女自身も、精神的に参っているような気がする。


「あっ、待ってください。奥様のご主人を思う気持ちは十分わかりました。秋谷くんには、無理はさせたくはありません。ご主人にこれだけお伝え頂けないでしょうか? 私はご主人の上司だった花城です。その花城が、本社に戻ってきた。そして、もう逃げない。戦うことに決めたと」


 そういうと、丁寧に電話を切った。


 この想いが、奥さん経由で秋谷にどれだけ届くか分からない。半分は賭けだった。秋谷から話も聞けないと、最初からつまづいてしまう。雨池のパワハラが原因だと思われるものは、秋谷以外にも複数いた。彼らに面会を求めたが、同じように反応は芳しくない。


 客観的な状況証拠は、秋谷の件に関しては、すでに何個も揃っている。


 雨池のデスクの前で、秋谷が何時間も立たされいる。書類を思いっきり投げつけられ、罵倒されている様子が監視カメラで何度も見られた。


 営業成績が悪かったのだろうか……秋谷が涙ながらに必死に土下座している場面もあり、心が痛んだ。周りの人間も、雨池をとめるどころか、見て見ぬ振りをしている。平然と仕事をやっているやつもいる。やはり、この会社は狂っているのかもしれない。


 もっと、秋谷に仕事の進め方を教えてやれば良かった。


 ただ、雨池を追い詰めるには、監視カメラの画像だけでは弱く、実際にパワハラを受けた被害者の証言はどうしても必要だった。


 頼む、秋谷。なんとか、俺にチャンスをくれ!それからは、秋谷からの電話を待つ日が続いた。



 数日後、秋谷の妻から電話がかかってきた。


「主人は会社の人とは誰とも会いたくないが、花城部長だけならば会うと言っております。花城部長ならば信頼出来る方だと」


「そうですか。ありがとうございます。」


「花城さん。勝手なお願いなのですが。主人をなんとか助けてくれないでしょうか。私には、どうしようもないんです。その姿を見ているだけで辛いんです。」


「私になにができるかわかりませんが、とにかくご主人のお話を聞きます。では明日、お伺いしますので。」


「なんとか、お願いします。」


 電話を切ると、笑みが自然に溢れてくる。秋谷と面談さえできれば、きっとすべてを話してくれるだろう。これで、証拠固めができると心踊った。会社近くの菓子折りを持って、秋谷の家へ向かった。



「久しぶりだな。秋谷」


 目の前に座っている秋谷は、私が知ってる秋谷とは別人だった。


 一緒に働いている時の彼は、最近の若者らしく、どちらかと言えば、軽くて何を考えているのかわからなかったやつだった。ところが、その面影もなく、痩せ細って顔色が悪く、目線が合わない。私もちょっと前まで廃人だったため、気持ちがよくわかる。秋谷は、心の中で壮絶な闘いをしてきたのだ。


「部長が本社に戻ってこれて、本当に良かったです……。ずっと、気になっていて。申し訳ない気持ちで一杯だったんです。」


「俺のことなんかは、どうでもいい。秋谷、一体どうしたんだ。俺が会社を去ったあと、いったい何があった? 少しずつでも、話してくれないか? 」


「も、申し訳ありません。部長にはお世話になったので、お話したいんです。懺悔の気持ちもありますし。で、でもその当時のことを思い出すと………あ、頭が、ガンガン痛くな、なるんです………」


 秋谷の目はあっという間に涙でいっぱいになった。体が身震いしはじめ、心が枯れ細っているのがよくわかる。


「すみません。ずっとこんな感じなのです。普通のときも、自然に涙が溢れるんです。仕事場でも、電車に乗っても、どこにいても。やはり、私は頭がおかしくなったのでしょうか?妻と子供にも申し訳なくて。」


 人は壊れると、こんなにもなってしまうのか……。少し前までの私も同じだったのかもしれない。秋谷の様子を見て、先ほどまで、証拠固めできると浮ついていた自分を恥じた。


「秋谷、すまん。無理はしなくて良い。俺が飛ばされたあの件、今となってはすごく後悔してるんだ。あのとき、俺が責任を取ることが潔いとか、自分に嘘をついていたんだ。結局は逃げたんだよ。あの時、専務にも会社にもしっかりと戦っていれば、お前にもこんな辛い想いをさせなくてもよかったんだよな。これは、私の責任です。すまなかった」


 私は深く頭を下げた。秋谷の姿をみると、雨池の責任だけでなく、自分の責任も多分にあったのだと痛感したからだ。私が逃げなかったならば、秋谷をここまで苦しめることもなかったのだ。


「頭をあげて下さい。部長………久しぶりに会って、なにか、雰囲気が変わったような気がします」


「そうかな。会社に飛ばされて、向こうにいってからも色々あったしな。全てを失ったからかな。いまは、雨池なんて、ただのクソ親父だ。怖くも何ともない!!あんなやつ、ぶっ飛ばしてやる」


 秋谷の口元が、僅かだが緩んだような気がした。


「クソ親父だなんて……。私の知っている部長はそのようなことは言わなかったはずです。分かりました。気持ちに波があるので、上手く話せるかはわかりませんが、少しずつお話します」


「ありがとう。ほんと、無理しなくていいからな」


「部長が出向してから、私の地獄の生活が始まりました。専務は、自分のミスを完全に隠蔽するために、自分の配下である営業第一部に私を異動させたのです。それから、事あるごとに執拗に苛めを繰り返してきたのです……」


 それからは、監視カメラの様子が、生の声としてそのまま語られた。


 営業成績が悪いといって、毎日罵られ、人格を否定された。


 酒の飲めない秋谷を毎晩連れ回した。


 会社の中では、雨池の力は絶大であった。周りの同僚には、秋谷に助けを差し伸べるものは一人もいなかった。


 私の想像以上だった……


 雨池は、肉体的にも精神的にも、ジワジワと会社内で秋谷を絞め殺すつもりだったんだ。


「秋谷、もういい。それ以上言わなくてもいい。そこまで、ひどいものとは知らなかった。やはり、あの時、俺がしっかりとお前を守るべきだった。本当に申し訳なかった」


 あまりの秋谷の深い闇に飲み込まれそうな気がした。


「毎日、あれだけ罵られると、自分がダメな人間だと思ってくるんです。そのうち、もう1人の人格が生まれて、昼も夜もお前などいらないんだと攻めてくるようになるんです。私だけならばそれでもいいんです。それを、専務はうちの家族のことも言い出して、攻撃するんです。それが情けなくて情けなくて。夜は夜で、飲めない酒を強要されて、トイレで吐き続ける毎日。気がついたら、布団から起き上がることができなくなったのです」


「そうだったのか。でも、まわりの人間も気づいていたのだろう。誰か、助けてくれる人はいなかったのか?」


「部長、あの会社ではしょうがないです。専務の力は絶対ですから。周りの人は、嘲笑ったり、一緒に虐めてくる人もいましたよ。特にあの部署、営業第一部は、自分達は優秀で選ばれたというエリート意識の塊ですから。私のような凡才を叩くのが好きなんでしょう。」


「うちの会社は、そこまで腐っていたのか。」


「私は部長を責める気持ちは全くありません。ただ、か、家族にも相談できなくて、つ、つらくて……つらくて。何度も電車に飛び込んで、死のうと思いました。でも、死に切れなかったんです……。たまに、駅のアナウンスで、何々線で人身事故がと流れるじゃないですか?次は自分の番だと思うと。こわくてこわくて」


 また、秋谷の涙があふれて、ふさぎ込んでしまった。


「わかった。もうなにも言わなくてもいい。俺がお前の仇をとってやる!! 」


「よろしくお願いします。これ以上の私のような犠牲者を出さないためにも……」


 後日、雨池のパワハラに対する事実確認書を取り付けることになった。


「部長、本当に変わりましたね。昔はもっと頼りなかったというか……冗談ですよ。また、一緒に働いて、いろいろ教えて欲しいです」


「いや、自分でもそう思うよ。また、一緒に働こう。今度は手加減しないからな。待ってるぞ」


「あっ、こら。お父さんが会社の人と、大事なお話しているから、ダメでしょ! 」


 秋谷の妻が叫んだ。旦那のことが気がかりで、襖の向こうで聞いたのかもしれない。奥さんにも涙をふいた跡がある。


「パパーー」


 秋谷の息子が、勢いよく出てきた。秋谷に甘えるように、まとわりついた。


 たしか、うちの息子と同じくらいだ。


 生まれた月も近くて、こんな若い部下と同じ運動会で走りたくないとぼやいたことがあった。


 この子が、秋谷の命をつなぎとめたのだ。


久しく会ってはいないが、光輝もこの子ぐらいに大きくなっているのだろうか………


 血は繋がっていなくても、会いたい気持ちはあることに驚いた。

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