第12話 権力

 今年最後の取締役会で、私の執行役員就任が正式に決まり、東京に戻ることになった。金川社長の一声があったこともあり、私の昇進について、反対するものは誰もいなかったと聞いている。


 この時期に、しかも年末間際の急な辞令は異例だ。一方、出向先であるこの会社はというと、私の後釜が本社から補充されないことが決定したため、会社内はばたついた。ただでさえ、本社からの経費削減要求が厳しく、人手不足が深刻であるためだ。私なりに出来るだけの引き継ぎをした。


 忘年会が終わったにもかかわらず、社員全員で「花ちゃん部長」の送別会を開催してくれた。


「花城部長、短い時間でしたが、本当にお世話になりました。そして、ご栄転おめでとうございます。私たちのこと、絶対に忘れないで下さいね」


 女性社員が、花束と全員の想いがこもった寄せ書きを涙ぐみながら渡してくれた。年末の忙しいなか、作ってくれたんだろう。


 また、戻ってきてほしい、仕事ができて楽しかった、一緒に酒飲みましょうと。可愛い文字や下手くそな文字が入り乱れる。


「花城執行役員のご多幸をお祈りして。バンザーイ、バンザーイ」


 ともに働いた仲間達とは、一足早い年末の挨拶が、そのまま別れの挨拶となった。


 短い出向期間ではあったが、東京の本社からきた余所者の私をよく受け入れてくれた。今となっては、感謝の気持ちしかない。この会社や人を見下してきた自分が恥ずかしい。


 この土地とこの仲間達が、腐っていた私に優しさと生きる勇気をくれた。そう思うと、胸が引き裂かれそうな悲しみが湧き上がり、自然と涙が出てきた。


 本当に、お世話になりました。心からありがとう。



 今の住んでいるアパートを引き払い、そのまま正月休みに入った。最大の懸案事項が残っていた。悩みに悩んだ挙句、私は最悪の選択にすることになる。東京の自宅には戻らず、家族から逃げることにした。


 いや、正確にいうと、帰る勇気がなくて戻ることができなかったというのが正しい。妻は、正月にもかかわらず、一向に帰ろうとしない夫を怪しんだ。


「なんで、正月なのに、戻ってこれないの? 」


「仕事が忙しいと言ってるだろう!」


「出向なのに、なぜそんなに忙しいの? おかしいじゃない!! 光輝も、パパに会いたいと待ってるのよ。かわいそうでしょ。少しの時間だけでいいから、なんとかならないの? 」


「だから、本社と違って、こっちは年末年始に忙しいんだよ。人がいないんだから。落ち着いたら帰るし。忙しいから、そろそろ電話切るぞ!」


 こんなやり取りを何度も繰り返した。あまりにもしつこいので、トラブルが発生して、急遽海外に出張も入ったということにした。


 妻は不審がって、光輝を連れてそっちに行くとまで言ったが、なんとか乗り切った。


 我ながら、嘘をついて家族バラバラで正月を過ごすなんてありえないとは思う。仕事については、本社に戻ることもあり、心の整理がついた。だが、妻とは向き合う勇気がなく、家族からは逃げまわらざるをえなかった。


 結局、東京のマンションにて、退屈な正月番組を流しながら、一人で荷物を片付けることになった。いつかは、バレることは分かっている。少しだけでいいので、時間稼ぎがしたかった。



 年が明けて、晴れて本社へ戻った。


 さすがに初出勤に作業着でくるような愚行はしなかったが、かわりに出向先のみんなからもらった赤のネクタイを締めてきた。みんなとは遠くへ離れ離れとなったが、背中を押してくれるような気がした。


 再び、ここに戻ってきた。この先に何が待っているかは分からない。そう思うと、一歩一歩、足が震える。


 私の新しい仕事は、社長から聞かされていない。そもそも、なぜ私が呼び出されたのか、なにをやればいいのかがよく分かっていない。


 辞令をみると、総務担当役員という肩書きらしい。総務部は、これまで部長職がトップを務めてきたが、これからも実務は彼が指揮する。


 つまり、私は会社の中で、ふわふわ浮いているわけである。


 そんな感じで時間が過ぎていったが、役員になると徐々にみえてくる景色が変わることに気づく。


 役員へ昇進したことにより、社員時代の退職金が支給された。


 給料が格段に上がった。


 運転手付きの公用車と美人な秘書が与えられた。


 そういう物理的なものではなく、決定的に違うことがある。「最年少役員という権力」と「周りからの目」だ。


 約1年前、私が会社を出て行くとき、仲間と思っていた部下を含めた周りの人間は、腫れ物に触るかのような対応だった。


 事業を失敗して、会社に大きな損失を与えて責任を取る。いわゆる片道切符の出向。


 無能。はやく、この会社から出て行け!


 新人が「花城部長、ご栄転おめでとうございます!!」と乾杯をして、形だけの送別会の空気を凍らせた。


 ところがどうだ。この掌返しは。


「この度はおめでとうございます。お戻りになるのを首を長くして待っていました。」


 皆、満面の笑みで昇進のお祝いを言ってくる。特に、顔も合わせたこともない次のステップを狙う年上の部長、課長クラスの気持ち悪さには虫唾が走る。保身のために、ここまでやるとは、驚きを通り越して呆れた。お祝いの品を持ってくるやつもいる。


 なんで、こんなやつが、役員になったんだ。


 この歳で、役員になったんだ。この人に媚びをうっておけば、将来は安泰だ。


 そんな見せかけのお祝いなどいらない。周りのクズ達のくだらない野望や妬みが見え隠れする。


 ほんと、馬鹿馬鹿しくて笑える。あんた達は、この小さい世界で何を守ろうとしてるんだろうかと二、三時間説教したい気分だ。

 


 あまりにも暇なので、元の部署である新規開発事業部にも、顔を出してみた。


「花城部長。あっ、失礼しました。この度はおめでとうございます。」


 あっ、ここでも同じか。誰もが、私を警戒し、心を許してこない。あの案件の担当をしていた秋谷は、私が出向となった直後に他の部署に異動となったらしい。彼にだけは、本社に復帰したことを、報告してやりたかったのだが、残念だ。



 実務は引き続き、部長に任せて、これまで世話になった取引先への挨拶回りなどをして、数日間は時間を潰した。


 あぁ、なんと役員とは楽で暇な仕事だ。これで、給料をもらえるなんて最高だ。それにしても、何のために、私は本社に戻ってきたのだろう。そんなことばかり考えていた。



 その日は、溜まっている決裁書類を処理するため、役員室にこもっていた。判子をしっかりと押すのが仕事であって、中身はほとんど見ていない。


 役員室に内線が鳴り響いた。


「今日の夜、空いてるか? 付き合え!」


 自分から名乗りもしない相手は、雨池専務だった。その強い物言いでは、私の拒否権は無さそうだが、警戒心が先行する。


「えっ、どのような御用件ですか? 」


「来ればわかる。お前を役員にしてくれた人と引き合わせてやる。時間に遅れずに来い。絶対だぞ!」


 そういうと、すぐに電話をきった。その電話の切り方も傲慢で、不愉快感だけが残った。


 なんなんだ。お前の部下でもあるまいしとも思った。


 しかし、雨池が言った言葉が気になる。私を役員にしてくれた人だって?皆目見当がつかない。自分がお世話になっている人に失礼があっても困るので行くことにした。むしろ、なぜ私を田舎から戻し、役員にしてくれたかを聞いてみたい。


 雨池の秘書が指定してきた場所は、会社から遠くない高級クラブだった。


 午後10時に来いということは、先方と会食をして、出来上がったころの二次会から合流しろということか。


 いずれにしても、めんどくさそうだ。


 近くの喫茶店で適当に時間を潰し、とりあえず指定された店の前まで来た。いかにも、時代遅れのバブル風な店構えにウンザリした。私はこういう店が苦手である。


 ちゃんと、経費で落ちるのだろうか。覚悟を決めて、時間通りに店に入った。



 店に入ると、真っ赤なタコ入道のような顔した雨池が、私を大声で呼び、遠くの方から手招きをする。


「やっと、来やがった。お前、遅いじゃないか? はやく、こっちへ来い。先生がお待ちだ。はやく、挨拶をしろ」


 何言ってんだ。10時になる5分前じゃないか。コートを脱ぎながら、向こうの様子をみると、雨池専務様は、思ったよりも出来上がっている感じで、機嫌は良さそうだ。


 店のコンセプトなんだろうが、古びた洋館のように薄暗くて、遠くの顔がよく見えない。


 ん、先生だって? どの人だ?


 どうやら、若い女性の横でべったりしている男が、私を執行役員にした男らしい。女性の太ももに手をおき、耳元で何かを囁いている。どう考えても、エロ親父だ。


 あの雨池が、へいこらしてるのが薄暗い店内でもわかる。誰だか分からないが、偉い人なんだろう。とりあえず、私の名刺を差し出した。


「はじめまして。話はきいてる。よろしく!」



 えっ、


 初めましてどころではない。


 な、なぜ、この男がここにいるのか………


 今日の接待は、あの幹部会にいた議員の畦地だった。


 畦地が、ギロリと私の顔を覗き込んだ。私の驚く表情を確認してから、ゆっくりと微笑んだ。


 あまりの驚きで、次の言葉がなかなか出ない。まさに、蛇に睨まれた蛙である。その不甲斐ない私の様子をみて、雨池が強引に割り込んだ。


「先生の前で、なに緊張しとるんだ。失礼だろう。それでも、うちの役員か。しっかりしろ」


 思っ切り、雨池に背中を叩かれて、席に押し込まれた。強く肩を抱かれ、顔を近づけてこう言った。


「いいか。よく聞け。先生はお前の大恩人なんだ。お前さんが、以前に開発した次世代水処理システムを高く評価してくださってな。仰山、あちこちの地公体へ声をかけて下さったんだ。それで、今、わしの方には、いくつもの注文が舞い込んでいる。本当にありがたいことだ」


 雨池が、身振り手振りを使い、大袈裟に説明する。


「それを俺が社長に上手いこと言って、お前を本社に戻してやったんだ。ただ、貴様の能力からいうと、お前を執行役員にしたのはやりすぎだと思うがな。ビックリしただろ? ほら、先生に感謝しろ」


 ワッハッハ、ワッハッハ。


 雨池の下品な笑いが、店内に響き渡る。


 畦地の登場で、まだ私の頭が混乱している。とりあえず、周りの空気が、先生にお礼をするように催促してくる。


「それは、ありがとうございます……」


「花城もこう言っておりますので。先生、これからも、私どもの会社と行政との橋渡しをなんとか頼みます。金には糸目をつけません。そのためには、全面的に協力をさせていただきますので。なにとぞ、なにとぞ…」


「いえいえ、彼が開発したものが、今の時代には必要なんです。商品が素晴らしいのですから、みなさんが評価をして買ってくださるだけですよ。私は微力ながらそのお手伝いをしているだけです。ま、仕事は置いておいて、今日は楽しみましょう!」


 幹部会の傲慢な対応が嘘かのように、今日の畦地は紳士的に言った。


 雨池が下手くそな歌を上機嫌で歌っている。それをぼんやり見ながら、頭の中を整理してみる。お姉ちゃんから差し出された冷えたオシボリを額にあてて、頭を冷やす。


 なぜ、頓挫した次世代水処理システムが今頃でてくるのか?


 なぜ、私が本社に戻ることができたのか?


 なぜ、ここであの畦地議員が出てくるのか?


 その時、不意にBB弾のような霰を全身いっぱいに浴びている赤海が、一瞬、頭の中を横切った。


 あ、わかった。赤海だ。


 この畦地が、そもそも次世代水処理システムを知っているわけがない。


 畦地の持っている議員の力を利用し、赤海が行政に押し込んだんだ。それならば、全てが一つの線で繋がる。


 隣に座ったお姉ちゃんが、くだらないことを勝手にしゃべっている。うるさい。黙っていてくれ。


 赤海と畦地は何をやったんだ。つまり、財団が豊富な資金力と人脈を使い、私を本社に戻すように働きかけをしたということか……。


 「ただ、何のために?私になにをさせようとしてあるのか」


 新たな疑問の登場に、わからない事ばかりだ。ふいに、向かいの畦地を見た。まずい、奴と目があってしまった。あわてて、目を伏せる。


 その様子に気づいた畦地は、これまたうるさい隣の女をぞんざいにどかした。


「お前らはあっちに行ってろ」


 私の隣に座った。畦地の重い体重で、ソファーが沈み込む。


「大将、本社に戻れてよかったじゃないか。それも、執行役員という箔もついたことだし。おめでとうございます!」


 畦地は、私の耳元で囁いた。


「どういうことでしょうか……? あなた方が、私を本社に復帰させたのように働きかけたのですか? あなた達は、なにが目的ですか? 」


「さぁな。巨大な力を持っている財団法人は、貴方を使って、なにをしようとしているんでしょうか?」


「……」


「冗談だよ。ま、そんなに警戒すんなって。でも、よかったじゃないか。ちゃんと、こんなにも立派に出世したことだし。まぁ、これからは、持ちつ持たれつ、お互い仲良くやっていこうじゃないか」


 畦地は、自分の水割りを一気に飲み干した。兄弟の盃を交わそうと言わんばかりに、私のグラスにぶつけてきた。グラスが割れるくらいの大きな音がした。


 私らの目線が、昭和の演歌歌手のようにサビを熱唱している雨池を捉えた。


「あそこで馬鹿面で歌ってる専務とやらが、お前を出向へ貶めた張本人だろ。あいつはいいね。傲慢で強欲だ。ああいうバカが一番使いやすい。あいつのことで、困ったら俺に相談しろ。捻り潰してやるよ」


 タコ入道の顔をしたピエロが、茶番劇という舞台から降りてきた。


「先生、私をおいて、なにをこそこそ話してるんですか。ちゃんと、私の歌を聞いてくれましたか? おい、花城。お前も先生が喜ぶような歌をなんか歌え!!」


 そういうとピエロが、マイクを私に向けてくる。



「いえ、私は下手くそなんで……」


「いえいえ、さすが、専務。芸達者ですな。もう一曲聴きたいですわ」


 畦地が、嘲笑うかのように言った。心から思っているわけがない。その言い方は、まるで、さっさとあっち行けと言っているようだった。


「そうですか?先生、こいつ、糞真面目で本当につまらんのです。申し訳ない。もう一曲、私がいきますわ」


 言葉が通じないピエロがアンコールの舞台へ駆け上がった。今度は、年末の紅白歌合戦に出ていたアイドルを歌うらしい。


「ほんと、頭がすっからかんだな。覚えとけよ。ああいうのを、うまく使わないとな……」


 畦地が、どこか壇上の男を憐れみながら、酒を流し込んだ。


 確かに。畦地が言う通り、なぜこんなつまらない男に怯えて、人生を棒に振ろうとしたのだろう。まぁ、元のレールに戻ることができたから、どうでもいいが……。



 そういう私も、種類の異なるピエロの仮面を深く被り、登壇し始めたのを、その時は気づくことができなかった。

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